第13話 17歳の私(わたくし)、火属性の遊び人と組まされます
初回共同課題の相手は、スイ・コペル。
火属性。コペル侯爵家の令息。攻略対象者の一人。
そして、『ときめきブック』においては、たいへん軽い人物として知られています。軽い。実に軽い。
ゲーム画面の中の彼は、初対面から距離が近く、言葉が甘く、誰にでも笑いかける少年でした。けれど、ただの遊び人というわけではありません。
火属性らしい勢い。社交界で鍛えられた会話術。相手の隙を見つけるのがうまく、踏み込むのも早い。ただし、踏み込んできたかと思えば、次の瞬間にはするりと離れている。
近いようで遠い。軽いようで読みにくい。真面目に向き合おうとすれば笑ってかわし、距離を取ろうとすれば面白がって近づいてくる。
非常に厄介です。
カリウスはまっすぐ重い。
ティタンは静かに重い。
ニケル殿下は面倒に重い。
そしてスイ・コペルは、おそらく軽さが重い。
分類として、たいへん困ります。
教室の端で、赤みがかった髪の少年がひらりと手を振りました。その仕草がまた、腹立たしいほど自然です。
貴族令息として失礼ではない。けれど、真面目すぎもしない。ちょうど叱りにくい程度の軽さ。
なるほど。これは厄介ですね。
「フライト・ブラック様」
授業後、スイ・コペルは当然のように私の前へやってきました。
歩幅も、視線も、笑みも、すべてがほどよく整っています。
女性に警戒させない距離。教師に注意されない礼儀。周囲に見られても問題にならない態度。
この人、慣れています。たいへん慣れています。
「初めまして。スイ・コペルです。まさか初回共同課題でフライト様と組めるなんて、今日は運がいいな」
「初めまして、スイ様」
私は微笑みました。
「共同課題の相手に運不運を持ち込むのは、学びの場としていかがなものでしょう」
「おや、真面目だ」
「初対面で不真面目だと思われるよりは、よろしいかと」
「なるほど。では、俺も真面目にしようかな」
「そうしていただけると助かりますわ」
「フライト様に助かると言っていただけるなら、いくらでも」
軽い。呼吸をするより軽い。
私は扇を開き、口元を隠しました。
「スイ様」
「はい」
「そういう言葉は、どなたにでもおっしゃるのでしょう?」
「失礼だな。相手は選んでるよ」
「では、わたくしは選ばれたと?」
「うん。とても」
にこり、と笑われました。
周囲の女子生徒が小さく息をのむ気配がします。
顔は良い。声も良い。笑い方も良い。そして、おそらくそれを本人が一番よくわかっています。
フライト・ブラック。
冷静になりなさい。これはスイ・コペル初回共同課題イベントです。ゲームでは、この課題で火属性の小さな暴走が起こり、フライトが冷静に対処することでスイの興味が上がります。
火属性トラブルイベント。
選択肢を間違えると、スイは面白がってさらに近づいてきます。正解しても、やはり面白がって近づいてきます。つまり、どちらにしても近づいてきます。
攻略対象者として、かなり面倒な設計です。
「フライト様」
背後から低い声がしました。
カリウスです。
予想通り、風が少し鋭くなっています。
「本当に、こいつと組むのですか」
「学園が決めた組み合わせですわ」
「ですが」
「カリウス様」
私は静かに名前を呼びました。
「組み合わせ変更は原則不可です。先ほど説明があったでしょう」
「……はい」
「それに、初回共同課題は学園内での正式な記録になります。わたくしが家の力で相手を選んだと思われる方が問題です」
カリウスは口を閉じました。
理屈は理解している。納得はしていない。風が、そう言っています。
スイ様はそんなカリウスを見て、楽しそうに笑いました。
「パラジム卿は、ずいぶんフライト様を大切にしてるんだね」
「当然だ」
「へえ。即答」
「何か問題が?」
「いいや。問題はないよ。風なのに重いんだなって思っただけで」
空気が止まりました。
私は扇の陰で、ゆっくり息を吸います。
スイ様。初対面でそこに触れますか。
カリウスは、ほんの少しだけ目を細めました。
「軽いよりはましだ」
「確かに」
スイ様は笑いました。
「俺は軽いからね」
「自覚があるなら改めればよい」
「でも、軽い方が燃えやすいんだ」
「燃えやすいものは、消えやすい」
「お、風属性らしい」
カリウスの風とスイ様の火が、比喩ではなく本当に反応し始めています。
まだ小さい。けれど、魔力が空気の中で燻りあっている。
火に風。相性が良いようで、悪い。風は火を育てます。同時に、制御を誤れば火を広げます。
私は一歩前へ出ました。
