第030話:”対等な取引”という名の、優しい鎖
「な……何だと?」
ガレスは、オルテシアの不敵な高笑いに、呆気にとられたように声を漏らした。
「誇り高き騎士の皆様に『憐れみの施し(慈善)』などという、お上品さを欠いた無作法をするはずがございませんわ」
オルテシアは上半身を微塵も揺らすことなく、まるで静かな白い氷上を滑るように静穏な歩調でガレスへと歩み寄った。
「私は、皆様と『対等な商売』がしたいのです。一シリングの不当な吊り上げも、王都の商人どものような狡猾な嫌がらせもない――極めて誠実な【適正価格】での、正規の取引を提案しに参りましたの(微笑)」
「適正、価格……?」
ヘレナが、その予想外の言葉に、思わず大剣から手を離して戸惑いの声を上げた。
「そうですわ。王都の商人どもが売りつける粗悪な鉄剣の半値、いえ、これが本来の『鋼の価値』でございます」
ヴィオラが眼鏡の位置を静かに直し、冷徹な契約書を机の上に滑らせた。
「ガレス子爵、そちらに立てかけられている、王都から仕入れたという『新品の鉄剣』をお貸しいただけます?」
オルテシアの促しに、ガレスは怪訝そうな顔をしながらも、手近な剣を差し出した。
ギルベルトが、木箱からクレイ鋼の剣を一本、静かに引き抜いた。
オルテシアが小さく顎を引くと、ギルベルトは一切の容赦なく、両手でクレイ鋼の剣を振り下ろし、ガレスの鉄剣へと叩きつけた。
――キィィィイイイインッ!!!
鼓膜を劈くような硬質な金属音が、凍てつく作戦室に響き渡る。
次の瞬間、ガレスの鉄剣は、まるで大根か粘土細工のように、真ん中から真っ二つにへし折れて、石床の上へとカラン、と無様に転がった。
対して、ギルベルトの握るクレイ鋼の剣には、刃こぼれ一つ、かすり傷一つついていなかった。
「……ば、馬鹿な……! 我が隊の主力装備が、一撃で、こうもあっさりと……!?」
ヘレナが折れた鉄剣の残骸を拾い上げ、血の気が引いた顔で絶叫した。
「これが私の『コンクリート道路』の上を爆速で駆ける、最速のロジスティクスがもたらす『適正価格』の力ですわ。皆様がこの最高品質の武具を適正な価格で買い支えてくださるなら、私はそれを、いつでも、どれだけでも、このラストフォートの門前までお届けいたします」
オルテシアは優雅に指先で、凍える窓の向こうの白い道を指し示した。
ガレスは、真っ二つに折れた自らの剣と、傷一つないクレイ鋼の輝きを交互に見つめ、その震える拳をゆっくりと解いた。
彼らの脳裏に、凄まじい衝撃が走り抜けていた。
王都の商人どもに足元を見られ、粗悪な鉄を不当な高値で買わされ、錆びた盾で魔獣と死闘を繰り広げていた自分たち。
それに対し、オルテシアは、施しという「憐れみ」で自分たちの自尊心を傷つけることなく、「適正価格での取引」という最高の礼節をもって、無欠の武具を供給してくれるというのだ。
「……オルテシア殿。いや、オルテシア様」
ガレスは、泥と煤にまみれた膝を冷たい石床へと突き、深く、深く頭を垂れた。その厳格な目元から、熱い一筋の涙が溢れ落ち、折れた鉄剣の残骸を濡らした。
「あんたは……錆びつき、王都の豚どもに見捨てられていた我々の『誇り』を信じて、共にこの辺境を守る盾として、我々を対等に認めてくださったのだな……っ! この命、ラストン警備隊のすべての剣は、これよりあんたの美しい覇道を守る、不滅の盾となることを誓おう!」
「我が大剣も、あなたのために!」
ヘレナもまた、ガレスの傍らに跪き、その勝気な瞳に狂信的な火を灯して頭を垂れた。
「よろしくてよ、皆様。存分に、その錆びぬ誇りを、私のために打ち鍛えなさい」
オルテシアは、完璧な「領主」としての冷徹な仮面をポーカーフェイスのまま美しく微笑んだ。
だが、その冷たい灰色の双眸の裏側で――彼女の脳内は、再び『プロジェクト〇』のあの圧倒的な大音量のストリングスが脳髄を破壊する大暴走を起こしていた。
(お、お、おーほほほほ!!! 釣れましたわ! 大物が!!!
無償で与えて怪しまれるくらいなら、適正価格で売りつけることで、彼らの騎士のプライドを傷つけずに、製造原価がほぼゼロの鉄(もふもふ動力と地元の砂泥)から巨万の純金を合法的にむしり取る!
これこそ、世界で最も美しい、お上品な『軍需資金還流の仕掛け』ですわ!
見てごらんなさい、あの涙に暮れながら『あんたの覇道を守る不滅の盾になる!』と勝手に狂信を拗らせて跪く老騎士たちの熱い表情!
これで、ラストン警備隊という最強の魔境シールドが私のクレイ鋼に完全に依存し、クレイ家の金庫にはベッカーに支払う毎年三千クラウンの金利を遥かに凌駕するゴールドが爆速で還流し始めましたわ!
さあ、あの強欲な高利貸し・ベッカー!
せいぜい、あなたが仕掛けた罠のロープで、自らの首を吊り上げて自滅する日を楽しみにしておくことですわ! おーほほほほ!!!)
「……こほん」
その時、極めて無味乾燥な咳払いの音が、凍てつく作戦室の中に小さく響いた。
眼鏡の位置を直し、冷静きわまる冷淡な眼差しで、こちら(お嬢様のピクピク動く口元)を窺っているヴィオラからの、無言の警告であった。
ハッ、とオルテシアは我に返った。
(い、いけませんわ! 私、適正価格の利益率の高さに一瞬だけ意識が前世のメガバンクの支配人ビジョンに旅立っておりましたわ!)
オルテシアは、まるで何事もなかったかのように「スン……」と表情を瞬時に凍りつかせ、いつもの絶対零度の冷静さを取り戻すと、何食わぬ顔で漆黒のライディングガウンの裾を整え、ゆっくりと踵を返して歩みを進めた。
美しく磨き抜かれた編み上げのロングブーツの先が、ラストフォートの石床を踏み鳴らし、外へと続く無欠のコンクリート道路を、お上品に、カツン、カツン、と涼しげな足音を立てて踏みしめていく。
その背後で、もはや領主の姿すら目に入らぬほど狂おしく、ガレスたちは新たな『クレイ鋼の武具』を愛おしそうに抱き上げ、歓声を上げていた。
夕日に照らされて真っ白に輝く、新時代の滑らかな道路。
その白銀の光に背を向け、オルテシアは漆黒のガウンを優雅に翻しながら、暗がりのなかで、お上品に、どこまでも冷酷に微笑み――そして、そっと脳内のチェス盤へと指を伸ばした。
(――さあ、錆びない盾は完璧に手に入れましたわ。
次は、あの帝国を睨む『北の鉄壁』、アイゼン侯爵領をクレイ鋼の軍需インフラで懐にすり寄り行きますわよ。……ギルベルト、ヴィオラ、準備はよろしくて?)




