08 どうやら犬猿の仲らしい
馬車がタランタの領地に入ると、白い壁面の家がたくさん現れた。これらはタランタの街の特徴であり、エウレカは郷愁の念を抱く。
(お母様たちは元気かしら……)
ルーヴェン伯爵家の両親から、手紙は定期的に受け取っている。三通に一通ぐらいの頻度で「夫からの頼りはあったか?」という確認が入るのだが、のらりくらりと躱わす娘を見て、おそらく二人も分かっているだろう。
「王都ガナルの中でもタランタとビヨルクは突出した美しさを誇っているな。私たちは恵まれている」
満足そうに窓の外を眺めるアルキメデスの頬を初夏の風が撫で、夫はわずかに目を細めた。ビヨルクというのはオルガノ伯爵家が治める領地である。
ガナルの運河を挟んで隣り合う二つの土地は、豊かな水源のおかげで農作物の生産性も高く、発展した王都の中でも比較的治安が良い。
(お父様がオルガノと手を組みたいのも理解できるわ。より大きな領地は、より強固な権力になるから)
その裏で犠牲になっている娘のことも少しは分かってほしいところだが。
「どういうことだ、エウレカ」
眉間の皺を深くして出迎えてくれた父カナンの隣で母ユリーナが微笑んでいる。対照的なこの二人もまた世間一般でいう「夫婦」という関係。
「まぁ別に良いじゃない、貴方。久しぶりに娘が夫を連れて帰って来たのよ。少し痩せたんじゃない?」
「いえ、筋肉があるので体重はそこまで……」
「君に聞いたんじゃない。娘への質問だ」
厳しい口調で割って入る父を見て、慌ててエウレカは夫の反応を盗み見る。意外なことにアルキメデスは朗らかな笑顔で受け流していた。
父はともかく、母は五年ぶりに会う義理の息子を受け入れている。彼女の適応スキルには毎度驚かされるが、問題は残る一人の方だろう。
「あの……アイザックお兄様は?」
「役所へ行っているんだ。調べ物があると言っていたが、お前が来ると知っていたら出掛けなかったはずだ」
「でしょうね……」
ほっと胸を撫で下ろすエウレカの隣で、アルキメデスは不思議そうに目を丸くする。兄の性格を知らないという点では、夫はまだ幸福だ。
「今日はアルキメデス様の帰還をお伝えに来ただけです。手紙を送るより直接来た方が早いかと思ったので」
「まぁ、食事は召し上がらないの?」
「そんなに時間がありませんので」
「時間がないのか?」
きょとんとした顔で尋ねるアルキメデスに、エウレカは笑顔で無言の圧力を掛ける。しかし、案の定それは失敗した。
「せっかく来たんだから、ゆっくりしたら良い。私が邪魔ならば先に帰るから」
「そうか。ではさっそく馬車を出そう」
便乗してさっさと追い出そうとする父を呼び止めて、エウレカは夫に向き直る。アルキメデスへの愛は微塵もないが、ここで彼を一人で返すほど非情でもない。
「貴方が一人で帰るという選択肢はありません。私が残るのであれば、貴方も一緒です」
「ありがとう、エウレカ。優しい妻にどんな感謝の言葉を伝えたら良いか……」
言いながら伸びてきた手をサッと躱わす。
ルーヴェンの両親が、初日のオルガノ伯爵夫妻よろしく驚いている様子が伝わった。五年も妻を放置した夫が取る行動ではないから。
「なんだか……雰囲気が変わったわね?」
「実は昇進して中佐の職位に就きました。周囲に助けられることが多く、まだ修行中の身ではありますが……」
「そういうことを言っているんじゃない。お前たち二人はまるで、」
父カナンが言い終わらないうちに、玄関扉が勢いよく開いた。使用人を押し除ける勢いで現れた男を見て、エウレカは目を見開く。
「会いたかったぞ、我が妹よ……!!」
黒髪の下で黄色い瞳がキラリと光る。
身構える間もなく、エウレカは強い衝撃を受けた。
「あぁ、三ヶ月ぶりに見るエウレカはやはり可愛い。こんなに可愛いなら屋敷から出さなければ良かったな。そうそう、あの戦闘狂がぽっくり死んでいないか役所で聞いてみたんだが、まだどうやら生きているらしい」
そこまで喋って、アイザックは顔を上げる。
ようやく周囲を見渡して、少し離れた場所に立つアルキメデスを発見した。額に手を当てる父親と母親に目を向けて、もう一度視線を戻す。
「エウレカ、この男は誰だ?」
「アルキメデス様です」
「なんだと……?」
兄は稲妻に打たれたように身を捩る。
その大袈裟な反応を横目にエウレカは項垂れた。
こうなるから戻りたくなかったのだ。
エウレカに向けられるアイザックの感情はかなり大きい。友人の何人かは「彼が独身を貫く理由は妹への愛ゆえ」なんて冗談を言ったりするが、最近では笑えない。
「剣を抜け、軍人なら大人しく自死しろ」
「お兄様!」
慌てて止めに入るエウレカの前に、アルキメデスが歩み出る。強く巻き付くアイザックの腕を引き離して、無理矢理に二人は握手を交わした。
「お久しぶりです、お義兄様」
「お前の兄ではない!」
アルキメデスはまったく気にする素振りはなく、ブンブンと繋がれた手を振っている。脳震盪の影響がここまで出ているとは恐ろしい。
かくして、地獄のような空気をまとって一同は食事会を開催するに至った。




