第七十六話 河童
『おお、よくやってくれた! さすがは正義のヒーローじゃな!』
「お前、聞いてたのか?」
『ここは元々儂の神地じゃ。ここで起こることなど、全て見通せるわい。はっはっはっはっ!』
あんなことを言い出してしまったことに、だいぶ恥ずかしい思い出で後悔する鋼鯱。
勢いでの行動・言動には気を付けようとしていたのに、中々癖は抜けないものだ。隣では銀子が、何故か嬉しそうな表情をしている。
「まあ、いい。後はここを開ければ、俺の仕事は終わる」
さっさと終わらせようと、漬物石のように井戸の蓋にのっていた石に張り手を食らわせる。数トンはあるだろう大石であるが、鋼鯱のパワースペックでは大したものではない。
砂の城のようにあっさりと粉々に砕け、井戸の外側に散らばって飛んでいく。そして井戸の蓋を外した。
その瞬間、この場の空気が一瞬歪んだような気がした。
「がっ!?」
後ろから短い呻くような声が聞こえ、直後にバタリと何かが倒れる音が聞こえた。
「銀子!?」
それは銀子だった。彼女は地面に仰向けに倒れている。何事かと立ち寄ると、彼女は不細工なアヘ顔を晒し、目が真っ白になり、口から不思議な液体を吐き出しながら気絶している。
探知したところ、少し弱まってはいるが呼吸はしており、命に別状はない様子だった。周りでは、鎮守の森の木々にとまっていた鳥たちが、殺虫剤をかけられたハエのように、バタバタと地面に落ちている。
「おおい!? 一体どうしたって言うんだ!? うん?」
鋼鯱の仮面内スクリーンを見ると“嗅覚危機”という表示が出ているのに気づく。
それと同時に、あの井戸の蓋を開けた瞬間に、鋼鯱の嗅覚機能が緊急停止させられていることに気づいた。
『よいしょっと……いやあ、久しぶりの外じゃなあ~~』
鋼鯱が焦りと困惑の渦に飲まれている中、その雰囲気をぶち壊す声が後ろから聞こえてくる。振り向くと、開けられた井戸に座り込むように、何かがいた。
それは基本体型は人間に似た、二足歩行の生物だった。
身長は50センチ程で、小人のように小さい。全身の表皮はヌメヌメした質感の、カエルのような緑色の皮膚で覆われている。両手足の指には、小さな水かきがついており、指先には爪が生えていない。背中には亀のような甲羅がついている。
顔は骨格からして、人間とは大きく異なることが人目で判る。鳥類、もしくはカミツキガメのような、口先の尖った前方に突出した顔だ。口には頬や歯はなく、人間にはないクチバシ型の口だ。頭には黒い髪の毛が生えているが、真ん中には毛が生えておらず、そこにはドーム状の白い甲殻がついている。
その姿を長々と説明したが、日本人ならばこの姿を、たった漢字二文字の単語ですぐに理解できるだろう。そこにいるのは正真正銘の“河童”であった。
彼は鋼鯱の方を見ると、やあやあと親密そうに手を振っている。だがこちら側は、とても友好的になれる気分にはなれなかった。
「貴様! こいつに何をした!」
今にも斬りかからんばかりの勢いで、その河童=ガタロウに向かって叫ぶ鋼鯱。既に腰の物に指を乗っけて、いつでも抜刀できる姿勢だ。
その剣幕と明確な殺気に、さすがにガタロウも危機を感じて焦りだした。
『まっ、待て! 落ち着け! これは儂が故意にやったわけではないんじゃ! 事故じゃよ、事故!』
「……事故だと?」
鋼鯱は、何とぼけた事を言ってるんだ!といった感じだ。刀のハバキの部分が鞘から抜かれ、チャキリ!と時代劇のようなかっこいい金属音が聞こえる。もういつでも相手を斬り殺せる体制だ。
『本当に好きでやったわけじゃないんじゃよ! 儂らの一族は、元々強い匂いを分泌する粘液が、全身から出ておるんじゃ。この井戸に長い間閉じ込められておったせいで、その臭が中に溜まりすぎておったんじゃ! それが今フタを開けたせいで、外に一気に出てしまったんじゃ!』
そこまで言われて、ようやく冷静さを取り戻してきた鋼鯱。ガタロウの姿を生体探知しながら見てみると、確かに全身から“嗅覚危機”の表示が出ていた。
鋼鯱が蓋を開けた瞬間、その井戸からは生肉の腐ったような臭いが、ものすごい高密度で広範囲に、中から湧き出てきた。
彼自身は鉄鬼の優れた危機管理能力で難を逃れたが、生身の銀子はそれを至近距離で直に受けてしまい、ショックで失神してしまったのだ。
『ゆうとくが、これに毒などないぞい。確かに人間にはきついし、健康には良くないが、命を危うくするほどのものではないんじゃ! ホントじゃよ!』
改めて銀子を見ると、弱々しかった呼吸も安定して戻っている。ただし目覚める兆候は一切ない。
側にいた百合之助を見ると、こいつは鼻を前足でつまんで(タヌキがこんな動作ができるとは意外だ……)臭いから逃れようと苦しんでいた。
これを見て、一応はガタロウの言葉を信じておくことにした。彼は銀子を横抱きにして持ち上げて立ち上がる。百合之助も、横抱きにされた彼女の腹に乗っかってしがみついた。
「俺は早々にここから出て行く。こんな所にいたんじゃ、こいつには危なすぎる」
『すまんのお……。助けてもらっておいて、これは。何か礼をできればいいんじゃが』
「礼はいいから、とっとと沼に戻れ! そして二度と人間の前には姿を現すな!」
それだけ言って、ガタロウとの会話を早々に断ち切り、鋼鯱はこの神社から飛び立った。
一応もう報酬はもらっているから、この臭い神社にいる理由はないし。ガタロウの礼とやらも必要ない。そう思ったところで、今まで忘れていた疑問を再び思い出した。
(結局こいつにとって、神地を開放することに何の利益があったんだろうな?)
