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第14話 17歳の私(わたくし)、闇属性の天才を見つけます

スイ・コペルとの初回共同課題を終えた翌日。


わたくしのときめきブックは、まだスイのページを開いていませんでした。


よろしい。たいへんよろしい。


火属性の遊び人のページなど、今すぐ開かなくて結構です。

ただし、表紙の金具は昨夜から少しだけ温かい気がします。火属性の魔力に触れた直後ですもの。余熱のようなものが残っているだけでしょう。


私はそう判断しました。判断しましたが、念のため、ときめきブックは鞄の奥にしまいました。見なければ、開きません。たぶん。


さて。


本日の授業は、魔法式基礎。

属性そのものを扱う実技とは違い、魔力の流れを文字や図式として整理する学問です。


魔法は感覚だけで扱うものではありません。


風がどう流れるか。水がどこへ沈むか。火が何に反応するか。土がどこで安定するか。光が何を照らすか。闇が何に触れるか。それらを式として分解し、再現性を持たせる。


王立魔法学園では、一年次から全員が基礎を学びます。


もっとも、得意不得意はかなり分かれます。


カリウスは感覚派です。風の動きそのものを読むのは得意ですが、それを紙に落とすと途端に眉間にしわが寄ります。


ティタンは式も得意です。水属性らしく、流れを整え、矛盾を見つけるのが上手い。


ニケル殿下は、当然のように得意です。土属性の安定性と王族としての教育が合わさると、たいへん隙がありません。


スイは、昨日の様子を見る限り、たぶんできる人です。ただし、できないふりもできる人でしょう。厄介です。


そして、魔法式といえば。


フッケル・ダンクステン。


闇属性。ダンクステン侯爵家の庶子。魔法式設計の天才。攻略対象者の一人。すみれが、一番開いたページ。家に居場所がなく、道具として扱われ、けれど最後には自分で居場所を選ぶ少年。


