第二十話
「なぁ、ラズロ。……ありゃ、本当にそろそろやべぇんじゃねぇのか?」
少し息を切らすベルドの声に、ラズロは後ろを振り返り、湿り気を含んだ森の空気を読み取るように目を細めた。
「うむ……この先に少し開けた場所があるはずゲコ。今日はそこで野営にするゲコよ」
森は背の高い木々がまばらに並び、風が抜けるたび枝葉が静かに震えた。歩きにくいほどではないが、苔むした倒木や、足首ほどまで伸びた草が油断を許さない。
幼い頃、山歩きの強行軍に連れまわされていたタケルは、あの頃とは違うふくよかな体つきになり、脚に溜まる疲労をごまかしきれなくなっていた。
ベルドがタケルの様子をちらりと見て、リーダーのラズロへ小声で報告する。
それを聞いたラズロは頷き、予定より早いがキャンプ地へ向かう判断を下した。
テントを張りながら、ベルドは横目にタケルのへたり込んだ姿を見て、ため息混じりに言った。
「……それにしてもよ」
隣で同じくテントを組み立てていたイリナが、ベルドの呆れ声にそっと目を向ける。
「女に負けてどうすんだよ、お前……」
「……タケルを虐めないで」
イリナの声はいつもより低く湿っていて、ベルドは肩をすくめて余計な言葉を飲み込み、黙って手を動かしはじめる。
(このままじゃ……足手まといにしかならないな)
肩で息をしながら、タケルは焚き火の明かりに揺れる影をぼんやり見つめ、自分にできることを探し始めるのだった。
テントが張り終わる頃には、森の光はいつの間にか薄闇に沈んでいた。
二張りのテントは、ラズロとタケル、ベルドとイリナ――自然とそんな組み合わせになる。
テントのあいだでは焚き火がぱちぱちと乾いた音を立て、赤い光のゆらめきが三人の影を揺らしていた。
「少し早いかと思ったが……案外、正解だったかもしれないゲコね」
ラズロはインベントリから芋を取り出し、木の枝に刺して火のそばに並べた。
見た目こそカエルに酷似しているが、ラズロの食事は人間と変わらない。火の色に照らされて揺れるその姿は、妙に穏やかだ。
対してベルドは、食事を必要としないスケルトンでありながら、あたりの警戒を怠らないよう焚き火の近くで佇んでいた。
ただ視線の端では、独りで食事をしたいとテントの中から一向に出てこないイリナを気にかけている。焚き火の音と森のざわめきだけが、静かに二人と一体の骨を包み込む。
焚き火のぱち、と乾いた音が闇の中に弾けて、タケルは串の芋をゆっくりと回していた。皮の表面が薄く焦げる匂いが立ちのぼる。
「ん……? ちょっと待っ……あっつ!」
指先を慌てて振りながら、タケルは落としそうになった芋を掴み直す。そしてベルドに問いかけていた話題を思い出して、恨めしげに眉を寄せた。
「……それより、護衛って“起きてる間だけ”って……どういう意味なんです?」
その言葉に、ベルドはあっさり答える。
「どういうって……そのまんまの意味だろ。夜は寝るんだよ。全員」
タケルの顔から血の気が引く。
「えぇぇ……? 焚き火の番とか、交代で見張りとか……そういうのは?」
「やるわけねぇだろ。そんなことしたら翌日に響くじゃねぇか」
ベルドの声は平坦で、焚き火の熱でふわりと揺らいだ。
ラズロも芋を炙りながら、んむ、と頷く。
「夜は寝るものゲコ。動物に襲われたら……まぁその時ゲコね。死んだらアビス領に戻されるだけゲコよ」
「運が悪かったら……って、割り切りすぎじゃ……」
「寝不足で判断鈍るほうが先に死ぬぞ。そっちは困んだろ?」
「……まぁ、確かに、理屈は……」
「なんだよ、その言い方。なんか含んでんな?」
ベルドがじろりとタケルを見る。その視線を避けるようにタケルは芋を見つめ、落ち着かない様子でひっくり返す。
「いえ……てっきり、“寝不足は美容の敵”とか言うのかと思って……」
その瞬間、ラズロがぷっ、と吹き出した。
