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白い結婚のはずですが、戦地から帰還した夫がやけに馴れ馴れしい  作者: おのまとぺ
後編

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 甘美な香りと甘酸っぱい雰囲気。


 この部屋に似つかわしくない空間の中で、部屋の主人は妻を相手に苦戦を強いられていた。何度か口付けただけなのに、アルキメデスは「もうやめてくれ」とばかりに片手で顔を覆って首を振っている。



「呆れたわ。英雄なのに恥じらうのですか?」

「違う。私たちはまだ……」

「夫婦です。私たちは、夫婦ですから」


 問題ありませんね、と言ってエウレカはもう一度夫の唇を舐める。生娘のように頬を染める夫を見ているとなんだか愉快な気分になってきて、ついつい悪ノリが過ぎる。


 熟れた桃よりも赤くなった耳を見下ろすと少し可哀想になったので、エウレカはナイトドレスの裾を整えて夫の隣に座り直した。


「それで、どうしましょう?」

「どう……とは?」


 瞬きをしてこちらを見る灰色の瞳に、エウレカはわざと冷めた顔をして見せた。


「この結婚です。貴方の理由は分かりましたが、以前もお伝えしたように私はただ歳を重ねるなんてごめんです。腹を括るか、別の女を探してください」

「腹を括る?」

「私を愛するという意味です」


 愛、という言葉を聞いてアルキメデスはまた分かりやすく動揺する。


 彼が戦地では活躍しているのは本当だろうか?

 今時若い女の子でもこんな反応はしないのではないか。それも相手は、五年前に結婚した妻なのだ。呆れを通り越して内心面白い。



「ねぇ、アルキメデス。私の言葉の意味は分かる?」


 言いながらエウレカは夫のシャツの上から肩を撫でてみる。なるほど、鍛えているだけあってなんだか身体がゴツゴツしている。


(もしかしたら栄養が全部筋肉になっているのかもしれないわね……)


 軍人という生き物は未知の存在なので、エウレカの中に知的好奇心が湧き上がる。脱いだらきっと、アイザックの薄っぺらいお腹とは違うものが見られるのだろう。


「随分と鍛えているのね。見ても良いかしら?」

「何も珍しいものではないが、」


 それを承諾と受け取って、エウレカは夫のシャツを捲ってみた。そして、思わず目を見張る。


 なんと腹が割れている。

 それも縦横にガナルの街の地図みたいに分かれているのだ。父の丸いお腹や、自分のストンとした腹とはまるで違う。


「貴方……病気なの?」

「は?」

「お腹に線が入ってる。果物みたいだわ」

「エウレカ、それは筋肉だ。あまり私の身体に触れないでくれ。今この部屋には私と……うっ」


 話を聞かずにツンツンと突いてみたら、アルキメデスは変な声を上げた。絶命間際の雄鶏みたいな声に、エウレカは目を丸くする。


「すごいわ。貴方の腹は硬いのね!」

「エウレカ」

「どこまで筋肉が付いているのかしら。同じ人間なのにここまで身体の作りが違うなんて知らなかった。脚も同じように出来ているの?」


 無邪気にはしゃぐエウレカの腕が捉えられ、あっという間に視界が反転した。薄いベージュの花模様を数秒眺めて、やっとそれが天井だと理解する。


「怒ったの?」

「違う」


 先ほどまでの乙女な雰囲気はどこへやら、アルキメデスは険しい顔付きでエウレカを見下ろしていた。



「私が奇病から目覚めたとき、部屋に居座る君を見て出て行けと伝えたことを覚えているか?」

「あぁ、奇病じゃなくて惚れ薬ね」


 訂正してあげたのにアルキメデスは礼も言わずにエウレカの首元に顔を沈める。くすぐったくてケラケラ笑い出しそうになったが、何やら不穏な気配を察知して口を閉じた。


 ぴったりと重なった身体の間に何かある。

 エウレカの脳裏にいつかの夜がよぎった。


「アルキメデス……?」

「私の寝室へ一人で来ることがどんな意味を持つのか深く考えるべきだ。こんな時間に、薄着で、君はあまりにも非力なのに」


 ここは寝室ではありません、という訂正も無視されて、エウレカの身体は軽々と持ち上げられた。自分が小さな人形になったような感覚だ。


 もしかして、度が過ぎたかもしれない。

 少し揶揄って五年ぶりの鬱憤を晴らしてやろうと思っていたのに、何か変なスイッチを押してしまった気がする。


 しかし、恐怖とは異なる感情が胸の内から沸々と込み上げているのも分かった。心臓を手で押さえて、灰色の瞳を覗く。



「私、今の貴方に期待しているのよ」


 執務机の上にエウレカを座らせたアルキメデスは、驚いたように目を見開いた。その瞼にもう一度口付けたらどんな顔をするだろう。


 ふと目を向けた先で、エウレカは先ほどまで自分たちがいたソファの上に転がる鍵を見つけた。アルキメデスが弄っていたあの鍵だ。


「何の鍵?」


 質問を受けて夫は首を捻る。

 待った末に、小さな声で「君にいくつか土産物を買ったから後で渡したい」と申し出た。どうやら並べられた木箱の鍵の一つらしい。


「贈り物を用意したり、言ったことは忘れろと突き放したり、貴方って不思議ね」

「薬で変になっている間に伝えた内容は信憑性がないだろう。大切なことはきちんと、」

「きちんと?」

「いや……だから、つまり……」


 エウレカは自分の口角が上がるのを感じる。


「愛してないわけじゃないなら、証明してちょうだい。私の価値は変わらないんでしょう?」

「……エウレカ、」

「チャンスを与えているんですよ」


 そう言って意地悪く笑ってみれば、アルキメデスは諦めたように目を閉じた。短い溜め息の後で、強い力で抱きすくめられる。しかし、聞きたい言葉は一向に出て来ないので、焦ったい気持ちで夫のシャツを掴んだ。


「何か私に言うことは?」


 エウレカは唇を尖らせる。

 アルキメデスは観念したように口を開いた。


「君を愛している」

「ふふっ、知ってるわ」


 恥じらいを誤魔化すように深い口付けが落ちて来たので、エウレカは笑い転げながらそれに応えた。


 病めるときも、健やかなるときも

 二人はどうやら共に生きていくようで。





End.





ご愛読ありがとうございました。

本編は完結なのですが、簡単な番外編が三本あるので明日更新します。本編に収まらなかったあれこれについてです。


もともとこの話は夫婦の関係修復について書きたかったので、悪役(黒幕)のその後や他の登場人物についての補足程度とお考えいただければ……


アルファポリスとエブリスタで連載していた悪役令息を再教育する話が完結したので、また近々こちらでも掲載いたします。

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