第二十三話
翡翠色の大きな瞳が、まっすぐこちらを捉えていた。
手足も、胴体も、どう見てもそれは樹木そのものだ。皮膚の代わりに樹皮があり、関節のあたりは節くれだっている。頭部から伸びた枝先には瑞々しい緑の葉が茂り、それが奇妙なほど“髪”のように見えた。
タケルは思わず、その“木”をじっと観察する。
声をかけようとした、そのときだった。
翡翠の瞳が、ある一点から逸れないことに気づく。
試しに、その視線の先にあるものを左右に動かしてみると、瞳もまた、遅れることなく追ってきた。
「……ひょっとしてキミは、コレが欲しいのかい?」
しゃがみ込み、同じ高さの目線で語りかける。
タケルは手にしていたカロリーバーの包みをすべて剥がし、そっと差し出した。
“木”は、差し出されたそれをじっと見つめるだけで、手を伸ばそうとはしない。
近づく様子も、拒む素振りもない。ただ、静かに見ている。
どうするべきか迷った末、タケルは足元に落ちていた大きな葉を拾い上げた。
二人――いや、一人と一本のあいだにそれを敷き、その中央にカロリーバーを置く。
「ここに置いておくから。……よかったら、貰ってくれるかな」
それだけ告げると、音を立てないよう静かに後ずさる。
岩場まで戻りたい気持ちと、振り返りたい衝動を胸の奥に押し込み、再び採掘へと向かった。
成果が出ない時間が続き、いつしか作業は惰性に近づいていた。
けれど、不思議な出会いを挟んだことで、何かが切り替わったのだろう。タケルは無心で、足元の岩にピッケルを振るい続ける。
――そのとき。
割れた岩の隙間から、無色透明の小さな結晶が転がり落ちた。
光を受けて、かすかにきらめく。
それを目にした瞬間、胸の奥で確かな歓喜が弾けていた。
「……で、どうだったんだよ? 結果の方は」
夕暮れが近づき、今日の採掘を切り上げようという頃合いで、ベルドの声が飛んだ。
皆のもとへ戻ったタケルは、夕飯の焼き芋を頬張りながら、背負っていたリュックに手を伸ばす。
「うーん……あんまり大きな物は出なかったんだけどね」
そう言って取り出したのは、三つ。
皆の前に並べられた透明なクリスタルは、焚き火の炎を受けて紅く染まり、かすかな煌めきを放っていた。
「……うそ」
「マ、マジかよ!? お前、これどうしたんだよ!」
「二等級の強化クリスタル……いや、もしかしたら一等級も混じってるゲコよ!」
立て続けに上がる声。
その驚きように、タケルはふと、幼い頃に竜の化石を見つけたときの母の姿を思い出していた。
けれど、あの時と違うのは――。
「スゲェじゃねえか! こんな強化クリスタル、初めて見たぜ!!」
「タケルも人が悪いゲコね……こんな才能があるなんて、吾輩の立場がないゲコよ」
「……凄い。本当に」
「へへ……ありがとう、みんな。明日も、この調子で頑張ってみるよ!」
自分ではその価値を実感しきれないまま。
それでも、まるで自分のことのように喜んでくれる仲間たちが、そこにいた。
その光景が、再びタケルの胸をじんわりと熱くしていく。
(……やっぱり、タケルは凄い才能の持ち主だった。これからも、私が見守ってあげないと……)
ひとり、彼を見つめる視線に宿る只ならぬ光。
その存在に誰も気づかぬまま、夜は静かに深まっていった。
思いがけない成果に高揚したまま、一同は焚き火を囲み、穏やかな余韻の中でその夜を迎えるのだった。
―――――
「……困ったな」
その日は、自分なりに成果を出せたという充足感から、タケルは誰よりも早く眠りについていた。
けれど、夜半にふと目が覚めてしまう。もう一度眠ろうと目を閉じても、翌日への気負いが強すぎたのか、意識はなかなか沈んでくれなかった。
気分転換に少し身体を動かそう。
そう思い、隣で眠るラズロを起こさないよう細心の注意を払いながら、静かにテントを抜け出す。
「……そういえば、昼間に見たあの“木”はどうしたのかな」
夜空には、この世界特有のものなのだろう、小さな星屑のような光が渡るように散っていた。
色とりどりの微光が夜の景色を照らし、地面には柔らかな影が落ちている。
昼とはまるで違う、幻想めいた空気の中を歩いているうちに、いつの間にか岩場を離れ、森の木々が立ち並ぶ方へ足が向いていることに気づいた。
脳裏をよぎるのは、木陰からこちらを窺っていた、人の姿にも見えたあの“木”。
テントからそう遠くない場所だったはずだと思い、様子を見に行くことにする。
「確か……この辺りだったような……」
似た景色が続く中で、ようやく辿り着いたその場所には、昼に敷いた大きな葉が、そのまま残されていた。
そして、カロリーバーの代わりに、どんぐりのような樹の実がひとつ――ぽつんと置かれている。
「……もしかして、お礼のつもりなのかな」
樹の実を拾い上げ、掌に乗せてじっと見つめていると、近くで「カサッ」と、何かが動く音がした。
音のした方へ視線を向ける。
星屑の灯りを浴び、一本の木が長い影を落としている。その陰の中に、昼間の“木”が、こちらの様子を窺うように立っていた。
タケルは静かにしゃがみ込み、先ほど拾った樹の実をそっと掲げる。
「この樹の実、キミがくれたのかな?」
問いかけると、“木”は少しもじもじと身じろぎしたあと、こくりと小さく頷いた。
「やっぱりキミだったんだね。……もしかして、ここに来る前から僕たちのこと、見てた?」
こっそり見ていたことを責められると思ったのか、“木”は一瞬びくりと身を震わせる。
けれどすぐに、「怒ってるわけじゃないから大丈夫だよ」と伝えると、また小さく頷くような仕草を見せた。
「そっか……こんな可愛い“木”が見てただけなら、安心だよ」
気にしないようにしていても、何者かに見られている感覚は、やはりタケルの心に引っかかっていたのだ。
危険がないと分かり、ほっと息をついた、そのとき。
「ぐぅぅ……」
低く響いた音に、“木”はびくっと怯えたように周囲を見回す。
慌てて大丈夫だと手振りで伝え、タケルは苦笑しながら自分のお腹をさすってみせた。
「はは……僕、ちょっぴりふとっちょだからさ。すぐお腹が空いちゃうんだ」
来る前から、ほんの少しだけ期待はしていた。
それでも、思いがけない邂逅と、樹の実というささやかなお礼に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
このままテントに戻って目を閉じれば、今度こそ眠れそうだ。
そう思って立ち上がり、“木”に別れを告げようとした、その瞬間。
そこに、姿はなかった。
代わりに、ズボンの裾を何者かに引かれる感触がある。
視線を落とすと、俯きながら、くいっと裾を引き続ける可愛らしい存在がそこにいた。
一瞬困ったような表情を浮かべたタケルだったが、すぐに表情を和らげる。
「……どうしたの?」
ズボンを引く相手――“木”に、そう静かに語りかけるのだった。




