第8話 今晩の夕食
気が付いたら、不忍池の畔についていた。
上野動物園と不忍池に挟まれたような場所にあるベンチに腰を下ろす。
平日の13時過ぎ。スーツ姿のビジネスマンが足早に行き交う中、太陽が「36歳無職、実家暮らし」の俺を強い日差しで責め立ててくるような気がした。
映画でも見ようかと考えたが、現実逃避している気がして選択肢から消した。
道中の自動販売機で仕入れた缶コーヒーを飲みながら、思考を再開する。
仕事。しごと。シゴト。
「……履歴書、何て書けばいいんだ」
高校一年で異世界に飛ばされた俺の最終学歴は、中卒だ。
異世界での職は、冒険者。
一応、長年の死闘の末に最上位のS級までは辿り着いたが、それを日本の履歴書でどう表現すればいい?
『職歴:日雇い労働者を20年。最高ランク到達』
駄目だ。
得も言われぬ、圧倒的な駄目な感じがする。
どう取り繕っても溢れ出る「必死感」が、むず痒い。
そもそも、36歳の職歴なしが、正社員として企業に雇ってもらえるだろうか? 派遣社員というやつから、始めるべきか?
分からない。
20年離れていたせいで、日本の就職事情が分からなさすぎる。
何か情報を得ようと、スマホを取り出し、弄り始める。
試しにブラウザの検索窓へ「職歴なし 正社員」と打ち込んでみた。
ブラウザ上のAIがスラスラと回答を述べる。
『職歴なしからの就職は20代であれば、ポテンシャル採用枠で可能です。30代前半でも、人手不足の業界であれば可能でしょう』
「三十代後半はどうなんだよ!」
思わずAIに突っ込んでしまった。音声入力が反応し、無慈悲な返答がある。
『移民の影響で、三十代後半で職歴なしからの就職は非常に困難です。マグロ漁船等であれば可能ですが……』
マグロ漁船に乗ってしまうとダンジョンには潜れない。
詰んだ。つんだ。ツンダ。
「とりあえず、今晩の飯のことを考えよう」
俺は未来への不安を強制シャットダウンし、足元の課題に向き合うことにする。
昨晩は強烈な飢餓感からひたすらゴブリンの肉を喰らったが、本来、奴等の肉はそこまで美味いものではない。
異世界には、もっと美味いモンスターがいくらでもいた。
同じように、新宿ダンジョンにだって、もっといい食材が歩き回っている筈だ。
俺はスマホのディスプレイに指を滑らせ、新宿ダンジョンに出現するモンスターをAIに尋ねた。
すると、興味深い答えが表示された。
『……第五階層からは、オークが出現するようになります……』
オーク。豚面をした人型のモンスター。
厚い筋肉の鎧で体は覆われ、ゴブリンとは比べ物にならないほどの圧倒的なパワーを持つ。
異世界の冒険者ギルドでも、一人で倒すことが出来れば一人前とまで言われる強敵だ。
しかし、何より特筆すべきは、その分厚い筋肉の間に蓄えられた極上のサシである。濃厚な旨味とたっぷりの魔力を含んだ肉質は、異世界では高値で取引される人気の食材だった。
「オークの極厚肉でカツカレーを作ったら……さぞかし美味だろうな……」
サクサクの衣に包まれた、ジューシーで甘みのある肉汁。それがカレーと絡み合う光景。
想像しただけで、口腔が滝のような唾液で満たされた。
いてもたってもいられなくなる。
俺はベンチから勢いよく立ち上がり、駅前のスーパーを目指して歩き出した。
カツカレーをつくるのに必要な材料を、頭の中にリストアップしていく。
パン粉、卵、小麦粉、揚げ油。肉はダンジョンで現地調達するから不要だ。
絶対に抜け漏れがあってはならない。
完璧な「オークのカツカレー」を完成させる。
俺の頭の中は、もはやそのことで一杯になっていた。
しばし、就職という重すぎる現実について忘れる為に。




