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第017話:感謝の涙が、反発の怒号に変わったその瞬間

 数日後、クレイ領の中央広場には、王国内のあちこちから集まった、煤で汚れた粗末な身なりの男たちが立ち尽くしていた。


 彼らは、北西のガルドナー伯爵領や、物価の高騰と大貴族の搾取で食い詰めていた王都周辺の、行き場を失った腕利きの鍛冶職人、鋳造職人、そして石工たちであった。

 王国に渦巻く不況と重税、あるいは戦乱によって、伝統ある工房を潰され、泥を啜るようにして飢えを凌いでいた彼らは、「最果ての僻地クレイ領で、職人を募集している」という風の噂を頼りに、半信半疑でやってきたのだ。


「おい、本当にこんな何もない泥湿地で、まともな仕事があるのかよ……」

「騙されて、魔境の魔獣の餌にされるんじゃねえだろうな」


「――静粛に(サイレンス)」


 ギルベルトの、低く、しかし驚くほどよく通る声が広場を圧した。

 重厚なクレイ城の扉が開き、純白のドレスを纏った少女が、影のような騎士ギルベルトと、眼鏡をかけた知的な少女ヴィオラを伴って姿を現した。


 オルテシア・クレイ。

 その透き通るような白い肌と、一切の汚れを知らない聖女のようなか細く慈愛に満ちた微笑みに、職人たちは息を呑んで静まり返った。


「ようこそ、我がクレイ領へ、偉大なる技術(ちえ)の守り手の皆様」


 オルテシアの鈴の音のような美しい声が、静寂に響き渡った。


「皆様のなかに、かつて王都や大諸侯の元で、素晴らしい鋼を鍛え、石を積みながらも、強欲な支配者たちにその価値を奪われ、飢えに喘いでいた方がおられると聞き、本当に胸が痛みましたわ。……ですが、どうぞご安心ください。我がクレイ家は、あなた方のその煤に汚れた、しかし何よりも気高く尊い『手の知恵』を、世界で最も高く評価いたします」


 オルテシアは、傍らのギルベルトに目配せをした。

 ギルベルトが静かに合図を送ると、従者たちが数個の重厚な木箱を運び込み、職人たちの目の前で蓋を開けた。


 ガシャリ、と心地よい金属音が響き、中から現れたのは、眩いばかりの『王立クラウン金貨』の山であった。


「我がクレイ家は、皆様を奴隷のようにこき使うつもりなど毛頭ございません。あなた方の技術に対し、市場価格の三倍――【月給一クラウン(金貨1C)】をお約束いたします」


「げ、月給一クラウン……!? 市場の、三倍だと!?」

「それに、温かいジャガイモのスープと、焼きたての白パン、そして暖房の完備された清潔な宿舎も、すべてクレイ家の名において無償で提供させていただきますわ」


 広場に、地鳴りのようどよめきが沸き起こった。

 月給1C(約六万円)といえば、腕の立つ傭兵が半月命をかけて戦ってようやく得られる大金であり、飢えに喘いでいた職人たちからすれば、まさに天から降ってきた救済の光に他ならなかった。


「お、オルテシア様……! 俺たちのような、社会の底辺に落ちぶれた泥まみれの職人を、それほどまでの敬意と大金で迎えてくださるというのですか……っ!」


 職人たちが次々と感動の涙を流し、ひれ伏しようとした――その時であった。


「――待ちきれねえな。そんな美味い話が、本当に転がってるのかよ」


 広場の最前列から、不快そうな濁った声が上がった。

 進み出たのは、酒臭い息を吐きながら、煤けた顔に不敵な笑みを浮かべた偏屈そうな老鍛冶師であった。

 その太い腕には、無数の火傷の痕と、長年金槌を握り続けた肉厚のタコがある。男の名はバルト・クロイツ。かつて王都の特権ギルドの幹部たちに裏切られ、クレイ領まで流れてきた凄腕の頑固者だった。


「お嬢ちゃん、俺たちを雇ってくれるって心意気は感謝するがよ。俺たち職人は、ただの肉体労働者じゃねえ。……おい、あんたが配ったその奇妙な『図面』は一体なんだ?」


 バルトが、クレイ家に到着した際に配られた羊皮紙をひらひらと揺らした。


「燃焼室と加熱室を分けて、天井の熱を反射させる『反射炉』だと? ふん、職人を舐めるんじゃねえぞ。鉄ってのはな、炭の中に直接ぶち込んで、人間のふいごで、職人の長年の勘に頼って風を送り、不純物を見極めて叩き上げるもんだ。こんな奇妙なドーム型の炉なんかで、まともな鋼が鍛えられるわけがねえ! そもそも、大型の送風機(ふいご)を回す動力として、巨大な木製の回し車を造り、そこに魔獣(魔狼)をぶち込んで走らせるだと!? 狂ってやがる!」


 バルトの叫びに応じるように、もう一人の男が前に進み出た。

 背中に巨大な石工の定規を背負った、若く実直な石工頭、ハンス・グレーバーであった。


「バルトさんの言う通りです、オルテシア様」

 ハンスは、眼鏡の奥の真面目な瞳を厳しく細めた。

「さらに、この図面にある『近代セメント窯』とは何ですか。ショア湊の浚渫泥と、シルト領の粘土を合体させ、高温で焼いて『岩のように固まる魔法の泥』を造るだと? そんな安直な泥水を流し込んで作った道路が、まともな強度を保てるはずがない。我々石工は、何千年もかけて石を平らに切り出し、丁寧に敷き詰める『石畳』こそが唯一の舗装道路だと信じています。このようなまがい物の泥遊び、職人の名誉にかけて、我々『定規と槌(石ギルド)』は手伝うわけにはいきません!」


 職人たちの間に、一転して不信と反発のざわめきが広がっていく。

 さらに、広場の隅に控えていた辺境の馭者頭、ヨハン・クローラーが荒々しく鞭を鳴らして叫んだ。


「お嬢様! 荷車の車輪を『クレイ鋼』で補強し、そこに嵐魔狼(シュトゥルム・ヴォルフ)を繋いで、時速四十キロで激走させる『魔獣ロジスティクス』だと!? 人間を襲う凶暴な魔獣に手綱を握らせるなど、正気の沙汰じゃねえ! そんな危険な現場、俺たち『車輪と街道(馬車ギルド)』はサボタージュさせてもらうぜ。馬を愛する馭者として、あんなバケモノと一緒に仕事などできるか!」


「そうです!」「伝統を舐めるな!」「魔獣に食い殺されたくねえ!」


 3大ギルドの代表者たちの反発に、職人たちは拳を突き上げて怒号を上げた。

 王都や他大領の特権ギルド本部に君臨する、巨大な既得権益の影。あるいは、何千年も培ってきた職人の意地が、オルテシアの「急進的な近代的合理性」に対して、分厚い壁となって立ち塞がったのだ。


 一触即発の不穏な空気が広場を支配する。ギルベルトが静かに剣の柄に手を伸ばし、ヴィオラが怯えて後退しかけた、その時――。



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