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第十六話

三人がイリナの部屋の前まで来たものの、そこで足が止まった。

ラズロは露骨にそっぽを向き、落ち着かないようで体を揺らしている。


「で、誰がドア開けんだよ」

「わ、吾輩は遠慮するゲコ」

「うーん……僕も女性の部屋を訪ねるなんて初めてだから……」


互いに押しつけ合うような声が、廊下の白い静けさに溶けていく。


そのとき、タケルの戸惑いを聞いていたラズロが、ぽんと手を叩いた。


「そうだゲコ。同じ女性同士、ベルドが開ければいいゲコよ」


「!?」


言われてみるとベルドの声は男性にしては少しハスキーな感じがしていた。けれど、そもそもどこから出てる声なのか?と思っていたタケルはベルドの性別などはまったく気にもしていなかった。


それが今は女性とわかった途端、妙に気恥かしい気持ちになり直視できなくなっている。

先程のアナスタシアの館での集会でクロエからベルドをジロジロ見ていたことを注意された事を思い出す。



何しろ骨とはいえ何も着ていないのだ。




ベルドは肩を竦め、大雑把な声で言う。


「お前はホントそういうとこだめだよなぁ……。だいたいアイツ、一回俺を見て気絶しただろうがよ。

……そうだ、タケル。お前、地球出身だよな」


「は、はい。そうですけど」


「イリナもお前と同じ地球から来てんだよ。だったら、お前が行くのが筋じゃねぇか?」


「え!? そうなんですか?」


驚いた声が、廊下に跳ねた。

その直後、静かな女性の声が扉越しに落ちてくる。


「……うるさい。用があるならさっさと入って」


たった一言で、部屋の空気が向こう側から流れてくるようだった。


三人は順に部屋へ入る。

タケルも軽く頭を下げながら足を踏み入れた――その瞬間、視線を感じ、動きが止まった。


扉の横に、小柄な女性が立っていた。


白衣。

肩に流れる、銀を帯びた淡金色の髪。

長すぎる前髪の隙間から、目はこちらを静かに覗いている。


「名前……」


鈴の音のような、細く、涼しい声。

慌ててタケルは名乗る。


「大和タケルといいます。地球の大和国から……喚ばれたみたいです」


「……みたいって、なに?」


問いの棘は弱い。

ただ、確かめるように揺れていた。


ベルドが代わって答える。


「こいつよ、カエルが言うには承諾無しで喚ばれたらしいんだわ」


イリナの視線がゆっくりラズロへ移る。

黒手袋を嵌めた両手の指先同士が、静かに触れ合う。


「……アナスタシア様も、問題は無いって言っていたゲコ」


「……そうなんだ」


短い返事は小さく、けれど確かに沈む。


イリナはアナスタシアの言葉を繰り返すと、小さく息を吐いた。

その仕草には、安堵というより“確かめている”ような静けさがあった。


「……アナスタシアが問題ないって言うなら、大丈夫。

……レアリティは?」


ラズロとベルドがそれぞれ答え、タケルも自分の“N”を告げる。

そのあと、ごく微かな間があって――


「……私は、R+」


その言い方は誇るでもなく、自信なさげに沈んでいた。


タケルは思わず首を傾げる。

初めて聞く言葉に、ついそのまま口にしてしまった。


「R+って……Rとはまた違うんですか?」


イリナはわずかに視線をそらし、黒い手袋の指先同士をそっと触れ合わせる。

小さく、恥ずかしげに。


「……Rの限界を越えたレアリティを、R+っていう……みたい」


言葉の最後がふわりと溶け、部屋に落ちていく。


「別に恥ずかしいことじゃねぇだろ?むしろ凄えじゃんよ」


ベルドは椅子に深く腰をかけ、ユラユラ揺らしながら顔だけイリナへ向ける。

しかしイリナはその視線を迷惑そうに避けた。

褒め言葉が苦手なのか、それとも――評価というものが苦いのか。


その様子を見て、タケルの胸にかすかな痛みが走る。


「……僕、少しわかる気がします」


言葉は慎重に、でも逃げずに。

ゆっくり自分の過去に触れるようにタケルは続けた。


「周りに勝手に付けられた評価に……自分が追いつかないってこと、ありますよね。

望まない名前や期待を押されて……答えられなかったこと、僕にもあって……」


そこでふっと我に返る。

ラズロとベルドが目を丸くしてタケルを見ていた。


「す、すみません……知ったようなこと言ってしまって……」


タケルが肩を縮めたとき、目の前に黒い手袋の手がそっと伸びた。

小さな手が、彼の頭に触れる。


「……ありがとう」


撫でる手つきは驚くほど優しく、迷いと親しみが混ざっていた。

イリナの声は静かで、ほとんど囁きだった。


「タケルは……いい子なんだね」


「い、いい子……ですか?」


「……うん。よし……よし……」


背の低い彼女に頭を撫でられ続け、タケルはどうしたらいいかわからず戸惑うばかり。

その困ったような視線がラズロへ向かう。

しかし――ラズロは目を輝かせていた。


「ベルド……これ、もしかして……」


「おぅ……こりゃいけるかもしんねぇな」


二人の低い囁きが、ゆっくりと沈んだ空気を揺らす。

イリナを遠征へ連れ出す鍵――それが今、タケルの頭を撫でている小さな手だと悟っていた。







「イリナ、アナスタシア様から遠征に行くように言われてるゲコ」


「……行けばいいじゃない」


ベルドが言葉を重ねる。


「いや、お前もメンバーなんだよ。だから来てんだろ」


撫でていた手が止まる。

イリナは俯き、淡い声で落とす。


「……私は役に立たない」


そう言って俯くイリナに「お前の調薬のスキルは凄いんだって。いい加減、前の世界の事はもう忘れろよ!」とベルドが立ち上がり詰め寄ろうとするがラズロがそれを止める。


「遠征は四人揃わないと出発出来ないゲコよ」


ラズロの諭すような声にも俯いたまま何も語らない。





沈黙。

部屋の中の瓶やビーカーの透明さだけが、静かに光っていた。


タケルは視線を巡らせる。

なんとなく、勝手なイメージで散らかっていると思い込んでいた研究者の部屋は、驚くほど整っていた。


その素朴な感想に、イリナは小さく笑う。


「……お約束じゃなくて、ごめんね」


その笑みは、ほんの少し救われた人のものだった。


そして――タケルの名前を確かめるように尋ねる。


「……同じく地球から来たんだよね。

イリナ・ヴェレシェンコ……この名前、聞き覚えは?」


タケルは首を傾げ何かを思い出すように目を閉じるが思い当たらないようだった。


「僕が生まれ育ったのは小さい島国ですから。

すみません、学がなくて……」




イリナは一瞬だけ静かに息を吸い、そして短く答える。



「……そう……。



……わかった遠征、参加する」




ラズロとベルドが息を吐く。救われたように。


タケルの胸にも、小さな安堵が生まれる――

ただ、その奥にうっすらとした影があった。


(イリナ・ヴェレシェンコ……

たしか東欧出身の国際指名手配犯が確かそんな名前だったような気がする。

危険薬物の開発と、その使用による無差別殺人。でも……彼女がそんな事をした本人だとはとても思えないしな……)


背の低い白衣の少女の後ろ姿を見つめながら、

タケルはそっと思いを飲み込んだ。

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