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第021話:火花すら散らず、名刀は真っ二つになった

 泥湿地のただ中にそびえ立つ、不気味なドーム型の『極秘反射炉(ルーク)』。その巨大な煙突から、重く赤黒い熱気が寒空へと吐き出されていた。


 炉の前に陣取る「金槌と炎(鉄ギルド)」の鍛冶師たちは、誰もが腕を組み、冷ややかな視線をその石の巨躯に投げかけていた。

「けっ、お嬢ちゃん。ハンスたちに煽られてガワだけは一寸の狂いもなく組んでやったがよ。……鉄ってのはな、炭の熱の中に直接ぶち込んで、不純物を叩き出して鍛え上げるもんだ」

 老鍛冶師バルト・クロイツは、鼻で笑いながら腰に帯びた自慢の愛刀を叩いた。彼が王都のギルドで裏切られるまでに培った、伝統的な折り返し鍛造の極致を尽くした、至高の名剣。

「こんな、石の天井に熱を反射させて、炭を触れさせずに間接的に鉄を溶かすなんて、ただの生ぬるい湯沸かし器だ。そんな軟弱な熱で、鉄がまともに溶けてたまるかってんだ」


 ガワの建設は手伝ったものの、鉄づくりという職人の絶対の聖域において、バルトはまだ一切のプライドを曲げていなかった。彼らにとって、ヴィオラの設計図は「机上の空論」をこねくり回した異端の玩具に過ぎなかったのだ。


「ハンス、そしてバルト」

 ヴィオラ・ライブラが、色温度を測定する特殊なガラス鏡と精密な計時器を手に、覗き窓を覗き込みながら淡々と告げた。

「その凝り固まった古い経験則は、これより始まる物理法則の前に、跡形もなく融解することになりますわ」


 ヴィオラが静かに右手を挙げ、合図を送る。

 炉の背後に据えられた巨大な『木製回し車ふいご』。そこに立つ白銀の王ブランカたち嵐魔狼(シュトゥルム・ヴォルフ)が、深く、地の底を揺らすような呼吸を合わせ、美しい四肢の筋肉を躍動させて走り始めた。


 ハッ、ハッ、と、凍える空気に白い蒸気となって立ち上る、獣王たちの堂々たる重厚な息遣い。

 彼らの爆発的な駆動力が生み出す、規格外の超高圧の熱風が、炉の燃焼室へと送り込まれていく。

 轟、と大気を引き裂くような劫火の音が響き、炉内の温度は人間のふいごでは到達し得ない、融点千五百度を一気に突破した。


「な、なんだこの凄まじい熱風は……!? おい、正気か!」

 熱波に顔を覆いながら、バルトが目を見開いて叫んだ。

「そんなに凄まじい風を送り込んだら、鉄が酸化してただの灰になっちまうぞ! 鉄が死んじまう!」


「いいえ。死ぬのではなく、生まれ変わるのです」

 ヴィオラは、眼鏡の奥の瞳を冷徹に細め、絶対零度の確信とともに言い放った。

「これは『燃焼』ではなく『選択的酸化』。燃えているのは鉄ではなく、その不純な液体のなかに潜む余分な『炭素』に過ぎません。炭素含有量を正確に四・三パーセントから、わずか〇・二パーセントへと引き下げる……。それが、もろい鉄を、強靭な『鋼』へと昇格させる絶対の数式ですわ」


 時が満ちた。

「栓を抜きなさい」


 ヴィオラの冷徹な指示に従い、職人が炉の底の粘土栓を打ち破る。

 その瞬間、職人たちの罵声が消えた。

 流れ出したのは、眩いばかりの白い光を放つ、完璧に液化した液体金属だった。それは炭の燃え殻やスラグ(気泡)をほとんど含まず、まるで液化したガラスのように、美しく澄んだ流動性を持って砂の鋳型へと吸い込まれていく。


 冷やされ、型から取り出されたのは、何の装飾もない、ただのくすんだ灰色の「一本の四角い鋼の棒」。


 バルトは唾を吐き捨て、折れた自尊心を無理やり繋ぎ止めるように言った。

「……フン、なんだ。叩かれもせず、ただ型に流し込んで冷やしただけの鋳物じゃねえか。そんな叩かれてねえナマクラ、俺が精魂込めて鍛え上げた愛刀なら、豆腐みたいに両断してやるぜ」


