第031話:「じゃすとなう!」優雅な微笑みの裏の絶叫
けたたましい金属の擦過音と、不純物まみれの石炭が吐き出す硫黄の煙。
吹き下ろす山風の寒気に、凍てついた鉄屑の錆びた匂いが重く混ざり合っていた。
北東部を支配するアイゼン侯爵の膝下、ツヴァイク男爵領の炭鉱街。その一角に佇む煤けた旧式製鉄所では、男たちが凍える手で無骨な金槌を振るっていた。
「くそっ、またひびが入りやがった! なんだこのナマクラは!」
一人の若い職人が、叩き割れたばかりの鉄剣の刃を床に投げ捨て、激しく悪態を吐く。
彼らが扱っているのは、この地を独占するツヴァイク男爵が、高い関税とギルド権益を盾に売りつける「ツヴァイク鉄」であった。
気泡と不純物だらけの劣悪な銑鉄は、冷酷な北方の寒気に晒されるとガラスのようにもろくなり、叩く端から無惨に砕け散る。
だが、彼らには選択肢などなかった。鉱山も炭鉱もすべて強欲なツヴァイク男爵に支配され、過酷な労働の対価として、錆びた盾と飢えだけを配給される日々が続いている。
「おい、これを見てみろ」
そこへ、息を切らせて駆け込んできた年配の行商人が、厳重に布で包まれた「一本の小刀」を慎重に机の上に広げた。
「隣のラストン領の警備隊から、密かに手に入れた代物だ。最南端のクレイという僻地で鍛えられた鋼らしい」
「最南端のクレイ? 作物が一粒も育たねえあの泥湿地か? そんな場所の鉄が、まともに切れるはずが――」
若い職人が冷笑を浮かべ、自らの腰にある自慢のツヴァイク製鉄剣を引き抜き、卓の上の小刀へと容赦なく叩きつけた。
キィィィン、と。
短く、澄み切った金属音が室内に響いた。
火花すら散らなかった。
職人たちの嘲笑が、その瞬間に氷結する。
卓の上に転がったのは、刃こぼれ一つしていないクレイの小刀と、根元から真っ二つに、まるでおがくずのように美しくへし折れた、ツヴァイク自慢の鉄剣であった。
「な……バカな!? 俺の剣が一撃で……!?」
職人は折れた柄を握りしめ、呆然と立ち尽くす。行商人は震える声で囁いた。
「それだけじゃねえ。……このクレイの鋼、王都の商人どもが不当に吊り上げる鉄剣の『半値』、いや、それ以下の価格で、ラストフォートの門前までいくらでも届いているらしいぞ」
職人たちの瞳に、恐怖を通り越した、強烈な羨望と渇望の火が灯る。
彼らを縛り付けていた「古い常識の鎖」が、最果てから届いた無欠の輝きの前に、音を立てて引きちぎられようとしていた。
*
静まり返った執務室。
ステンドグラスから差し込む薄青い冬の光が、卓上の複雑な地政学地図を冷たく照らし出している。
パチパチと暖炉の火が爆ぜる静寂のなか、ほのかにラベンダーの香りが満ちていた。
「あの人の隣に立つ為の最初の一歩は既に成った。次なる一手は有力諸侯、特に武勇で知られ北方の守護を担当しておられるアイゼン侯爵閣下。
閣下にはなんとしても我がクレイ家の後ろ盾、そこまでいかずとも他有力諸侯である北西のガルドナー伯爵、東のマルシェ公爵。
このお二人の攻略の際に中立さぇ保って頂けるよう尽力しなくては。
そのための最初の手番は、このツヴァイク男爵領の完全なる経済的簒奪。これだわ」
上座の黒石の椅子に深く背をもたれ、オルテシア・クレイは灰色の瞳を鋭く細めた。
彼女が纏っているのは、泥ハネを撥ね退ける漆黒のコートドレス『クレイ・ライディングガウン』。
コルセットの内部には極薄のクレイ鋼コルセットが仕込まれ、足元には泥濘を完璧に撥ね返すロングレザーブーツ。
(ヴィオラ……コルセットを少し増やしたせいで、呼吸をするだけで肋骨が引き裂かれそうなんだけど!
おまけにこのロングブーツ、歩くたびにふくらはぎの筋肉がみっちりと固定されて、私の足が『ちょっと足が痛いからおんぶして、ギル!』って悲鳴を上げそう!
耐えなさい、私のふくらはぎ! ここで私が弱音を吐けば、私の『冷酷なる支配者』としての絶対の鉄仮面が、コンクリートの側溝の底へと水没してしまうんだから……!)