「なっ……!?お、お前何いってんだよ!俺は遠征のことをちゃんと考えてんだよ。
……だいたいこんな身体になっちまって……そんなもんもうどうだっていいよ」
ベルドが焚き火に照らされて茜色に揺れる。青白く透き通る骨が、炎の明かりを受けて不思議な温度を帯びていた。
「でもベルドさんの骨、白くて……綺麗だと思いますよ」
「ほ、骨はだいたい白いだろうが! ……どうせ他のやつにもそんなこと言ってんだろ」
「『あなたの骨白いですね』とか言う奴なかなかヤバい奴ゲコよ」
むぅ、とベルドは息を吐くと、焚き火で炙っていた芋を一本、タケルの前に突き出した。
「ほら。食って寝ろ。俺は先にテント入るからな。……そこで笑ってる学者ガエルも、だ」
「ゲ、ゲコ……わかったゲコ」
背を向ける骨の肩が、どこか照れているように見えた。
「あ……ありがとう」
小さく呟きながらタケルは受け取った芋にかぶりつく。
途端、顔がしかめられた。
「……硬い。……焼けてないじゃん……」
焚き火がぱちり、とまた小さな音を立てて、二つのテントの間の闇がゆるく揺れた。
パチパチと火花を散らし燃える焚き火を見つめながら、独りタケルは火の番をしていた。
明日は採掘をする現場に向かうという。
何かを掘り起こしたりなど小さい頃に母に連れられて越前国に行った際の化石掘り依頼だ。
あの頃の母は優しかったなと思いつつ、厳しさの片鱗が見え始めた頃でもあったと思い返す。
何回か掘り返しつつも小さな子供の手では大した化石など出てこず、それでも偶然掘り起こした竜の化石をちょろまかそうとした自分に対して
「…タケル。あそこに書いてあることが読めますか? ”化石の無断持ち帰りを見つけたら厳しく処罰する”。
もしそんなことになったら母はここに居る者を全て埋めて化石にするやもしれません。母を犯罪者にしたいのですか?」
そう言われ、渋々ポケットから化石を取り出し母に渡すと翌日には『お手柄!付き添いの母親が越前から未発見の竜の化石見つける!!』と一面を飾ることとなる。
「私の可愛い可愛いタケル……。
あんな何もない崖からでも成果を挙げるなんて、なんて凄い子なのかしら。
本来なら亡き姉様の忘れ形見としても、立派な大和の後継者としても立派に育っていると喜ぶべきところなのでしょうけれど……。
けれど……何処にもやりたくない……。ずっとずっと私の傍に居てほしい……」
越後からの帰り道、籠の中で眠るタケルの頭を撫で続けた為に家についた頃には髪の毛の半分だけが静電気によって凄いことになっていたが、幼少期のタケルには悪いことをしようとしたら髪の毛が逆だってしまう……半分だけ。という恐怖を植え付けただけであった。
炎を見つめながら明日の採掘では何か成果を挙げることができればいいんだけどな……そんな事を考えていると女性陣テントに何かが動くような気配がする。
「イリナさん……。」
テントから出てきたのは薬師として同行しているイリナだった。
彼女は起きていた時と変わらない白衣に黒手袋という格好のままでタケルの隣にやってくる。
しかしその表情は寝起きという感じでは無さそうだが、だいたい彼女は寝起きのような雰囲気の為タケルには判断はつかなかった。
「お腹が空いて眠れないんですか?良かったらお芋ならまだありますよ」
インベントリがないため小さなリュックを持たせてもらっているタケルが芋を探して中をゴソゴソしているとその手をイリナが止める。
「……そんな食いしん坊じゃない。タケルと少し話がしたい」
「はぁ……話ですか。」
タケルがリュックを横手に起き再びイリナの方に向き直ったとき目の前にイリナの黒い手が何かを握って差し出されている。
「……これ、知ってる?」
その手が開かれると手の中には元の世界でよく見かけた簡易栄養食、『カロリーバー』が握られていたのだった。




