第024話:私がお前の誇りを、必ず毟り取って見せるわ
製鉄所の熱気が冷め、静かな冬の月光が、クレイ領の湿地を白く照らし出す。
昼の喧騒が嘘のように静まり返り、冬の夜の冷たい静寂が領内を支配するなか、オルテシアは一人、月を仰ぎながら、ブランカの寄り添う広場の隅に佇んでいた。
白銀の毛並みのなか、鈍色に輝くクレイ鋼の爪を見つめていたブランカが、ふと耳を伏せ、黄金の双眸をオルテシアへと向けた。
『オルテシア、聞こえる?』
脳裏に響いたのは、普段の猛獣としての威嚇の唸りからは想像もつかない、静かで、どこか悲哀を帯びた澄んだ女の声であった。
オルテシアは、周囲に誰もいないことを確かめると、いつもの領主としての不敵な仮面をそっと下ろし、一人の女性として、その細い指先でブランカの白銀の額を優しく撫でた。
「ええ、聞こえているわ、ブランカ。……どうしたの?」
『この爪は……本当に素晴らしいわ。触れるだけで、世界がバターのように裂けるのが分かる。……でもね、私、この爪を見るたびに、胸の奥が引き裂かれそうになるの。――あの時、この爪が、この力さえあれば!』
ブランカは、月光に照らされる冷たい湿地を見つめ、脳内でぽつり、ぽつりと、その秘められた過去を零し始めた。
『かつて、この地に攻め寄せてきた王国の軍たち。……私の番い(夫)は、彼らの誇る黄金の鎧を着た将たちを退けるため、その身を挺して群れを守り、そして死んだわ。あの時、私にこの無欠の爪があれば、彼の命を奪った者どもをすべてズタズタに引き裂き、彼を救えたはずなのに。……あやつらは、彼の命を奪うだけでは飽き足らず、その美しかった白銀の毛皮を剥ぎ、ただの「戦利品」として王都へ持ち去ったのよ』
ブランカの黄金の瞳に、静かな、しかし決して消えることのない復讐の炎がゆらめく。
『私の願いは、ただ一つ。あの冷たい王都の宝物庫から、彼の骸を取り戻し、この最果ての泥の中で、安らかに眠らせてあげること。……オルテシア。この無欠の爪と、私のすべての牙をあなたに貸すわ。だから……』
「……言わなくとも、分かっているわ、ブランカ」
オルテシアは、その小さな手のひらを、ブランカの濡れた冷たい鼻先へとそっと押し当てた。
その瞳に宿っているのは、領主としての打算でも、現代知識の傲慢でもない。同じく「孤独な群れの頂点」を率いる者としての、真摯な共感と、冷徹なまでの決意だった。
「私がお前の番いの骸(誇り)を、必ずあの王都の底から毟り取って、お前の手元へと返して見せるわ。王侯貴族どもがそれを暖炉の敷物にしていようが、寝室の飾りにしていようが、一寸の容赦もなくね。……それまでは、お前のその無欠の牙、私に貸しておきなさい。私の、唯一無二の同盟者(親友)」
『……ふふ。ありがとう、オルテシア。ええ、私の牙も、この爪も、あなたのチェス盤を切り開くために、いくらでも使って頂戴』
ブランカは、嬉しそうに、だがお行儀よく、オルテシアの膝元へその大きな頭をそっと預けた。
オルテシアはその極厚の白銀の毛並みに指を沈め、月光を浴びる領地を静かに見つめた。
ルーク(極秘反射炉)という鉄壁の拠点が据え置かれ、ヴィオラというビショップが冷徹に理を撃ち抜き、そして、無欠の牙を得た二つのナイト(ギルベルトとブランカ)が、血と宿命の盟約によって盤面に並び立った。
あとは、この最強の駒たちを、私の指先でただ美しく躍動させるだけ。
王都の羊ども、せいぜい喉を震わせて、私の打ち建てる新世界を指をくわえて眺めていなさい。――あなたたちを奈落へ突き落とすのは、ただの、私が生き残るための合理的な『お仕事』に過ぎないのですから。
冷たい夜風が通り抜ける湿地のなかで、少女と白銀の獣は、ただ静かに、月光を分け合っていた。




