第028話:馬が一往復する間に、魔獣は十往復していた
蹄のけたたましい響きと、木製車輪がコンクリートを軋ませる不快な金属音。
朝日に照らされた白い道路の上を、ヨハン率いる大型荷馬車が、猛烈な勢いで疾走し始めた。
「ハッ! 走れ! 走れええッ!」
ヨハンは絶妙な手綱さばきで、四頭の愛馬たちの力を限界まで引き出していた。
だが、白いコンクリート道路の上を走るにつれ、ヨハンの表情から徐々に余裕が消え失せていった。
「……くそっ、なんだこの硬さは!」
コンクリート道路は平坦で泥濘こそないが、本物の石盤のようにあまりにも硬すぎる。馬たちの蹄鉄が路面に叩きつけられるたびに、その凄まじい衝撃がダイレクトに馬の脚へと跳ね返り、愛馬たちが痛みに顔を歪めて速度を落とし始めていた。
馬を潰さないためには、時速十五キロ以上に速度を上げるわけにいかない。
さらに、舗装が切れた従来の泥道に入った瞬間、車輪が「ズブッ」と黒泥に沈み込み、五トンの超重量が牙を剥いて馬たちにのしかかった。馬車は泥濘にもがき、車軸が不気味な悲鳴を上げ、輸送スピードは一気に歩行速度へと急降下した。
そんなヨハンの馬車の真脇を。
――シュオオオオオオン、と。
風を切り裂く、不気味なほどに静かで、滑らかな『音』が通り抜けた。
「な……なんだっ!?」
ヨハンが弾かれたように首を巡らせた瞬間、彼の目の前を、白銀の閃光が駆け抜けていった。
それは、クレイ鋼の装甲爪牙を履いたブランカを先頭に、三頭の嵐魔狼が引く『クレイ鋼補強大荷車』であった。
魔狼たちは、コンクリート道路の表面を、クレイ鋼の鋭い爪で一切滑ることなくガチリと力強く捉え、涼しい顔で地面を蹴り飛ばしていた。
何より異常なのは、その荷車の『挙動』であった。
五トンものクレイ鋼を積んでいるにもかかわらず、ヴィオラの設計したクレイ鋼製板バネが路面からの微細な振動を完全に打ち消し、魔導ベアリングを仕込んだ金属車輪は、ガタガタという不快な音を一切立てず、まるで氷の上を滑る滑走板のように静かに、恐ろしい速度で回転していた。
四頭立ての馬車を並走させることすら叶わぬ、暴風そのものの速度。五トンの超重量を積んでいるとは到底信じがたい、目を疑うような滑走であった。
魔獣超特急は、泥濘にもがくヨハンの馬車を、一瞬にして木の葉のように置き去りにし、最果ての白い地平線へと爆走していった。
「バカな……!? あの重さを積んで、なんで跳ねねえ、なんで壊れねえ! あいつら、重力ってやつを忘れてやがるのか……っ!」
ヨハンが絶叫するなか、魔獣超特急の爆風が、彼の顔に冷たい泥水を浴びせかけた。
*
夕暮れの茜色に染まる、シルト領の倉庫前。
ヨハンの馬車が、泡を吹いてへたり込む四頭の馬を引きずり、車輪の木製スポークをミシミシとひび割れさせながら、ようやく一往復目の目的地へとたどり着いた。
「はぁ、はぁ、……クソ、なんとか一回目は運びきったぞ……」
ヨハンが泥と汗まみれの顔を拭い、倉庫の扉を開けた瞬間。
彼の膝が、音を立てて砕けるように崩れ落ちた。
そこには、ヨハンが運んできたはずの荷を遥かに凌駕する、クレイ鋼インゴットの「巨大な山」が築き上げられていた。
傍らでは、お行儀よくお座り姿勢をとったブランカが、ショア湊からピストン輸送で届いた新鮮な魚を、極上のドヤ顔で「もぐもぐ」と咀嚼しながら、オルテシアに「お手」をしていた。
ヨハンが満身創痍で一往復する間に、魔獣超特急は、この白いコンクリート道路の上を、実に「十往復」以上も爆走し、全量のピストン輸送を完全に終えていたのだ。
「そんな、馬鹿な……十往復だと……? 魔獣も潰さず、荷車も壊さず、この短時間で……これだけの物流を、たった三頭の魔獣と一台の車でこなしたってのか……」
ヨハンはよろよろと大荷車へ近づき、そのクレイ鋼の車軸に素手で触れた。
熱すら持っていない。ヴィオラの設計したベアリングと板バネは、物理の摩擦抵抗と衝撃を極限まで逃がし、完全に無欠のまま、そこに佇んでいた。
「馬車ギルドの誇りとは、馬を限界まで酷使し、壊れやすい荷馬車をだましだまし使うことなのかしら? ヨハン」
