2、螺旋の力
気が付くと、陸は青い光の中にいた。
暑さも寒さも感じない。不快なものが何もない安らぎの空間だった。
手足の感覚はあるが、歩き出しても顔を動かしても、景色は変わらない。
自分の手を見つめてみた。しかし視界に自分の手が映らない。
「ここはどこ?」
陸がそう言うと、自分の声はたしかに自分の耳に入った。
「僕の手はどこ? 足も見えない。僕の体が無くなってる?」
陸は視線を自分の体のほうに向けたが景色は同じ青い光だけ。
そうこうしていると、女性の声が聞こえた。
「おかえり、神龍」
「は?」
陸は声のしたほうに目を向けたが、何も見えなかった。
「くそ、どうなってるんだ? 変なことに巻き込まれて僕は消えてしまったのか?」
陸は何とか現状から逃れようとじたばたした。しかし何も変わらない。
陸がとまどっている間、M25コロニーではさまざまなことが起こっていた。
まず螺旋が格納庫から突如として消え去ってしまった。
科学者たちは螺旋を探すために、M25コロニーのあらゆるセンサーをモニターした。
「螺旋と思われる物体が月面衛星軌道を離脱して火星方向に飛んでいきます。速度は……」
速すぎる。次の言葉をしゃべる前に螺旋は火星に激突した。
すさまじいエネルギー波が観測された。
「火星に激突。推定38500マッハ!」
「38500マッハだと?」
ケネディは狼狽した。自身の名前がつけられた最速の宇宙船、ケネディ号の最高速度を200倍以上も上回っていた。
「で、火星に衝突した後、螺旋は?」
「火星軌道を越えた後、こちらに戻ってきます。かなり不規則な動きです。重力波がはちゃめちゃです。こちらにも影響が及びかねません」
「火星に激突してもなお螺旋は無事というのか?」
どこを驚けばいいのかわからなくなっていた。冷静な科学者たちも狼狽せざるを得なくなっていた。
そんな中、まったく表情を変えなかった総理大臣の恵梨香はコンピュータ画面を見つめていた。
「螺旋はコントロールされているのか? 陸が動かしているのか? それとも勝手に動いているのか?」
「彼がコントロールしているのではないでしょうか?」
恵梨香が初めて口を開いた。ケネディは恵梨香のほうに目を向けた。
「狭間陸少年も現状にとまどってパニックになっているのでしょう。螺旋の動きを冷静に分析しますと、水の中で溺れる人間の体の動きに酷似しているように見えます。少年が冷静さを取り戻せば螺旋を制御できるかもしれません」
恵梨香は淡々と早口にそう述べた。
「1つだけ言えることは車を操縦した経験のない子供がアクセルとブレーキもわからず暴走しているということです」
恵梨香のその言葉はみなを納得させたようだ。
「螺旋と通信を取る方法はないのか?」
「申し訳ありません、彼に通信チップを持たせておくべきでした。申し訳ありません、申し訳ありません」
科学者の一人が頭を下げた。日本人の科学者と思われた。その後、何度も謝罪をした。
「神に祈るしかないということか」
ケネディは慣れた様子で祈りを捧げた。
陸はようやく現状を心得ようとしていた。
「こうすれば見えるんだ。宇宙が、こうやって……」
陸は目を細めたり開いたり閉じたりしているうちに、何かを体得していた。
「見えた、あの星は……」
陸は巨大な星を眼前に捉えていた。
「見たことある。たしか木星とかいうやつ……」
陸は宇宙に興味はなかったが、たしなむ程度に木星の画像ぐらいは見たことがあった。
「木星に向かってる。何とかしないと。こうか? こうすれば?」
陸は頑張って体をくねらせたり飛んだり跳ねたりした。
しかし思ったように動かなかったようで、螺旋は木星に突っ込んだ。
「うわああああああ……ってなんともないぞ。体がなくなってしまったから、どこにいってもへっちゃらなのか?」
陸は木星の中をさまよっていた。
変な光や濃い土色の霧が眼前を覆いつくしている。
しかし目を細めると、それらを透過してその先を見ることができることに気が付いた。
「なんかある。なんだあれは?」
陸は巨大な蛇みたいなものを眼前に捉えていた。巨大な蛇だった。
目に止まったのは一瞬だけ。陸は一瞬でその位置を通り過ぎて行った。
じたばたすること小一時間。
陸はついに自分の体をコントロールできるようになった。
走る、止まる、振り向く、手を挙げると言った基本動作、そして、かつては備わっていなかった飛ぶ、目が届かない場所を見る、人の体では感じられないものを感じると言った能力にも気が付き始めた。
陸は自分が最終兵器、螺旋を操っているという事実を理解した。
「これが螺旋なのか……不思議な感じだ」
何かロボットを操縦している風でもなく、自転車に乗っている風でもない。
自分自身のようであり、しかし自分の体ではない何かとつながっている。
「ひとまず戻らないと。たしか月の軌道にあるコロニーだったな」
陸は月を探した。
螺旋の力の1つなのか、自分の目が届かない場所を見ることができた。
陸の視界に月と思われる星が映った。
「月だ。方角は……こっちだ」
陸は大地を蹴った。宇宙空間の力学はまったく勉強していなかったが、螺旋を媒介すれば自分の体をコントロールできた。
通学路を歩くように、バス停まで急いで走るように、陸は月があると思われる方向に踏み出した。
気を付けなければならないのは、自分の体の感覚で走ると、すさまじい速度になること。
陸は学校で下から2番目に足が遅かった。それでも、いまは最速の男。
陸はある程度、螺旋の速度をコントロールできるようになってきた。
どのように踏み出せばどれぐらいの速度が出て、どうすれば減速することができるか。
しばらくして火星を視界に捉えた。螺旋の視界と人間の視界にどれほどの差があるのかはわからない。
火星が間近なのか、まだはるかに遠いのか。火星までの距離が約100キロなのか見当もつかない。
何度も訓練をすればそうしたこともわかるようになるのかもしれない。
陸は嬉しそうな笑みを浮かべた。
螺旋と共にある時間を楽しいと感じるようになっていた。
まるでスーパーマンになったような感覚だった。
このときはまだ、宇宙戦争を戦うことなど頭になかった。
螺旋と共に散歩をしている感覚。いまはその感覚に集中していた。