フッケルルートでは、彼は断罪劇でフライトをかばいます。そしてダンクステン家から逃げ出し、ブラック公爵家へ婿に入る。

その結末が、すみれは好きでした。

家に居場所がなかった子が、自分で居場所を選ぶ話だったから。


だから私は、フッケルを救いたい。フッケル救済。これは、アイリス友情エンドと並ぶ重要目標です。


フッケルは入学直後から目立つ人物ではありません。


主席。天才。闇属性。ダンクステン侯爵家の庶子。これだけ属性が強いにもかかわらず、彼は人目を避けるように動きます。


ゲームでも、最初の接触は教室ではありませんでした。


図書室。魔法式の資料棚。そこで、フライトは彼が誰にも見せていない魔法式を見つける。たしか、そういうイベントでした。


つまり。


本日の放課後に図書室へ向かうべきです。我ながら完璧な記憶です。


私は主人公ですから。


正しい場所へ行けば、正しいイベントが起こるはず。


……のはずです。


「フライト様」


魔法式基礎の授業後、カリウスが声をかけてきました。


「図書室へ行かれるのですか」


「ええ。少し調べたいことがありますの」


「俺もご一緒します」


「カリウス様は、本日の復習をなさった方がよろしいのでは?」


カリウスは、わずかに視線をそらしました。わかりやすい。


「風属性の感覚と魔法式の文字は、少し相性が悪いだけです」


「つまり、苦手なのですね」


「苦手ではありません」


「では、本日の式をもう一度書けますか?」


「……復習してからであれば」


「では、復習なさいませ」


カリウスの風が、少しだけしゅんとしました。しゅんとする風。


「図書室なら、僕が同行します」


静かな声がしました。


ティタンです。


「ティタン」


「魔法式なら、僕の方が役に立ちます」


「それはそうだが」


カリウスが少しだけ眉を寄せました。


「ティタン、お前は水属性の課題があるだろう」


「終わっています」


「早いな」


「普通です」


「普通ではない」


カリウスが珍しく悔しそうな顔をしました。

ティタンはこういうところで、本当に隙がありません。


「ティタンも、今日は別の資料を探すのでしょう?」


「はい。ですが、フライトが必要なら」


「必要ありません」


私は即答しました。ティタンが静かにこちらを見ました。


「本当に?」


「本当に」


「図書室は広いです」


「迷いません」


「高い棚もあります」


「脚立があります」


「重い本もあります」


「司書の方がいらっしゃいます」


「では、僕は何をすれば?」


「ご自分の課題をしてくださいませ」


ティタンは少し黙りました。それから、静かにうなずきます。


「わかりました。何かあれば呼んでください」


「ええ」


「必ず」


「ええ」


「すぐに」


「ティタン」


「はい」


「普通に呼びます」


「普通で構いません」


普通とは。私は少しだけ考えましたが、考えないことにしました。

この二人を連れて行けば、フッケル初接触イベントが崩れる可能性があります。

フッケルは人目を避ける人物です。カリウスの風とティタンの水を連れていけば、確実に警戒します。


ここは一人で行くべきです。もちろん、安全面の問題はあります。


ですが、ここは王立魔法学園の図書室。教師も司書もいます。危険なことはないでしょう。



放課後の図書室は、思っていたより静かでした。

高い天井。壁一面の本棚。属性別に分けられた魔法書。古い紙と魔力防腐剤の匂い。

公爵家の書庫とは違います。ブラック家の書庫は、血筋と歴史の重さがある場所です。

王立魔法学園の図書室は、それよりも広く、雑多で、少しだけ自由でした。


貴族の子弟が礼儀正しく本をめくる隣で、平民の生徒が真剣な顔で基礎魔法書を読んでいる。上級生らしき生徒が、属性の違う友人に式を説明している。司書が、静かな声で棚の場所を案内している。


学園。ゲームの舞台。そう思っていた場所は、思ったよりも現実の匂いがしました。


私は目的の棚へ向かいます。


闇属性魔法式。応用設計。感情干渉防御。記憶層解析。並んでいる本は、どれも扱いが難しいものばかりです。


闇属性は誤解されやすい。けれど、悪の属性ではありません。精神。記憶。影。契約。感情の深層。そういうものに触れやすいだけ。だからこそ、慎重に学ばなければならない。


そう思いながら、一冊の本に手を伸ばした時でした。


棚の向こう側から、紙をめくる音がしました。


静かで、規則正しい音。


ただ本を読んでいるだけではありません。書き写している。私は少しだけ身を引き、棚の隙間から向こう側を見ました。


少年が一人、机に向かっていました。


黒に近い灰色の髪。細い指。制服の着こなしは整っていますが、どこか身体に合っていないように見えます。

目元は伏せられ、表情はほとんど動きません。けれど、その手元だけは速い。紙の上に、複雑な魔法式が書かれていきます。


闇属性の式。それも、かなり高度なもの。


私は息を止めました。


フッケル・ダンクステン。


救済対象。


いえ。その呼び方は少し違うかもしれません。ですが、この時の私はまだ、そう思っていました。救済対象と。


フッケル。すみれが、何度もページを開いた少年。ダンクステン家から逃げ出し、ブラック家へ居場所を得るはずの人。


私は彼に近づこうとして、足を止めました。


彼の手元の式が、目に入ったからです。


これは、ただの基礎式ではありません。闇属性の魔力を、外部から流し込む式。ただし、支配や拘束ではない。流れを読み、歪みを見つけ、ほどくための式。


未完成です。けれど、美しい。とても、美しい。


式の端々に、無駄がありません。回路の逃げ道も、魔力の圧も、計算されている。17歳の生徒が書くものではありません。やはり天才です。


画面の中で見た天才が、現実に目の前で紙に式を書いている。そのことに、私は少しだけ胸が熱くなりました。すみれの記憶が、静かに揺れます。


何度も開いたページ。何度も見た結末。何度も救うことで救われた気持ちになった少年。


フッケル・ダンクステン。


私は、あなたを救います。


そう思った瞬間。


少年の手が止まりました。


「見ないでください」


静かな声でした。けれど、温度がありません。


私は瞬きしました。


「失礼いたしました。覗き見るつもりはありませんでしたわ」


「棚の隙間から見ていました」


「結果的には、そうなりました」


「では、覗き見です」


私は扇を開き、口元を隠しました。


「申し訳ありません」


少年はようやく顔を上げました。黒に近い瞳。闇属性の魔力が、薄く周囲に沈んでいます。私の闇とは少し違う。

私の闇が、包むものだとすれば。

彼の闇は、解くもの。絡まった糸を一本ずつほどいていくような、静かな闇。


「フライト・ブラック様ですね」


「ええ。あなたは、フッケル・ダンクステン様で間違いありませんか?」


「様は不要です」


「同じ学園の生徒ですもの。そうはいきませんわ」


「僕は侯爵家の嫡男ではありません」


淡々とした声でした。


自嘲ではありません。怒りでもありません。ただ、事実として述べている。

ダンクステン侯爵家の庶子。


母はメイド。幼い頃は平民街で暮らし、後に魔法式設計の才能を見出されてダンクステン家へ引き取られた少年。タンタル・ダンクステンの異母弟。道具のように扱われる子。


私はそれを知っています。知っているからこそ、言葉は選ばなければならない。同情してはいけない。かわいそうだと思ってはいけない。そう思っていたのに、胸の奥ではもう決めていました。この人は救われるべきだ、と。