その話は結局聞けずじまいだった。まあこの先聞いても教えてくれないよう気がするし、どのみち今は会話すらできない状態だ。
色々と疑問を抱きながらも、鋼鯱は無事に仕事を果たして村へと帰還した。
時は少し遡り、異世界来訪107日目のあの温泉林道の真ん中にて。この時、絵師達を乗せた一台の鉄馬馬車が、ある物と衝突事故を起こしていた。
事故といっても、鉄馬自体には損傷も負傷者も一切出ていない。ただぶつかった片方の存在=最初に鉄馬の姿で接近してきた者が、現在の鉄馬の腹下で血を流しながら倒れていた。
『【生体エネルギーが急激に下がっています。おそらく既に死亡していると思われます】』
鉄馬の方から支援コンピュータの声が、外部からも発せられる。死んでいると言われたその者の姿を、大勢の乗客の絵師・鉄馬の操縦士が当惑しながら見ている。
「これは………タヌキよね?」
「これが噂の“偽鉄馬”の正体だというのか?」
そこにいたのは倒れてヌイグルミのように動かない、一匹のタヌキだった。
この場にいる全員、動物園以外の所でタヌキを見るのは初めてである。ましてやそれが鉄馬を化かしたとなると、あまりに奇々怪々な話である。
「まあ、タヌキだからこういうこともあるわな……」
「うん、そうね。だってタヌキだもん……」
これがタヌキという事実だけで、何故か絵師たちは何度も頷いて納得している。操縦士は鉄馬搭載コンピュータに、彼らの言葉を翻訳してもらったが……
【何でタヌキがいると、みんなこんなに納得するんだ? さっぱり意味が判んねえよ。タヌキが鉄馬になるのは当たり前の話だってのか?】
『【当機にも理解不能】』
あいにく彼の故国・フランスには、タヌキが人を化かす、という概念はなかった。
何を思ったか銀子が鉄馬の腹下に、匍匐前進で入り込み、そのタヌキの死体を引っ張ってきた。そして操縦士に何か言っている。
『【このタヌキの死体を持ち帰っていいかと言っています】』
【持ち帰る? 剥製にでもするのか? まあ、もう死んでるみたいだし、別にいいか】
あの程度の衝撃で死ぬような生き物だ。モンスターだとしても、さほど驚異でもあるまい。
報告は仕事の後でもいいだろうと操縦士は判断した。許可をもらった銀子と絵師たちが、再び馬車に戻る。そして鉄馬馬車は、何事もなく再運転した。
布に包まれて銀子の側に置かれたタヌキの死体。ちょっと妙な話だが、即死するほどの衝撃を受けたにも関わらず、この死体の出血量は随分と少なかった。
「銀子さん。それどうするつもりなんだ? 動物とはいえ、死体を持ち歩くなんて縁起が悪いわよ」
「うん。これ狸汁にして食べれないかなって思って」
「狸汁? ああ、確かにそういうのもあるみたいだね」
「そうなのか? タヌキって食べれたのか。知らなかった………」
確かに古来の狸汁は、コンニャクではなく本物のタヌキを使っていた。ちなみにタヌキの肉というのは、かなり慎重に臭みを取らないと、あまり美味しくない。
そもそもモンスターと思われる動物の肉を食おうという、この女の神経もかなりのものだが。
絵師達が狸汁のことで雑談を行う中、銀子の様子がほんの十数秒前とは、明らかに違っていた。布にくるまれたタヌキの死体を、胡散臭いものを見るような目で睨みつけている。
「………………あやうく化かされるとこだった」
彼女のその言葉は、小さすぎて他の絵師達の耳に入ることはなかった。その後、銀子はずっとその死体を監視するように目を向け続けていた。




