第7話 留置場
冗談?
なんだよ。やめてくれよ。洒落にならんだろ。こんなところで。
じゃあ、詐欺罪は、なし。ってことでいいんだな。
段々目の焦点が合ってきた。視界がはっきりしてきた。
すると、男の胸にネームプレートがあるのが見えた。「常村」と書いてある。
男の顔をよく見ると、目が吊り上がっていて「キツネ目の男」によく似ていた。
グリコ・森永事件でテレビに何度も出ていた、あのモンタージュの顔だ。あの釣り目は嫌でも記憶に残っている。
俺はこの男を『キツネ村』と呼ぶことにした。
キツネ村の机の上には六法全書が開いて置いてあり、蛍光ペンで何本も線が引いてあった。
この人、法律の勉強してたのか。
昇級試験でも受けるつもりなのだろうか?
そうか、それでさっき「刑法第何条ナンチャラカンチャラ」とすらすら口に出たのか。
さらに、その六法全書の横にはページを開いて伏せてある一冊の文庫本があった。
たった今、読んでいた本なんだろう。
表紙を見ると、つかこうへいの「小説 熱海殺人事件」だ。
ああ、こいつ。それでああいうノリだったのか。
この男、キツネ村は単に留置場担当の警察官だった。
俺を留置場に入れる前に、持ち物検査をすると言った。
そこでようやく現状認識ができた。
そうか、俺はこれから留置場に入るのか。
場所を変えて、第二第三の取り調べが始まる。とか、水責めのような拷問があるかもしれない。なんていう心配はどうやら取り越し苦労だったようだ。
その、目つきの悪い、留置場担当のお巡り『キツネ村』は、
俺を留置場に入れる前に、
「持ち物検査をするから、ポケットの中のモノを全部出せ」
と言ってきた。
財布、タバコ、鍵などを机の上に全部出した。
財布の中には千円しか入っていなかった。
昨日の日当1万5千円を貰ってないので、そんなもんだ。
私物はこちらで預かるぞ。と言われ、それらをズタ袋に入れられた。
「ベルトとヒモも外せ。そういうの使って、中で首吊るバカがたまにいるからダメなんだ」
と聞かされた。
俺はジーンズからベルトを外し、パーカーのフードからヒモを抜き取った。
それもズタ袋に入れられた。
一旦服を脱がされ軽い身体検査を受けた。
そのあとキツネ村は、パーカーの袖口やジーンズの裾などを、手で揉む様にして丹念に調べていた。
針一本入っていてもダメらしい。それで喉を突き刺せば自殺が可能だからだ。
随分と細かいチェックをするんだな。と思いながら俺は一旦脱いだ服を、また着た。
「お前、ブタ箱に入れられるのは初めてか?」と、キツネ村。
「はい」と返事をした。
「中にいるのは、お前と違って、出たり入ったりしている連中ばかりだぞ。極悪非道の限りをつくした鬼畜の集団だよ。逆らったりするなよ。ケツ出せって言われたら、出せよ。しゃぶれって言われたら、しゃぶれよ。問題起こすんじゃねーぞ。わかったな」
俺は、またしてもこわばって固まった。
それだけはイヤです。絶対イヤです。
声は出なかったが、限りなく涙目で訴えた。
どうか、それだけは、ご勘弁を。
「冗談だよ。バカ」
と、キツネ村がまた鼻で笑った。
今のはどこまでが冗談なんだよ。
ケツ出せ。や、しゃぶれは冗談なんだろうが。
鬼畜の集団。っていうところはどうなんだ。
あり得なくないぞ。留置場だぞ。ブタ箱って隠語で呼んでいるぐらいだぞ。
本来そういう鬼・畜生を留め置く場所じゃないのか。
そこに入るのか俺は。
一気に緊張感が高まった。
「じゃあ、みんなとご対面させるからついてこい」
と言って、奥にある重たそうな鉄の扉の鍵を外し、引き戸になっているその扉が開いた。今居たのは留置場の前室だった。担当警察官が雑務を行う部屋だ。
その部屋の奥の扉が開き、留置場がある本室に入れられた。
薄暗い。酸っぱい匂い。
どんよりした異様な空気が立ち込めていた。
鉄格子の部屋、所謂、牢屋がいくつか並んでいる。
中には人相の悪い男達。ジャージを着ている。
背中を丸くし、あぐらをかいて座っている。
本物の犯罪者だ。鬼畜の皆さんだ。
俺は茫然と、突っ立ったままになった。
「みんな、新入りだ。新入り。こいつ捕まったのは初めてだから、宜しく頼むぞ。なにやってんだ。挨拶をしろよ」
キツネ村に言われた。
「古屋健司と言います。新人です。よろしくお願いします」
俺は、失礼のないように、背筋を伸ばしてきちんと頭を下げた。
「さて、お前の入る房なんだが・・・」
房とは、牢屋の事である。
それぞれの房には、二人もしくは、三人ずつ男が入っている。
その房が七つか八つ横に並んでいる。
キツネ村は辺りを見回して、三人入っている房の前に立った。
その中の一人を指して、
「こいつ、このゴツイ奴。ヒト三人ぶっ殺したんだよ。メッタ刺ししてな・・・」