それは、善意でしょうか。それとも、すみれが好きだったページをなぞりたいだけでしょうか。その問いに、この時の私はまだ答えませんでした。


「では、フッケルさんとお呼びしても?」


「ご自由に」


「ありがとうございます」


「礼を言われることではありません」


「許可をいただきましたので」


フッケルは、少しだけ眉を動かしました。


困惑。たぶん。表情が薄いので、わかりにくい。


「僕に何かご用ですか」


「先ほどの式が気になりました」


「忘れてください」


「無理ですわ」


フッケルさんの視線が鋭くなりました。


「公爵令嬢は、ずいぶん正直ですね」


「社交でごまかした方がよろしいですか?」


「いいえ。面倒なので、そのままで」


「では、そのまま申し上げます」


私は一歩近づきました。ただし、近づきすぎない。彼の机の端から、きちんと距離を取る。フッケルさんは逃げる準備をしているように見えました。


相手が踏み込めば、すぐに本を閉じて去る。そういう距離。なら、踏み込んではいけません。


「あなたの魔法式は、美しいですわ」


フッケルの手が止まりました。ほんの一瞬。


「……何ですか、それ」


「見たままです」


「闇属性の式を見て、美しいと言う人はあまりいません」


「そうでしょうね」


「なら、なぜ」


「美しいと思ったからです」


フッケルは黙りました。私を見ています。疑っています。当然です。突然現れた公爵令嬢が、棚の隙間から式を見て、美しいと言う。怪しい。私でも警戒します。


「公爵令嬢は、闇属性でしたね」


「ええ」


「同じ属性だから、そう言うんですか」


「いいえ」


私は首を横に振りました。


「闇属性でも、雑な式は雑ですわ」


フッケルが、ほんの少しだけ目を見開きました。


「あなたの式は、相手を縛るためのものではありません。流れを読み、歪みをほどくための式です。途中にまだ粗さはありますが、魔力の逃げ道が丁寧です」


「……そこまで見たんですか」


「棚の隙間から少しだけ」


「やはり覗き見です」


「反省しております」


「反省している人は、そこまで分析しません」


「申し訳ありません」


フッケルさんは、深く息を吐きました。そして、紙を裏返します。


隠されました。当然です。少し残念です。 いえ、残念がっている場合ではありません。


「フライト様」


彼は、初めて私の名を呼びました。


「はい」


「僕に関わるのは、おすすめしません」


来ました。フッケルルート初期定番の拒絶。たしかゲームでも、彼は最初にこう言います「僕に関わると面倒ですよ」と。

僕に近づくと損をします。僕は、あなたの役に立つ人間ではありません。そんな言葉で距離を取る。けれど、本当は助けを求めている。


私は知っています。知っているから。


「面倒なことには慣れております」


思わず、そう答えていました。


フッケルの表情が、かすかに変わりました。


「……そういう人が、一番面倒なんです」


「そうかもしれませんわね」


「否定しないんですか」


「自覚はありますので」


「公爵令嬢なのに?」


「公爵令嬢にも、自覚くらいありますわ」


フッケルは、しばらく私を見ていました。それから、書きかけの紙を本に挟み、静かに立ち上がります。


「それでは失礼します」


「あの」


「追わないでください」


先に言われてしまいました。


私は口を閉じました。

追いたかった。聞きたかった。あなたは大丈夫ですか。ダンクステン家で何をされているのですか。タンタル様はあなたをどう扱っているのですか。アイリスさんとは、もう会いましたか。言いたいことは山ほどありました。


けれど。


それは、フッケルのためではありません。


私が知っているページを早く進めたいだけです。そのことに、ほんの少しだけ気づいてしまいました。だから私は、追いませんでした。


「また、お話ししても?」


代わりに、そう尋ねました。


フッケルさんは足を止めました。


「おすすめしないと言いました」


「おすすめされなくても、選ぶことはできますわ」


「あなたは、変わっていますね」


「よく言われます」


「誰に?」


「ニケル殿下に」


「……それは、褒め言葉ではないのでは?」


「社交として受け取っております」


フッケルは、ほんの少しだけ困った顔をしました。それから、何も言わずに図書室を出ていきます。


私は、その背中を見送りました。

細い背中。けれど、折れてはいない。自分を小さく見せるように歩いているのに、魔力の奥には鋭さがある。道具として扱われるだけの人ではありません。救われるだけの人でもありません。


そう思ったのに。


私の胸の奥では、まだ別の言葉が強く残っていました。救済対象、発見。


私はときめきブックを取り出しました。表紙は静かです。

フッケル・ダンクステンのページは、まだ開かない。


私は彼を知っています。知っているはずでした。けれど、閉じた本は何も教えてくれません。それでも、私にはわかっています。


このページは、必ず開かなければならない。


私は主人公ですから。


そう信じながら、私は閉じたままのときめきブックを抱きしめました。

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