第2話 世界情勢と俺の空腹
驚いたことに、ダンジョンの発生が確認されているのは世界でも日本だけらしい。
現在、日本には8つのダンジョンがあり、「一応」すべて国が管理している形をとっている。
「一応」というのには、日本の国際的な地位の低下が関係していた。
俺が異世界でサバイバルしている20年間のうちに、日本はずいぶんと落ちぶれてしまったという。外国から強く出られると、はっきりとNOが言えない国になってしまったのだ。
そんな国にだけ、未知のアーティファクトや魔石を産出するダンジョンが発生した。
地球の常識を覆すほどの価値がある資源。諸外国が日本の独占を許すはずがない。
力のない原油産出国が、大国に搾取される構図と全く同じだ。
各国は「安全保障」やら「国際貢献」やら、様々な理由をつけて調査団を派遣し、日本のダンジョンにズカズカと潜っている。
そして、貴重な魔石やアーティファクトを治外法権の大使館ナンバーの車で運び去り、母国の研究機関へ送っているのだという。
ダンジョンが発生して三年。日本は完全に、諸外国の「草刈り場」になってしまっていた。
「……まあ、そんなことより、腹減ったな」
もちろん、生まれ故郷が食い物にされていい気分はしない。
しかし、今の俺にとって最優先すべき重大事は「俺の食い物」そのものだ。
狙うは、実家のある上野からも山手線で一本の「新宿ダンジョン」。
電車に揺られれば25分程度の距離だが、異世界で鍛えた超人的なフィジカルをもってすれば、ビルの屋上を直線距離で跳んでいけば5分もかからずに着くかもしれない。
目立つから大人しく電車に乗るが。
「しかし、やっかいなのは監視ドローンだな……」
スマホの画面をスクロールしながら呟く。
日本政府はダンジョン管理の一環として、内部で人間を発見すると自動追尾の監視ドローンを飛ばし、その攻略の様子を国の専用サイトでライブ配信しているらしい。
これは、弱腰な日本政府が他国に対して行っている精一杯の対抗策なのだそうだ。
日本の資源を外国人が強引に持ち帰る様子を全世界に発信し、国際社会の同情を買おうという、なんとも情けない作戦である。
異世界の隠密スキルを使えば、ダンジョンへの侵入自体は造作もない。
しかし、いざモンスターと遭遇し、戦闘を行っている最中に、どれだけ監視ドローンの目を誤魔化せるかは未知数だ。
ドローンを物理的に破壊すれば、当然ながら器物破損などの罪に問われる。
ダンジョン自体は土地の所有権が曖昧なため、不法侵入で訴えるのは難しいらしい。ダンジョン周辺の土地を政府が買収しているため、かなりグレーだが。
とにかく、監視ドローンに手を出すのがマズイのは確定だ。
20年ぶりに奇跡の生還を果たした息子が、三日目でいきなり前科持ちになったら、両親はさぞかし悲しむだろう。
「……変装するしかないか」
俺は体内の魔力を練り上げ、空間魔法【アイテムボックス】を発動した。空中に現れた小さな歪みに手を突っ込み、目当てのモノを探り当てる。
引っ張り出したのは、無骨な「鉄仮面」だ。
目と口の部分にぽっかりと大きな穴が開いており、視界は良好。何より、これを被ったまま肉に齧り付くことができる実用性が素晴らしい。
「よし」
夜になるのを待って新宿ダンジョンへ潜入し、モンスターを狩り、喰らう。
魔力をたっぷりと含んだ極上の肉で、この飢餓感を満たすのだ。
窓の外はまだまだ明るい。
俺はスマホを枕元に放り投げ、ベッドにごろんと横になった。そして目を瞑り、胃袋の自己主張を無視しながら、夜が来るのをひたすら待った。
#
深夜一時の新宿。終電も終わり、平日ということもあって、かつての歓楽街も人影はまばらだ。
ネオンの残滓を背に、新宿ダンジョンの入り口があるという「新宿御苑」方面へと歩みを進める。
やがて、巨大な金属の壁が立ち塞がった。ダンジョンという異常な空間を、無理やり現代社会から切り離すように囲われたバリケード。高さは三メートル以上ある。
当然どこかに正規のゲートや警備員の詰め所があるのだろうが、そんな正面玄関からお邪魔するつもりは毛頭ない。
監視カメラの死角となる路地裏に入り込み、リュックから鉄仮面を取り出す。そして、静かに顔面に装着した。
ひんやりとした金属の感触が、異世界でのヒリつくような感覚を呼び覚ます。
「……よし」
準備は完了だ。
空腹で力が出ない身体に無理やり気合いを入れ、一気に駆ける。アスファルトを踏み切る。
ダンッ! と、地面がわずかに陥没するような重低音を残し、俺の身体は軽々と宙を舞った。
眼下にそびえるはずの鉄の壁が、あっという間に通り過ぎていく。
壁の向こう側へと到達し、膝のクッションを柔らかく使って、音もなく着地した。
顔を上げると、そこはもう日本ではなかった。
周囲はすでに異界化が進行しており、アスファルトを突き破って、地球では見かけない奇妙な植物が生い茂っている。
だが、俺にとっては20年間見慣れた、親の顔より見た植生だ。
肺いっぱいに空気を吸い込む。
ほんのりと、大気に溶け込んだ魔力の匂いがした。
ダンジョンの奥深くは、もっと濃いマナで満たされている。間違いない。
そんな環境で育つモンスターの体には、どれほど芳醇な魔力が蓄えられていることか……。
想像しただけで、口内にだらしなく涎が溢れそうになる。
俺は鉄仮面の奥でギラギラと目を光らせ、煌々と照明で照らされた小さな丘を目指した。
その丘の中腹にぽっかりと開いた漆黒の穴。
あれがダンジョンの入り口だ。
俺は穴に向けて、弾かれたように駆け出した。