脳内で許容量を超えた悶絶を繰り広げながらも、オルテシアは完璧な品格を保ったまま、不敵に微笑んでみせた。
「現在、ツヴァイク男爵は、アイゼン侯爵領全体の製鉄利権を独占し、不当な高値で粗悪な鉄を売りつけて肥え太っています」
卓の傍らに控える、ショア湊の交易ギルドから抜擢されたばかりの若き財務監査員ミリアム――愛称ミリーが、数字がびっしりと書き込まれた羊皮紙のバインダーを抱え、マイナス二百度ほど冷たい、美しいストレートの黒髪を揺らして告げた。
「彼らの財務状況は、見かけ倒しの砂上の楼閣。我がクレイ鋼を、彼らの半値でゲリラ的に優先市場供給いたします。
一度でも我が鋼に触れた消費者は、二度と彼らのナマクラを買いません。ツヴァイクの鉄山ギルドは、一シリングの利益も得られず、爆速で自己破産へと追い込まれることになりますわ」
「見事ね、ミリー。これこそが、資本の力。抵抗する武器すら持たせず、資金流を根底から干し殺して差し上げましょう」
オルテシアの冷徹な言葉に、傍らに佇むギルベルトは、その灰色の瞳に狂信的な恍惚の熱を宿し、深く頭を垂れた。
(……おお、我が主。武力ではなく、ただ市場の価格という目に見えぬ鎖で、大領主の足元を内側から締め上げられるとは。
なんと冷酷で、合理性に満ちたお覚悟。やはりこの御方こそ、深淵のチェス盤を支配する真の統治者だ……)
ギルベルトの狂信のギアが、また一段、音を立てて跳ね上がっていた。
ヴィオラも眼鏡の位置を直し、「不要な非効率の駆逐。数式通りの美しい市場解剖です」と淡々と告げた。
*
製鉄所の奥、巨大な反射炉から吹き出す黄金色の熱気。
その熱気を取り込んだ石造りの頑強な台所の上には、熟成の香ばしさを漂わせる、野生の鴨のローストが、鍛冶師バルト特製のクレイ鋼フライパンの上でジュウジュウと音を立てて油を弾いていた。
「お嬢様! 見てください、この皮目のパリパリ感! 魔獣ジビエ肉も、ルイーゼの漬け込んだハーブ液で、驚くほど柔らかく仕上がってまぁす!」
偏屈鍛冶師バルトが、煤けた顔をほころばせて、焼き立ての鴨肉をナイフでスライスする。
その隣では、白衣を羽織ったヴィオラの後輩、醸造助手のルイーゼが、試飲用のスコッチの度数にやられ、すでに爆速で笑い上戸に変貌していた。
「キャハハハ! ヴィオラ先輩、見てください! このお酒、すっごくスモーキーで、なんだかもふもふのブランカをそのまま液体にしたみたいにキャハハハ!」と大声で笑っている。
「こら、ルイーゼ。試飲は仕事であって、お上品に酔っ払うための時間ではありません」
ヴィオラにたしなめられたルイーゼは(しゅん……)となってある程度酔いが醒めた様だ。
後輩の痴態が少し気恥ずかしかったのか、ヴィオラは「(こほん)」と一つわざとらしい咳をした。
だがオルテシアの意識は目の前でスライスされてゆく香ばしい匂いの鴨肉に集中しており、二人のやりとりは見えていなかった。
スライスが終わりバルトから差し出された鴨のローストを、内心熱さをこらえつつ指でつまんで口へと運ぶ。
(んん~~~~美味い! 濃厚な脂の旨味と、ウイスキーのスモーキーな香り、そしてクレイベリーの甘美な酸味が、口のなかで完璧に溶け合っていくぅ!
野生の鴨のロースト、本当に最高オブ最高! これを晩餐会に出せば、王都の貴族たちの胃袋を完全に掌握して従属させられること間違いなしね!クックック……)
内心で感情の大爆発を起こしながらも、オルテシアは優雅に指先を拭い、ひれ伏すバルトへと静かに微笑みかけた。
「バルト。ツヴァイク領にいる、かつてのあなたの弟子たち、および過酷な労働で喘いでいる炭鉱労働者たちを、まもなくクレイ家が丸ごと合法的に強奪し、我がクレイ鋼生産の最強の労働力として、この温かい食事と月給一クラウンの終身雇用を授けて差し上げます」
「オ、オルテシア様……っ! あいつらを救い出してくださるというのですか! このバルト、この命、我が鉄鎚のすべてを、生涯あなた様の覇道に捧げます!」
老鍛冶師は冷たい石畳へと深く額を擦りつけた。
「顔を上げて、バルト。私はあなたたちの腕と知恵に助けられている。感謝しているのは私の方なのだから。
あなたたちがクレイに来てくれなければクレイ鋼は量産出来なかった。」
そういうとオルテシアはしゃがみ込みバルトの手を両手で優しく包み込むように握った。ロングブーツが容赦なくふくらはぎに食い込むが、顔色一つ変えずにバルトに語りかける。
「この素晴らしい鴨のローストだってそうだわ。クレイ鋼で作られたフライパンだからこんなに美味しく出来たの。これまでの鉄製のものではこうはいかない」
「オルテシア様……」
「私だけじゃない、お腹が満たされるだけじゃなくこんなに美味しく調理して食べられるのは誰のお陰なのか、みんな知ってる。
クレイに住むものなら誰でもあなたや、鍛冶師の皆さんに感謝してるのよ」
「は、はい……!」
「だから、これからも一緒にこのクレイをより良い場所へ変えていきましょうね」
「も、勿論です!勿論ですオルテシア様!!」恍惚な表情を浮かべるバルトに微笑み、オルテシアはゆっくりと立ち上がり優雅な?足取りでその場を後にした。
(んんっっ!!も、もう限界!>< ふくらはぎ!はぎいいいいい!!!!え、ヴィオラ!流石にこれはキツ過ぎ!あとでちょっとだけ調整お願いしないと無理!むりむり歩けない!><
こひゅっ!肋骨!ろっこつもいたいいいい!! ヴィオラ!助けてヴィオラ!!><あああブランカ!ブランカどこ!近くにいるならこっちきて!しきゅう!すぐ!じゃすとなう!!!)
オルテシアの魂の叫びなどわかるはずもなく、その背を見送るバルトの頬を一筋の涙が伝った。
*
オルテシアは暖炉の赤い炎を背に、ゆっくりと仮想のチェス盤へと指を伸ばした。
(おーほほほ! ツヴァイク男爵、あなたの足元を支える炭鉱の労働者も、鉱山も、すべて私の『適正価格』という絶対の支配力で、毟り取って差し上げます。
アイゼン侯爵を絶対の中立に固定するための最初のドミノは、すでに倒されつつありますのよ――)
外を吹き抜ける冬の寒風を眺め、オルテシアはただ静かに、しかしその瞳の奥で炎が揺らめいていた。