「で、その横にいるメガネ。こいつはヤクザの鉄砲玉。籠城して拳銃ぶっ放して、警察と銃撃戦だよ。捕まえるのに苦労したんだよこいつ・・・」
「で、奥にいるのが、アレは変態だぞ。少年を犯して捕まったんだ。何人犯したんだっけ。そっか、6人か・・・・・」
「お前、ここに入るから」
俺はキーンと固まった。
マイナス196度で瞬間冷凍されたようだ。
もういっそ、自分の中身をくり貫いてはく製になりたかった。
それはないよ。いきなりハイレベル過ぎるだろ。こちとら、日本一の新人だぞ。
ほかに、スリとか痴漢とか、こっちの身の丈に合った人達がいるだろうよ。
――無理だ。無理だ。無理だ。
と、ほとんど意識を失いかけた。
「冗談だよ。お前は隣の独房だ」
キツネ村がまたもや鼻で笑っていた。
俺は、このキツネ村に脅かされるだけ脅かされた。
そして、狭い独房から留置場生活をスタートさせることになった。
独房に入ってあぐらを掻いて座ると、確かに薄いカーペットがひいてあり、暖房も効いている。が、ほかには何もない。
引っ越し先の内見に来たみたいに、殺風景な部屋だ。
一人になると先の見えない不安と恐怖が怒涛の如く襲ってきた。
もうおしまいだ、人生終わった。
と頭を抱えて床に寝転がった。当然、その夜は一睡もできなかった。
それでも朝はやってくる。
留置場の一日は退屈だ。
朝六時に起こされ、七時に飯、八時に体操。
あとは食って、寝て、呼ばれるのを待つだけだ。
取り調べで呼び出しがなければ死ぬほど暇だ。
常時、監視席に担当警察官(以降、担当さんと呼ぶ)が交代で座っている。
監視といっても、通常は檻の中を覗き込むようなことはしない。
椅子に座って本を読んだりしている。実は担当さんもけっこう暇だ。
朝起きるとすぐに点呼がある。
俺は接見番号8番をつけられたので、1、2、3・・・「ハチ」と叫ぶ。
接見とは面会のことだ。家族や友人と面会室(接見室)で会うことを接見という。
点呼が済むと、顔を洗う。
洗面所が房の目の前にあり、この時には房から出して貰える。
俺は手ぶらで来たので歯ブラシも石鹸もタオルも持っていない。
署内に売店があり自分のお金で買えると聞いた。
担当さんに頼んでとり合えず買って来てもらった。
持ち金の千円はそれでほとんど消えた。
洗面が終わると掃除をする。
洗面所、房の周り、房の中。二台しかない掃除機を使い回す。
終わったらまた点呼だ。「ハチ」と叫ぶ。
基本、房から出る時、戻った時は、必ず点呼がある。
意外だったのが、朝8時の運動という時間が楽しみだったことだ。
と言っても運動はしない。ラジオ体操を適当にするぐらいだ。
運動場と言っていたが、結構広い、20畳ぐらいのベランダがある。
横も上も鉄格子で囲まれていて、大きな鳥籠のような場所だった。
唯一、空が拝める場所だ。
最初、俺は何だろうと思った。
みんなが「よっしゃ、体操だ」「早く体操行こうぜ」と、嬉しそうだからだ。
ベランダでラジオ体操を終えてみると、なんと、タバコが吸えるのだ。
自分の私物袋から二本だけ出して用意されていた。これには感動した。
トイレは房の中にある。
房の一番奥にむき出しになっている。和式だ。
腰ぐらいの高さの、石板のついたてがあり、大をする時しゃがむと体は隠れる。
水洗レバーはない。小をした後は担当さんに「便水お願いします」と申告する。
すると、担当さんがボタンを押して水を流してくれる。
大をする時は「ロングお願いします」と言う。
今度は長めに流してくれる。
その間に用を足す。匂いが立ち込めるのは我慢する。
風呂は5日に一回。浴室には5、6人は入れる浴槽がある。
が、15分で出なければならないので、体を洗うのが精一杯だ。
湯舟に浸かる余裕などない。
それでも光速で体を洗って、少しでも長く湯舟に浸かりたがる猛者が必ずいた。
飯は弁当だ。
夕飯は、赤いプラスチックの弁当箱が二つ。麦飯とおかず。
味がうすく大して美味くはない。――所謂、くさい飯だ。
黄色のプラスチックのお椀が渡される。
白衣を着た、給食のおじさんみたいな人が
「味噌汁だけはたっぷり飲めよ」
と、ヤカンから味噌汁を注いでくれる。
朝飯は赤い弁当箱が一つ。麦飯に漬物がのっていた。
相変わらず「味噌汁だけはたっぷり飲めよ」と注いでくれる。
さて昼飯だ。俺はこれが一番楽しみだった。
量は少ないのだが、小さいコッペパンが二本。
それに給食で出る様な、小さな袋のジャムとマーガリンが付いてくる。
中では甘い物が食べられないので、ジャムとマーガリンをパンに塗って食べられることの幸せは格別だった。
ただ、腹は膨れない。物足らなければ、自弁といって、自分の金で弁当を買う事が出来る。
しかし俺は、洗面用具で金を使い切ってしまった。
くそ、世の中やっぱり金だぜ。逮捕されてもこの始末だ。
第7話 終




