第023話:もふもふ悶絶の笑みが、覇道の笑みに誤解された
白く美しい火花の雨が止み、製鉄所のなかに立ち込める熱気が徐々に薄れていく。
金槌を置き、大きく肩で息をするバルト・クロイツの前に、ついにその「二つの無欠」が姿を現した。
一つは、ギルベルト・クレイのために鍛え上げられた両刃の大剣。
華美な装飾は一切省かれ、ただ実用のためだけに研ぎ澄まされた鈍色の刀身。だが、その表面は不純物のないクレイ鋼ならではの、鏡のような透明な輝きを放っていた。
ギルベルトが静かにその柄を握り、ゆっくりと持ち上げる。
その瞬間、彼の妖艶な面輪に、かつてないほどの驚愕と、それに続く甘やかな陶酔の表情が浮かんだ。
「……信じられん。これほどの大剣でありながら、まるで羽毛のように軽い。いや、重心が私の手首と肩の関節に吸い付くように適合している。……これこそ、私の肉体の延長だ」
ギルベルトは、まるで恋人の肌を愛撫するように、冷たい刀身を細い指先でそっとなぞった。
一度も叩かれず、ただ熱力学的な計算によって不純物を均一に排除された鋼。それが老鍛冶師の経験による「焼き入れ」を経て、絶対に折れず、曲がらない最強の鋭刃へと昇華されたのだ。
「フン、お嬢ちゃんの描いたあの図面がなけりゃ、このバランスは出せなかったさ。……ありがたく使いやがれ、騎士様よ」
バルトは煤けた顔を拭い、照れくさそうに吐き捨てた。ヴィオラは無表情のまま、「ただの事前の重心計算ですわ」と眼鏡の位置を直した。
だが、真の驚異は、もう一つの「無欠」――
白銀の長ブランカの足元に置かれた、クレイ鋼製の流線型カバーブレード『装甲爪牙』であった。
ヴィオラが、バルトの手によって精密に叩き上げられた鈍色の装甲を、ブランカの前脚と鋭い牙へと慎重にボルトで固定していく。
がちり、と重厚な金属音が響き、フィッティングが完了した。
白銀の美しい毛並みのなか、その牙と前爪だけが、不気味なほど冷徹な鈍色の光を放つ超金属で覆われている。
ブランカは自身の大きな前脚を持ち上げ、不思議そうに何度もその爪を見つめた。そして、すぐ傍らに置かれていたぶ厚い予備の鉄板へ、軽くその爪を「シャキィン」と滑らせた。
――ズ、と。
大した力も入れられていないはずの爪が、頑強な鉄板を、まるで柔らかい生クリームのように容易く切り裂き、深々と食い込んだ。
それを見た職人たちが、今度こそ腰を抜かしてその場にへたり込んだ。
ブランカ自身もまた、その「無欠の爪」の威力に黄金の瞳を見開いた。
そして、何を思ったか、他の魔狼たちが羨ましそうに遠巻きに見つめるなか、ブランカはお行儀よくお座りをし、スッと前脚を持ち上げて、オルテシアに向かって「お手」の姿勢を取った。
「主よ、見て」とでも言いたげな、この上なく誇らしげで、神聖で、かつ最高に愛らしいドヤ顔であった。
そのオルテシアは、純白のドレスの裾を上品に整えたまま、冷徹な領主の仮面をピクリとも動かさずに、その光景を静観していた。
――だが。その鉄仮面の裏側で、彼女の脳内は尊さの過剰摂取によって再び肺胞が決壊しかける大暴走を起こしていた。
(お、お、おーほほほほ!!! だ、誰ですかあんな『神聖にして不敵な絶対強者』のビジュアルのまま、私の前で最高にお上品なお座り姿勢をとり、『見て、オルテシア!私の新しい爪、こんなに凄いのよ!』と言わんばかりにスッとお手を差し出してくる白銀の破壊神は……っ!!!
プラチナ白銀の極上もふもふ毛並みの隙間から覗く、クレイ鋼の冷たくて硬い鈍色のカバーブレード……! そのギャップが、冷酷な金属の機能美ともふもふの温もりの奇跡のキメラが、私の全細胞を狂おしいほどの多幸感(脳内麻薬)で破壊し尽くしそうですわ!!!
