第十九話
眼前にそびえる巨大なモノリスは、アナスタシアのものとよく似ている。けれど、比べものにならないほど大きく見えて、タケルは思わず息を呑んだ。
「このモノリスは……僕らにも使えるの?」
一番に気になっていた疑問を、抑えきれず口にする。
「このモノリスは帰還用になるゲコ。吾輩たちにも使えるよう調整されてるゲコよ。
他の場所にも同じようなのがあるから、必ずここに戻る必要はないゲコ」
ラズロはそう言いながら、少し離れた森の方を短い腕で指した。
「これから採取に向かう森にもあるし、帰るときは近い場所を選ぶのが常識ゲコね」
「まぁ、そういうこったな。じゃあ、さっさと向かうか!」
ベルドはインベントリから剣帯を取り出すと、黒く鈍い光を帯びた革鎧を手際よく装着していく。
金属のように見えるそれは、近くで見ると柔らかな革の質感があった。
「金属に見えますけど……革なんですね」
「まぁな……俺はもともと力がある方じゃなかったしよ。
金属鎧はガチャガチャ鳴って落ち着かねぇんだ」
その黒革の胸元が豊かに盛り上がっているのに気づいたタケルは、反射的に視線を逸らした。
だが、逸らした先で、前髪の隙間からひっそりと彼を見つめるイリナと視線がぶつかる。
「……そういうの、タケルにはまだ早いから。
お姉ちゃんが“いい”って言うまでは、駄目だから……」
「……? お姉ちゃん……?」
不機嫌さを滲ませたまま歩き出すイリナの背を、タケルは釈然としない思いで見送りながら、それでも遅れずについていく。
アビス領の灰色の景色を見慣れてしまっていたせいか、一面に広がる緑の草原は、胸の奥に柔らかな衝撃を落としていった。
その先の森は、緑だけではない。赤や黄、淡い色まで、鮮やかに混ざり合って揺れている。
タケルはその色彩に目を奪われながら、アビス領がどれほど追い詰められた地なのかを、ようやく骨の底で理解した。
(ひょっとしたら世界中が灰色なんじゃないかって思ってたけど……)
思い返せば、陣営戦で飛ばされたあの森もわずかに陽光が差し込んでいたし、緑も鮮やかだった。
あれは、アビス領の特殊さの証だったのだと今ならわかる。
――いつか、あの灰色の世界にもこんな色が戻るのだろうか。
そんなことを思いながら数時間歩き続けると、ようやく森の入口へと辿り着いた。
「ここからは吾輩とイリナが薬草を採るゲコ。ベルドは、いつもどおり護衛を頼むゲコよ」
「おうよ、任しとけって」
「……フィールドワークは久しぶり」
「僕はどうしたらいいのかな?」
ラズロは手際よくそれぞれに指示を出していたが、タケルの適正についてだけはさすがに判断しかねるようだった。
腕組みして悩むラズロを、ベルドが呆れ半分に笑い飛ばす。
「悩みすぎなんだよ。好きにやらせりゃいいだろ。どうせそのうち適正なんざ見えてくる」
そう言いながら近くに落ちていた木の棒を拾い、タケルへ放る。
「ほら、それ持っときゃ素手よりはマシだ」
「うん……ありがとう、ベルド」
「よしよし!じゃあ行くぜ!!」
「はぁ……ベルド!言っておくがリーダーは吾輩なんだゲコ……」
ベルドが先頭を切り、その後ろをラズロが慌てて追う。イリナとタケルもその後につづく。
イリナは木の棒の重さを確かめるように振るタケルを見て、どこか微笑ましそうに目を細めていた。
森の空気は涼しく、湿った土と薬草の香りが淡く混ざっていた。
「……これが傷薬の材料になる花。こっちの草の葉も使う。タケル、分かる?」
ベルドが「この辺りには生き物の気配がしない」と判断し、タケルも採集に加わることになった。
だが、見本としてイリナが差し出した草花は、周囲に大量に生えているものとほとんど区別がつかない。
ラズロは無言で採集に集中し、ベルドは木の根元で欠伸を噛み殺しながら、こちらとラズロの両方に目を配っている。
「う、うん……やってみるよ」
「……タケルは頑張り屋さん。えらいえらい」
イリナに頭を撫でられると、タケルは途端に顔を赤らめ、「頑張ってきます!」と森の奥へ駆けていく。
(ナントカゾーンも無効化できたんだし……僕にも、なにか才能があるのかもしれない……)
期待が胸を満たし、タケルは夢中で採集に取りかかった。
「……僕にもね、才能があるんじゃないかって……そんなふうに勘違いしてた時期が、確かにあったんです……」
タケルはその場に崩れ落ちた。
目の前には、イリナの鑑定で“ただの雑草”と判断され、静かに置き去りにされた草花たちが並んでいる。
「しゃーねーよ。才能ねえ俺には、ただの草と薬草の違いなんて分かんねぇしな」
「そうだゲコ。これだけ……ざっそ……ゴホッ。
いや、これだけ頑張って集めてきたのは立派だゲコ!」
(い、今間違いなく雑草と言いかけた……)
「………」
ラズロとベルドの言葉は励ましのはずなのに、タケルの胸には逆にぐさりと刺さった。
イリナは……何も言わない。ただ静かに、彼を見ていた。
「さて、この辺りの採集はもう終わりゲコ。
次は森を抜けた先の岩場で採掘ゲコよ!」
「よっしゃ、採掘は俺もできるしな!頑張るか!」
タケルも山盛りの雑草にそっと別れを告げ、二人の背を追って歩き出す。
その少し後ろから、落ち着いた声が響いた。
「……ねぇ、タケル。そのまま歩きながら聞いて」
「はい……?」
イリナの声は、どこか張りつめていた。
ただ事ではないと直感しつつも、タケルは歩みを止めず、彼女の言葉に耳を傾ける。
「……さっき、集めてた草花。あれって、この辺りで採ったものだよね」
意味を測りかねる問いだったが、イリナが冗談を言うタイプでないことはよく知っている。
タケルは素直に、採集していた場所を答えた。
イリナは、表情ひとつ変えないまま短く呟く。
「……そう」
「……?」
タケルは首をかしげるが、深く考えず先を進む。
しかし後ろで歩くイリナの思考は、静かに、深く沈んでいた。
(……おかしい。ほとんどはただの雑草だった。
でも、その中に――この辺りでは絶対に採れない“貴重な素材”が混ざっていた……)
前を歩くぽっちゃりした少年。
木の根に何度かつまずきながらも、ラズロとベルドから離れまいと一生懸命ついていく背中。
一見すれば、どこにでもいる優しいだけの少年。
だけど――彼は、自分やラズロでも採れなかったものを手にしていた。
(……この子には、なにかある)
イリナの胸の奥で、鈍く冷たい光がわずかに揺れる。
それは、かつて救えなかった弟の面影と重なった。
優しくて、思いやりがあって、そして――才能があったはずの弟。
守れなかった。
守れなかったからこそ、今、目の前にいる“この子”に宿る可能性を見逃せない。
守りたい。
今度こそ、自分が失わないために。
イリナはゆっくりと息を吐き、タケルの背をまっすぐに見つめる。
その瞳の奥で、静かに熱が灯りはじめていた。




