第027話:五トンの荷を賭けた、往復十六キロの激走
吹き抜ける冬の冷たい風が、クレイ領の泥湿地に、乾いた硬質な響きをもたらし始めていた。
一晩にして鏡のように真っ白に硬化したコンクリート道路。その滑らかな路面の上に、巨大な影がどっしりと佇んでいた。
それは、隣のシルト領に本拠を置き、辺境一帯の物流を牛耳る『辺境馬車ギルド』の頑固な馭者頭、ヨハン・クローラーが誇る、四頭立ての頑強な大型荷馬車であった。
「おいおい、お嬢様が新しい道をこしらえたってから見にきてみれば、なんだこの平らな白い坂は」
ヨハンは頑丈な皮手袋をはめた手で顎をさすり、愛馬たちの手綱を握り締めながら鼻を鳴らした。
「ハンスの石工どもが泣き言を言って跪いたって聞いたが、あいつらも焼きが回ったな。確かにこの白いコンクリート道路とやらは、水たまり一つなくて歩きやすそうだ。だが、物流の王は俺たち『馭者ギルド』だ。重さ数トンにもなるクレイ鋼のインゴットを運ぶにゃ、馬の繊細な呼吸を読み解く『御法』と、頑丈な荷馬車がなきゃ話にならねえ」
ヨハンは馬車の木製車輪を蹴り飛ばし、不敵に笑った。
「それに引き換え、なんだい、あの向こうに置かれてる不気味な鉄の塊は?」
ヨハンの指し示す先。そこには、ヴィオラが設計し、偏屈鍛冶師バルトが鍛え上げた、異形の『クレイ鋼補強大荷車』が据え置かれていた。
従来の木製荷車とは一線を画す、その異様極まりない外観。
車軸部分には、不純物を極限まで排除したクレイ鋼製の板バネ(サスペンション)が何重にも重ねられており、車輪のハブ部分には、潤滑油を充填した魔導金属製の極細ベアリング(二重回転構造)が仕込まれている。車輪自体も、外周に強靭なクレイ鋼のリムを焼き嵌めした、絶対に歪まない金属製であった。
「魔獣にこんな重苦しい鉄の塊を引かせるだと? 馬の手綱さばきを知らねえ素人の浅知恵だ。魔獣なんざ、荷物の重さにキレて暴れ狂うに決まってらあ。おまけに、いくらコンクリートが硬いからって、馬車以上の重量をどうやってコントロールするってんだ」
「ふふ、それならばヨハン。――実際にお試しになって、その疑問を解決なさってはいかがかしら?」
霧が立ち込めるコンクリート道路の奥から、涼やかで気品に満ちた声が響いた。
ヨハンたちが弾かれたようにそちらを向けば、漆黒のコートドレス『クレイ・ライディングガウン』を完璧に着こなしたオルテシアが、お上品にゆっくりと歩み出てくるところであった。
胸元には、鈍く光る鉄製の胸当てにクレイ家の象徴たる『紫陽花の紋様』が精緻に刻まれ、その気高き美貌は最果ての寒気の中でも、凛とした美しさを放っている。
背後には、不敵な笑みを浮かべて大剣を抱くギルベルトと、巨大な製図板を抱えたヴィオラ。
(ハンスの次は、やはりシルト領の馬車ギルドを牛耳るあの偏屈な馭者頭が釣れにやってきましたわ!
職人の古いプライドなんて、ただの、私のために命がけで物流インフラを構築させるための最高品質のガソリンですのよ!
ですが、このクレイ鋼防弾プレート入りのライディングガウン……昨日よりもさらにコルセットがみっちりと締め上げられていて、お上品に呼吸をするだけで肋骨が折れそうですわ!
おまけに編み上げブーツ、コンクリート道路の上を歩くたびに『カツン、カツン』と響くのは最高に領主としてお上品ですけれど、ふくらはぎの筋肉が悲鳴を上げてピキピキと引き攣りそうですのよ!
耐えなさい、私のふくらはぎ! ここで私が『ちょっと足が痛いからおんぶして、ギル!』などと弱音を吐けば、私の威厳がコンクリートの排水溝の底へと転がり落ちてしまいますわ……!)
オルテシアは脳内でのたうち回るような悶絶を完璧なポーカーフェイスで押し殺すと、漆黒のロングブーツの踵をカツンと美しく響かせ、不敵に微笑んだ。
「ハンスのコンクリート道路と、ヴィオラの物理設計、そしてブランカたちの牙。これらが組み合わさった時、どのような『無欠』が宿るのか。……簡単な輸送対決で、どちらが真に物流を支配するにふさわしいか白黒つけましょう」
「……対決だと? 面白い。俺たち馬車ギルドの誇り、安売りするわけにゃいかねえな。で、勝負のルールは?」
ヨハンは野性味あふれる笑みを浮かべ、オルテシアを睨み据えた。
「製鉄所から、シルト領の国境警備所の倉庫まで、それぞれ重量五トンのクレイ鋼インゴットをピストン輸送するのです。距離にして往復十六キロ。……日没までに、より多くの荷を、より速く、そして傷一つなく運んだ方が勝ちといたしますわ」
オルテシアは優雅に指先で道路を指し示した。
「もしあなた方が勝てば、私は皆様の運賃を倍額に引き上げ、今後一切、ロジスティクスの運用に口出しはいたしません。ですが……」
オルテシアは、すがるように、そしてこの上なく儚げにヨハンを見つめた。
「もし私の超特急が勝ったなら、ヨハン。あなた方のその『手綱と誇り』、すべて私の平穏な未来のために、喜んで差し出していただきますわ」
その儚げで健気な、しかし逃げ場のない「お上品なハメ殺し(契約)」の微笑みに、ヨハンの馭者としての血が激しく滾った。
「よおし、のった! お嬢ちゃんに、四頭立て馬車ギルドの本物の走りをとくと目に焼き付けさせてやる!」
――カツン。
対決の朝、冬の澄み切った朝日が、コンクリート道路を真っ白に染め上げていた。
「出発!」
ヨハンが激しく鞭を鳴らし、対決の火蓋が、ついに切って落とされた。