「いいでしょう。では、皆様の伝統と、私の物理――どちらが優れているか、試してみましょう」

 背後に佇んでいたオルテシアが、氷のような美しい微笑みをたたえて告げた。


 ギルベルトが、その「ただの灰色の鋼の棒」を、黒石の金床の上にしっかりと固定する。

 バルトは大きく息を吸い、鍛冶師としてのすべての技術、体重、そして魂の熱量を愛刀に込め、全力で金床の上の鋼へと斬りつけた。


 ――キン。

 乾いた、あまりにも短い金属音が響いた。


 火花すら散らなかった。

 バルトが一生をかけて信じてきた、伝統の結晶たる名剣が、根元から美しく、まるでおがくずのように真っ二つにへし折れ、泥濘の中に転がった。


 対して、金床の上のクレイ鋼は、折れるどころか曲がりすらしていなかった。刃が当たった箇所に、わずかに白い擦り傷が一本、ついているだけだった。


「な、バカな……! 俺の、俺の最高傑作が……ただの叩かれてもいねえ鉄の棒に……!?」

 バルトは折れた愛刀の柄を握りしめ、呆然と跪いた。


「伝統の折り返し鍛造は、鉄の中の不純物を偏らせ、極小の『裂け目』を内部に無数に内包します。対してこのクレイ鋼は、熱力学的に不純物を極限まで均一に排除し、さらに特定の元素を微量に添加することで、外部からの衝撃を分散する『靭性(じんせい)』を宿している」

 ヴィオラが冷徹に解説を付け加える。

「たたく必要など、最初からございません。これは、最初から寸分の狂いもなく『無欠(完成)』しているのですから」


 己の一生をかけた「勘と伝統」が、一度も叩かれていない、計算通りの物理の前に完敗した。

 だが、呆然と泥の中に跪くバルトの瞳に宿ったのは、絶望ではなかった。それは、狂おしいほどの職人としての渇望と、歓喜に満ちた火であった。


「バカな……なんだこの粘りは、この硬さは……! これだ、俺が一生をかけて、王都のギルドで奴隷のように搾取されながら、ずっと叩きたかった『本物の鉄』は、これだったんだ……っ!」

 バルトは、泥を気にする様子もなく、オルテシアの純白のドレスの裾に触れることすら恐れ多いというように、深く、深く頭を垂れた。

「お嬢様……いや、オルテシア様。お願いだ、この鉄を、俺に叩かせてくれ。この鉄を鍛えさせてくれ……っ! 俺たちの魂を、すべてあんたに捧げる!」


「よろしくてよ、バルト。存分に、お前の魂を私のために築き上げなさい」


 オルテシアは、完璧な「領主」としての冷徹な仮面をポーカーフェイスのまま美しく微笑んだ。

 だが、その冷たい灰色の双眸の裏側で――彼女の脳内は、再び歓喜の嵐に打ち震えていた。


(おーほほほ! 釣れましたわ、極上の大物が! 王都のギルドに燻ぶっていた極上の職人魂が、自ら喜んで私の首輪(終身雇用)を嵌めにやってきましたわ!

 職人のプライドなんて、ただの燃費の良い最高品質のガソリンですのよ。ええ、ただの、私のために命がけで新世界を築き上げさせるためのガソリンですわ!


 かつて私の魂の奥底、前世の夢のビジョンに眠る、鉄と強固な土台で築かれたあの『摩天楼』、あるいは海を渡る巨大な『鉄の巨船』……。

 それらの骨組みを支えていた、あの無敵の『構造用鋼(スチール)』。その偉大なる文明の骨格を、この最果ての泥湿地から再現して差し上げますわ!)


 オルテシアは、脳内で高らかに勝利の歌声を響かせながら、ゆっくりと仮想のチェス盤へ指を伸ばした。


(おーほほほ! ルーク(極秘反射炉)という鉄壁の拠点が完全に据え置かれ、ヴィオラという頼もしいビショップが冷徹に物理の数式を撃ち抜き、ブランカという美しいナイトが風を呼び、そして泥まみれのポーン(職人たち)は、ついに最強の『クレイ鋼』という牙を得て、新時代の兵器を鍛える永久機関へと成り代わった(プロモーションした)……。


 あとは、この最強の駒たちを、私の指先でただ美しく躍動させるだけ。

 王都の羊ども、せいぜい喉を震わせて、私への貢ぎ物となる悲鳴の準備を整えなさい――)


 オルテシアは優雅に踵を返し、その場を去ろうと静かに歩みを進めた。

 純白のドレスの裾を汚さぬよう泥濘を避けた彼女の、美しく磨き抜かれた靴の先が――ふと、冷たい泥の中に無惨に突き刺さっていた、バルトのへし折れた『名剣の残骸』に触れる。

 王都の権威、ギルドの自尊、そして古い経験則の、あまりにも呆気ない敗北の証。

 オルテシアは表情をひとつも動かさぬまま、その折れた古い刃を、靴の踵で静かに、そして深く泥濘の底へと踏み沈めていった。古い歴史の埋葬。そこには一筋の躊躇も、憐憫も存在しない。


 その背後で、もはや領主の姿すら目に入らぬほど狂おしく、バルトは新たな『クレイ鋼』へと一心不乱に金槌を振り下ろし始めていた。

 ――ガツン! ガツン!

 冬の夜の闇を切り裂いて飛び散る、白銀の星屑のような、あまりにも清澄で無欠な火花の嵐。


 ただ、その冷たく冴え渡った火花の雨に背を向け、オルテシアは暗がりのなかで、お上品に、どこまでも冷酷に微笑んでいた。

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