夕日に漆黒の乗馬ガウンの裾を優雅に揺らしたオルテシアが、上半身を微塵も揺らすことなく、まるで静かな白い氷上を滑るように静穏な歩調で歩み寄ってきた。
「この『コンクリート道路』と、摩擦を殺した『クレイ鋼ベアリング』、そして衝撃を受け流す『サスペンション』。これらが揃って初めて、最速のロジスティクスが成立するのです。……伝統という名の非効率は、これより始まる合理の前に、お役御免ですわ」
ヴィオラが静かに眼鏡の位置を直し、冷徹な死の宣告(事実の提示)を付け加えた。
ヨハンは、へたり込んだ馬たちの背を優しく撫で、そして、手からぽろりと、馭者頭としての「手綱(指揮権)」を落とした。
だが、彼の瞳に宿っていたのは、敗北の絶望ではなかった。
「……負けたよ。完敗だ、お嬢ちゃん」
ヨハンは白い地面の上に膝を突き、深く、深く頭を垂れた。
「俺たちが、馬を死なせ、車軸を叩き折りながら、それでも届けたかった『命の荷』を……あんたのこの超特急は、一頭の魔獣も殺さず、一瞬で届けてみせた。これこそが、俺たち『馭者ギルド』がずっと夢に見ていた、無欠のロジスティクスだ……っ! 頼む、オルテシア様! この手綱をあんたに捧げる! 俺たちに、あの最速の超特急を走らせてくれ!」
「よろしくてよ、ヨハン。存分に、お前のその手綱で、私のために道を拓きなさい」
オルテシアは、完璧な「領主」としての冷徹な仮面をポーカーフェイスのまま美しく微笑んだ。
だが、その冷たい灰色の双眸の裏側で――彼女の脳内は、再び『プロジェクト〇』のあの圧倒的な大音量のストリングスが脳髄を破壊する大暴走を起こしていた。
(お、お、おーほほほほ!!! 釣れましたわ、最後の巨頭が!!!
物流を牛耳る辺境馬車ギルドが、自ら喜んで私の首輪(終身雇用)を嵌めにやってきましたわ!
これで、バルトの『製鉄』、ハンスの『土木コンクリート』、そしてヨハンの『超特急ロジスティクス』という、内政の完全な三大インフラギルドが私のチェス盤へと固定されましたわ!
かつて前世の夢のビジョンに眠る、日本中を爆速で駆け巡り、翌朝には荷物を届けていた、あの『クロネコ』や『飛脚』のロジスティクス大革命……!
この不毛の泥湿地と呼ばれた最果ての地は、何者も侵し得ない完全自給の『絶対聖域(要塞都市)』へと作り替えられましたわ。
物流という名の血流を握ったのですから、もはや王都の羊どもがこちらの変化に気づいたところで、何もかも手遅れ。
おーほほほほ! 私の安穏な終身雇用のために、せいぜいその無知な喉元を震わせて、私への貢ぎ物となる悲鳴の準備でも整えておくことですわ! おーほほほほ!!!)
オルテシアは脳内で高らかに高笑いを響かせながら、お上品に、しかし極めて冷徹な笑みをその唇の端へと刻み込んだ。
「……こほん」
その時、極めて無味乾燥な咳払いの音が、静まり返った倉庫の前に小さく響いた。
眼鏡の位置を直し、冷静きわまる冷淡な眼差しで、こちら(お嬢様のピクピク動く口元)を窺っているヴィオラからの、無言の警告であった。
ハッ、とオルテシアは我に返った。
(い、いけませんわ! 私、道路の美しさと超特急のロジスティクスに一瞬だけ意識が前世の宅配便のビジョンに旅立っておりましたわ!)
オルテシアは、まるで何事もなかったかのように「スン……」と表情を瞬時に凍りつかせ、いつもの絶対零度の冷静さを取り戻すと、何食わぬ顔で漆黒のライディングガウンの裾を整え、ゆっくりと踵を返して歩みを進めた。
美しく磨き抜かれた編み上げのロングブーツの先が、純白の、一滴の泥も水たまりも存在しない無欠のコンクリート道路を、お上品に、カツン、カツン、と涼しげな足音を立てて踏みしめていく。
その背後で、もはや領主の姿すら目に入らぬほど狂おしく、ヨハンたちは新たな『クレイ鋼荷車』を愛おしそうに撫で、嵐魔狼たちと共に次のピストン輸送の準備を始め、歓声を上げていた。
夕日に照らされて真っ白に輝く、新時代の滑らかな道路。
ただ、その白銀の光に背を向け、オルテシアは漆黒のガウンを優雅に翻しながら、暗がりのなかで、お上品に、どこまでも冷酷に微笑んでいた。




