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第16話 上京

 サトミは深呼吸を一つした。


 正座をして受話器を両手で持って耳にあてている。

 自宅の電話機から掛けていた。

 呼び出し音が3回目を鳴らした時に繋がった。

 健司の父親がでた。


「もしもし、古屋健司さんのお父様でしょうか。はじめまして、私、酒井瞳と申します。健司さんとお付き合いさせて貰っているものです。突然、お電話差し上げまして申し訳ありません。実は健司さんから頼まれまして・・・」


 ――えっ。


 サトミは絶句した。


 健司の父親から返ってきた言葉は、

「けんじが逮捕されたっていうのは本当ですかいの?」

 だった。


 健司の父親はすでにありのままを知らされていた。

 昨日の段階で地元の警察に相談していたのだ。

 サトミが留守電を聞いた、あの直後に、知り合いの勧めもあって、地元の警察署に相談に訪れていた。

 一向に連絡の取れない息子に、何かあったのではないか。と心配した挙句だった。


 地元警察はすぐに対応してくれた。

 一日経って自宅に連絡が入り、古屋健司は売春防止法違反で四谷署に逮捕され、現在、麹町署に留置されております。と、先程知らされたばかりだった。


 そこにサトミから後追いで電話が掛かってきたのだ。

 サトミは、明日の東京駅で待ち合わせることを約束して、受話器を静かに置いた。


 *   *   *


 東京駅新幹線ホーム。

 サトミは「酒井瞳です」と書いたプラカードを胸の前に掲げて辺りを見回していた。

 今着いた新幹線に健司の父親は乗っているはずだった。


「ひとみさんですかいのう?」

 振り返ると、健司の父、古屋善三が立っていた。


 善三はグレーの背広に黒いショルダーバックを肩から下げ、手に紙袋と水筒、礼服の入ったスーツカバーを持っていた。

 小柄で猫背。聞いていた通りの素朴な印象である。


 やはり、どことなく顔の造りに健司の面影を感じる。

 特に二重の眼とワシ鼻っぽいところがよく似ていた。

 善三は今年で還暦を迎える。


「はじめまして、酒井瞳といいます。健司さんとお付き合いさせて頂いております。この度は申し訳ありませんでした。私が傍についていながら、このようなことになってしまいまして・・・」

 サトミは深々と頭を下げた。


「こちらこそ、けんじがご迷惑をお掛けしとるとおもうちょります。大変申し訳ありませんでした。今日はわざわざありがとうございます」

 善三は、サトミ以上に腰を折ってお辞儀を返した。


「お父さん、お荷物を」

 サトミが手を伸ばすと、善三は顔をあげるなり、言った。


「ひとみさん、あの、けんじに会えますでしょうか。どうか、けんじに会わせてもらえんでしょうか。お願いします。お願いします。この通りです」

 善三は、ホームに頭が付きそうなぐらいにかがみ込んで、お辞儀を繰り返した。

 周囲の乗客が、ちらりと視線を向けていた。


 サトミは思わず善三を抱きとめ、

「会えます。大丈夫です。今から会いに行きましょう。お父さん」

 と言った。


 その瞬間、涙が止めどもなく溢れ出した。

 そして、サトミの口からは謝罪の言葉が自然とこぼれた。

「すいませんでした。すいませんでした。ごめんなさい。ごめんなさい」


 このお父さんに対して、健司の逮捕を、下手なウソで誤魔化そうとした自分が、情けなくて悔しくてしょうがなかった。


 *   *   *



 検事勾留十五日目。2月8日(金)


