06 どうやら伝えたいらしい
「呼び出したのは貴方でしょう。黙っていては会話はできません」
責めるつもりはないのに、困ったように眉を下げるアルキメデスを見ていると苛立ちを覚える。
叙勲式から帰ってからというもの、夫は終始含んだ視線をこちらに向けてくるので、夕食の場でエウレカから「何か話でも?」と問い掛けた。すると「食後に部屋に来て欲しい」と申し出を受けたので、今に至る。
アルキメデスの私室に入ってもう十分ほどは経ったはずだが、ジメッとした雰囲気のままで夫は何も言わない。耐えかねたエウレカは、向かい合う席に座る夫の目を見据えた。
「思っていることを話してください。私と貴方は名目上は夫婦です。関係性が育っていなくても、貴方が私に気を使う必要はありません」
推し黙るアルキメデスを配慮しての発言だったが、夫はまたもやショックを受けた顔を見せる。
「いちいちそういった反応は不要です。それともなんですか、私にも同じように愛するフリをしてほしいと?」
「いや……自分を偽ってほしいわけではない」
「まさか、本気で愛されるとお考えで?」
自嘲気味な笑みを漏らしながら、なんと可愛くない女だろうと内心思った。
素直さのカケラもなく、戦地から帰って来た夫を熱烈に歓迎するような出来た妻でもない。愛していると言われても、感謝の言葉を返す程度。
我ながら、笑ってしまう。
「正直言って……五年前、貴方が私のもとを去った日からずっと、いつか訪れる離縁の日を思っていました」
一人で目覚めたあの朝からずっと。
エウレカの中には離婚の二文字があった。
案の定、白い結婚を言い渡した夫は何年待っても絵葉書ひとつ寄越さず、されど嫁いだオルガノ伯爵家でエウレカは亡霊のように生きていた。
薬指の上で輝く金の指輪と、時折人から呼ばれる「エウレカ・オルガノ」という名前だけが、自分に夫がいる事実を教えてくれた。
きっと、夫は離縁を望んでいる。
そう考えるのはいたって自然なことで、皆直接は口にしなくてもエウレカにその可能性を教えてくれた。「愛人がいるのかもしれない」「生涯を戦地で終えるのかも」といった考えを聞きながら、否定するための証拠を持たない自分を情けなく思った。
「べつに未練はありません。貴方はきっとまた別の令嬢と再婚できるはずです。だって、英雄になったのだから」
「エウレカ、」
そんな声で名前を呼ばないでほしい。
自責の念に駆られてしまう。
五年間、妻を放置したのはアルキメデスの方で、エウレカは彼が何処にいて何をしているのか知らなかった。たまに軍に所属するアルキメデスの同僚や部下が帰還してその活躍を教えてくれても、曖昧に笑ってやり過ごすことしか出来なかった。
「無理に夫として振る舞う必要はありません。どうか……自分に正直に生きてください」
言い終えてエウレカは席を立つ。
三歩と歩かないうちに、後ろから強い力で抱き締められた。胸の前で交差する太い腕を見下ろして、後ろへ首を捻る。
「離してください」
「断る」
「噛み付きますよ」
「やってみれば良い。君の小さな歯形が付いたところで、私にとっては喜びでしかない」
げんなりとしたエウレカの目を見て、アルキメデスは「冗談だよ」と言う。しかし、腕の力は弱まらず、むしろ強まったように感じた。
「話し合いを拒否するくせに、この場に居ろとおっしゃるのですね。別れもせずに五年放置した貴方らしい行動だわ」
「君の言う話し合いとは、一方的に相手を言い負かす行為を指すのか。私はまだ何も伝えていない」
「じゃあ、お好きにどうぞ」
観念したエウレカに満足したのか、アルキメデスは手を引いてソファの方へと座らせる。先ほどの対面ではなく、並びで座るかたちになるため、あまり気持ちは進まなかった。
(頭の中がさっぱり読めないわ)
無口になったり、言い返してみたり。
まるで幼い子供の相手をしているようだ。
「まず、私に離縁の意思はない」
「なんですって?」
手を繋いだままでそんなことを言い出すので、エウレカは面食らって思わず夫に詰め寄った。
「正気ですか?いいえ、正気であるはずがないわ。はっきり言うけれど、貴方は事故のせいで頭がどうかしているの。まともな精神状態じゃないのよ」
「私は冷静だ」
「じゃあ、何?また何年も私をこの場所に置いて行って老いていくのを楽しんでるの?」
「エウレカ、それは違う」
ずいっとアルキメデスが顔を近付けた際、二人の額がぶつかって、エウレカは火花が散るような痛みを覚えた。頭まで頑丈とは、いったいどうやって鍛えているのだろう。
とっさに手を突いて、額を押さえるエウレカの前でアルキメデスが苦しげに息を吐いた。
「そんなに痛かったのですか……?」
心配になって身を寄せると、またもや夫は眉間に皺を寄せて苦悩の表情をして見せる。エウレカは自分より夫の方がダメージが大きいとは思わなかったので、取り乱した。
「ごめんなさい、今まで石頭だと言われたことはないので知りませんでした。だけど急に近付いて来たのは貴方の方でしょう」
「いや、それは別に良いんだが、手が……」
「手?」
はたと見下ろしてみれば、エウレカの手はアルキメデスの膝の上にあった。わずかに視線をずらすと、膝の間で何かが窮屈そうに張っている。
「ひっ!」
「違うんだ、エウレカ!これには理由があって、君は馬車の中でも無闇に私を刺激するから……!」
「刺激なんてしていません!貴方が勝手に勘違いをしているだけで、私は何の気も、」
言いながらじりじりと後退して、くるりと振り返るとエウレカは部屋の扉へと駆け寄る。
「君を愛しているんだ!」
「近寄らないで……!」
恐怖を感じて戻った寝室で、エウレカは何度も悪夢の末に飛び起きた。あのとき、アルキメデスの膝の間には何があったのだろう。ぶるりと震えて、エウレカはベッドの上で丸くなって眠った。




