第025話:嵐が審判を下す、伝統と革新の一騎打ち
立ち上る石灰の白い煙と、焼けた粘土の焦げ臭い匂い。
夕暮れの赤い陽光が、泥濘に濡れた黒石の炉壁を不気味に照らし出していた。
巨大な反射炉のすぐ傍らに急造された、赤レンガ造りの『近代セメント窯』。その熱気の吹き出し口の前で、数十人の石工たちが不満げに腕を組み、泥だらけのシャベルを杖代わりに地面を睨みつけていた。
「けっ、冗談じゃねえ。お嬢様のお上品な泥遊びに付き合わされる職人の身にもなってみろってんだ」
石工頭ハンス・グレーバーは、長靴の底にまとわりつく重い湿泥を忌々しげに蹴り飛ばし、唾を吐いた。
「石畳ってのはな、何千年も前から『定規と槌(石ギルド)』の職人が、平らに切り出した巨石を一枚一枚、丁寧に敷き詰めて築き上げてきた歴史の結晶だ。それを、なんだ。ショアの入江から浚った厄介者の泥砂と、シルトの使えねえ珪石粘土を混ぜて焼いただけの、こんな灰色の粉がどうしたって?」
ハンスは足元に置かれた木箱から、灰色の乾いた粉末を無造作に掴み取り、泥の中に放り投げた。
「こんな魔法の泥水だかセメントだか知らねえが、水でこねて流し込むだけでカチカチの岩になるだと? そんな生ぬるい泥水で舗装した道が、冬の過酷な泥湿地でまともに持つはずがねえ。伝統の石畳を舐めるな」
「おっしゃる通りですわ、ハンス。ですが、古い頭で考えた伝統の限界は、これより始まる物理法則の前に、跡形もなく崩れ去ることになりますわ」
ぬかるんだ粘土層の向こうから、冷徹で気品に満ちた声が響いた。
ハンスたちが弾かれたように顔を上げると、霧を割って歩み出てきたのは、クレイ領の名代オルテシアであった。
その姿は、裾を膝丈で大胆にカットした、泥ハネをクールに撥ね退ける漆黒のコートドレス『クレイ・ライディングガウン』。胸元にはクレイ家の象徴たる『紫陽花の紋様』が精緻に刻まれた、鈍く光る鉄製の胸当て。足元には、美しく磨き抜かれ、冷酷な泥濘を完璧に跳ね返す漆黒の編み上げロングレザーブーツ。
背後に佇むのは、妖艶な薄笑みを浮かべたまま剣を抱くギルベルトと、巨大な製図台の図面を抱えたヴィオラ。
泥濘に塗れた不毛の領地を視察するために完璧に仕立て上げられた、ゴシックな機能美を誇るオルテシアの気高き美貌に、職人たちは一瞬でその言葉を強張らせ、生唾をごくりと飲み込んだ。
(ヴィオラの設計した、このクレイ鋼防弾プレート入りのコルセット……機能美は素晴らしいのですけれど、いかんせんウエストが締め上げられすぎて肺が苦しいですわ!
おまけにこの編み上げブーツ、泥を弾くのは最高ですけれど、ふくらはぎの筋肉がみっちりと固定されて歩くたびにお上品な悲鳴を上げそうですのよ!
静かにしなさい、私のふくらはぎ! ここで私が『ちょっと足が痛いからおんぶして、ギル!』などと弱音を吐けば、私の領主としての威厳が文字通り泥濘の一番深い底へと沈没してしまいますわ。冷徹に、どこまでも冷徹に、大地を踏みしめて立ちなさい、オルテシア……っ!)
オルテシアは脳内でのたうち回るような悶絶を完璧な無表情で押し殺すと、漆黒のロングブーツの踵で泥をカチリと踏み鳴らし、不敵に美しく微笑んだ。
「ハンス。――お試しになります? 皆様が一生をかけて培ってきた『勘と伝統の石畳』と、私のこの『魔法の泥水』、どちらが真に無欠であるかを」
「……試すって、何をですか」
ハンスは、オルテシアの底知れぬ灰色の双眸に射すくめられ、気圧されながらも問い返した。
「簡単な対決ですわ。このキルンから出たばかりの灰色の粉を用いた『コンクリート道路』と、あなた方の『石畳』を、ここから製鉄所へ続く泥道の半分ずつに、今夜のうちに敷き詰めるのです」
オルテシアは優雅に指先で泥道を指し示した。
「空を覆う重苦しい雨雲と、肌にまとわりつく湿気た空気。……今夜は激しい冬の嵐が来ますわ。スピード、耐久性、そして防水性――明日の朝、大雨が上がった時、どちらの道が美しい姿のまま残っているか。……もしあなた方が勝てば、私は皆様に違約金を倍額お支払いし、今後一切、この地盤改良の口出しはいたしません。ですが……」
オルテシアは、すがるように、そしてこの上なく儚げにハンスを見つめた。
「もし私の舗装が勝ったなら、ハンス。あなた方のその『定規と槌』、すべて私の平穏な未来のために、喜んで差し出していただきますわ」
その儚げで健気な、しかし逃げ場のない「お上品なハメ殺し(契約)」の微笑みに、ハンスは職人の意地を激しく滾らせ、大きく胸を張った。
「よおし、受けて立ってやりますよ、お嬢様! 俺たち『石ギルド』の本物の技、とくと目に焼き付けさせてやる!」
*
――ぽつり、と。
その言葉を待っていたかのように、最果ての冷たい夜空から、最初の重い雨粒が漆黒の粘土層へと滴り落ち始めた。