 五年ぶりに親父に会った。

 俺は下を向いたまま、そう思った。

 そう言えば、五年も田舎に帰ってなかった。


 こっちから電話するのは金に困ったときばかりだった。

 実家に余裕なんてあるはずないのは分かっているのに。

 それでも親というのは無償の愛で息子に応えようとしてくれる。


 二十二歳を過ぎたあたりでようやくそれに気付いた。

 気付いてからは逆に、うだつのあがらない自分を見せるのがつらくて帰省しづらくなった。

 せめて、芸人として食えるようになってから故郷に凱旋したいと思うようになった。


 一人前になったところを見せたかった。ご近所さんに、自慢の息子だと言って貰えるようになってから帰りたかった。そういう姿を親父に見せたかった。見て欲しかった。


 まさか、こんな場所で会うことになるとは思ってもみなかった。

 久しぶりに見た親父は痩せていた。一張羅の背広がぶかぶかだ。

 白髪も増えてるし、背中もそんなに丸かったっけ。

 申し訳なさと涙のせいもあってちゃんと見れないよ。顔を上げられない。


 俺、一生忘れないよ。さっきの親父を。

 接見室に現れた俺を見るなり、

「けんじ、けんじよ、おお、おお・・・」

 と、うなり声にも似た声を出して。そのまま泣き崩れた。

 その姿を、俺は一生忘れない。絶対忘れない。

 止めどもなく溢れ出る涙の中で、そう固く心に誓った。


「それで・・・東京駅で待ち合わせをして・・・」


 サトミちゃん、もういいよ。無理して喋らなくても。

 握っているハンカチもクシャクシャだ。

 俺と親父が会話にならないので、サトミちゃんが事の経緯を話そうと、さっきから、声を震わせながら頑張ってくれている。人一倍泣き虫なのに。


 わかったよ。ありがとう。よく連れてきてくれたね。


「この度は息子が大変なことをしでかしまして、誠に申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでした。申し訳ありませんでした・・・」

 親父が、奥に座っている立会人の担当さんに何回も何回も頭を下げた。


 今度は、

「ひとみさんが、えろう親切にしてくれてのう。迎えに来てくれたり、ここに連れて来てくれたり、わし一人じゃ到底こんなところまでこれんかったからの。ひとみさん、ありがとうございました。こんな息子で、ご迷惑をお掛けてして、本当に申し訳ありませんでした」


 サトミちゃんが、ハンカチで顔を覆いながら首を振っている。


 もういいよ。もういいよ。親父、もういいよ。

 もう謝らなくていいから、俺を叱ってくれよ。

 ぬぐってもぬぐっても止まらない涙で、俺はそんなことも、声に出すことができなかった。

 ごめん。ごめん。ごめん。

 と、声を詰まらせながらわずかに出てくる言葉は、それだけだった。


 三人でしばらく泣き続けた。

 接見時間は十五分だ。もうすぐ終わる。

 お袋の様子を聞いた。

「母さんにはまだこのことは言うちょらん。おととい、手術じゃったからの」


 そうか。手術はおとといだったのか。

 緑内障の手術の後は数日間の入院が必要だと聞いていた。

 お袋はまだこのことを知らないのか。


 明日のアキラ兄ちゃんの結婚式はどうしよう。

「けんじは急に用事ででられんようになったと、昨日電話で、もうゆうた。アキラはそりゃあ、残念がりよったでよ」


「古屋、そろそろだ」

 担当さんが時間を告げた。


 もう少し話がしたい。

 ちゃんと謝りたい。まだ、ちゃんと謝ってない。


 お袋の入院と仕事の都合もあって、親父が山口に戻るのは明後日だ。

 明日は結婚式があるから、明後日、帰る前にまた来てもらえるか聞いた。

 すると、サトミちゃんが、

「土日は面会を受け付けてないから無理なの」

 と言った。


 親父は担当さんとサトミちゃんにまた、何回も何回も頭を下げている。

「息子がご迷惑をお掛けします。ひとみさん、息子をよろしゅうお願いします」と。


 親父、来週には出られるから、そうしたらすぐに連絡するから。

 お袋に、早く良くなるように祈っている。

 と、伝えてくれ。


 *   *   *


 房に戻ってからも泣き続けた。

 ほとんど放心状態だった。

 泣き疲れた。


 星川さんが取り調べで呼び出されていたため、ひとりで、誰にも気兼ねすることなく泣けた。だから、


 すっきりした。


 よし、ここを出たら一度帰省しよう。

 親父にちゃんと謝って、お袋の看病も手伝わなきゃな。

 バカ息子の面目躍如、とはいかないまでも、無性に親孝行がしたくなった。


 そこへ、

「おーい、みんな、注目。新入りを紹介するぞ」

 と、キツネ村が肩をイカラセながらやってきた。



 第16話 終


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