見てごらんなさい! お上品に顎を少し引きつつ、黄金の双眸をキラキラと輝かせて、耳をこれでもかと前向きにピンと直立させているあの健気な誇らし顔! そして何より、喜びを抑えきれずに背後でブンブンと大回転している白銀の大尾が、製鉄所の床の煤を盛大に舞い散らせて、ちょっとした気流の竜巻を引き起こしているのが丸見えですわよ!! 可愛い! 世界で一番、宇宙で一番偉くて尊い私の騎士ですわ!!
あああっ、今すぐ領主の椅子を放り投げ、その鈍色に輝く最強の爪を両手でぎゅっと包み込み、そのままあのプラチナ白銀の胸元に顔をズボォォと埋めて、肺胞がはち切れるまでその濃厚なもふもふの香りをスーハースーハー吸引(狼吸い)したい……っ!!!
他の魔狼たち!『ブランカお姉ちゃんずるい、ボクたちもナデナデして……』とばかりにお耳をヘニャリと垂らし、まるで巨大な濡れた毛布のようになって順番を待っているあの健気なもふもふの群れ! 愛おしさが限界突破して、今すぐクレイ家の全財産を注ぎ込んで最高級の骨付き肉を買い占め、彼らの足元へピラミッドのように貢ぎ奉りたくなりますわ!!!
落ち着きなさい、私の胸のエンジン(心臓)! ここで私が『可愛いねぇぇぇえええ!よしよしよし!ブランカァァァアアア!』と幼児退行してダイブすれば、私の領主としての威厳が文字通り最果ての泥濘の一番深い底へと沈没してしまいますわ。冷徹に、どこまでも冷徹になりなさい、オルテシア……っ!)
――だが、今回ばかりは、あまりの尊さに完全に押し殺しきれなかった。
オルテシアの端正な口元が、堪えきれずに震え、口角がゆっくりと吊り上がっていく。
「……くふっ」
喉の奥から、思わず漏れ出てしまった小さな吐息。愛おしさの限界飽和による震えが、その華奢な肩を小刻みに揺らす。
だが、オルテシアは自らの領主としての威厳を死守するため、必死にその震えと、こぼれそうになる満面の幼児退行スマイルを『冷徹な鉄面皮』の下へと抑え込もうとした。
結果として。
プルプルと肩を震わせながら、震える口元をなんとか優雅な微笑の形に歪めて見せた少女の表情は、周囲の者たちの目には――とてつもなく冷酷で、底知れぬ企みに満ちた、悪魔的なまでに『蠱惑的な笑み』として映し出されていた。
ゾクゾクッ、と。
それを見つめていたギルベルトの背筋に、甘美なまでに冷たい戦慄が走り抜けた。
(……おお。我が主は、クレイ鋼という無敵の力を得て、早くもこの世界そのものをチェス盤の上でどうハメ殺すか、その血塗られた勝利の青写真を脳内に描き、愉悦に震えておられるのだ。なんという美しくも恐るべき、深淵の覇道の笑み……!)
ギルベルトは恍惚とした瞳で、再び己の狂信を限界まで加速させ、胸の前でクレイ鋼の大剣を強く抱きしめていた。
「……こほん」
その時、極めて無味乾燥な咳払いの音が、製鉄所に小さく響いた。
眼鏡の位置を直し、冷静きわまる眼差しでこちらの様子を窺っているヴィオラからの、冷淡な注意であった。
ハッ、とオルテシアは我に返った。
(い、いけませんわ! 私、もふもふのあまり一瞬だけ意識が天界に旅立っておりましたわ!)
オルテシアは、まるで何事もなかったかのように「スン……」と表情を瞬時に凍りつかせ、いつもの絶対零度の冷静さを取り戻すと、何食わぬ顔で羨ましそうにしている他の魔狼たちを見渡した。
「お前たちの爪も、今後の働き次第ですわ。……励みなさい」
「――ウォォォン!!」
その言葉を聞いた魔狼たちが、一斉に天を仰いで歓喜の遠吠えを上げた。
「ボクたちも頑張って働いて、お嬢様からカッコいい爪をもらうんだ!」と、最果ての魔獣たちが、完全にクレイ家の最強の忠誠者(社畜)へと調律された瞬間であった。
製鉄所の外へと響き渡る、地を這うような重厚なる歓喜の遠吠え。それは最果ての空へと吸い込まれ、泥湿地全体に、かつてないクレイ家の圧倒的な活気と熱風を運んでいた。
吹き抜ける風のなかで、オルテシアは静かに冷たい表情を湛えつつも、その胸の中は、最強の獣たちを手懐けた確信と、もふもふたちの愛らしさへの余韻で、心地よく満たされていた。