「カリウス様。スイ様」
二人がこちらを見ます。
「共同課題前に、余計な共鳴を起こさないでくださいませ」
「申し訳ありません、フライト様」
カリウスはすぐに頭を下げました。
「ごめんね、フライト様」
スイ様も軽く頭を下げました。
軽い。けれど、謝罪の形は整っている。本当に厄介です。
「俺、フライト様に怒られるのは悪くないかも」
「では次からは、教師に怒っていただきましょう」
「それは嫌だな」
「でしたら、控えてくださいませ」
「はいはい」
「はい、は一度で結構です」
「はい」
スイ様は、また笑いました。にこにこと。たいへん楽しそうに。
この方、私に注意されて喜んでいませんか。困ります。非常に困ります。
カリウスの風がまた少し鋭くなったので、私は視線だけで制しました。カリウスは黙りました。えらい。 たいへんえらい。けれど、その無言が少し重い。
初回共同課題は、午後の実技室で行われることになりました。実技室といっても、剣や武具を扱う場所ではありません。魔法実技用の広い部屋です。
床には魔法陣が刻まれ、壁には属性ごとの安全結界が張られています。火属性の授業でも燃え広がらないように、石材と魔法で補強されていました。
今回の課題は、属性の異なる二人で魔力を安定させ、一つの魔法灯を点すこと。
魔法灯。小さな透明の器に、二人分の魔力を流し込み、均等に光らせる基礎課題です。
ただし、私とスイ様の場合は少々難しい。
闇属性と火属性。
闇は火を包むことができる。けれど、包みすぎれば火を消す。火が強すぎれば、闇を裂く。相手の魔力を読んで、強さを調整する必要があります。
確かに、学園の初回共同課題としては、悪くはありません。
「フライト様、よろしく」
「よろしくお願いいたします」
「そんなに警戒しなくてもいいのに」
「初対面の男性に警戒しない公爵令嬢は、王妃候補失格ですわ」
「婚約者がいるから?」
「それもあります」
「じゃあ、婚約者がいなければ?」
私は微笑みました。
「スイ様」
「うん?」
「その質問に答える必要はありませんわね」
「ないね。でも、答えないっていう反応が見られたから満足」
スイ様は声を立てて笑いました。
「フライト様って、思ってたより話しやすいね」
「思っていたよりとおっしゃる根拠は?」
「完璧令嬢って聞いていたから、もっと冷たいのかと思ってた」
「そうですか」
「でも、冷たいというより、切れ味がいい」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「うん。褒めてる」
軽い言葉。けれど、観察しています。ニケル殿下とは違う。
ニケル殿下は盤面を見る。スイ様は、人の反応を見る。
どこを押せば表情が変わるか。どこまで踏み込めば相手が引くか。どの言葉で空気が揺れるか。軽さで隠していますが、この方もかなり人を見ています。油断できませんね。
「それでは、始めましょう」
「了解」
私たちは魔法灯の前に立ちました。
透明な器。その中央に、小さな芯のような魔石が入っています。二人で同時に魔力を流し、芯を安定して灯す。簡単に見えて、実際は繊細な課題です。
私は闇属性の魔力を静かに流しました。深く。薄く。器の内側を包むように。
続いて、スイ様の火属性が流れ込みます。赤みを帯びた魔力。明るく、熱を持ち、軽やかに跳ねる火。
思っていたより、制御は悪くありません。
いえ。かなり上手い。
スイ様は軽い態度のまま、魔力だけはきちんと整えています。
火は芯の周りを回り、私の闇に触れました。じり、と小さな熱が走ります。火が、闇の表面を舐める。私は少しだけ魔力を引きました。火を潰さないように。けれど、暴れさせないように。
「へえ」
スイ様が小さく声を漏らしました。
「何です?」
「フライト様の闇、思ってたより優しい」
「闇属性に対する偏見ですわ」
「いや、そうじゃなくて」
スイ様は魔法灯を見つめたまま言いました。
「包むのが上手いなって」
魔法灯の中で、闇と火が重なっていきます。
黒に近い紫の膜。その中で揺れる赤い火。成功しそうでした。成功しそう、だったのです。けれど次の瞬間、スイ様の火が少しだけ跳ねました。
ほんのわずか。普通ならすぐ収まる程度の揺れ。
ですが、火属性の魔力は、一度跳ねると空気を食べます。ぽ、と音を立てて、魔法灯の火が強くなりました。実技室の安全結界が反応します。
周囲の生徒がこちらを見ました。
カリウスの風が動きかける。ティタンの水も、こちらへ向かいかける。
私はすぐに声を出しました。
「カリウス様、ティタン、動かないでくださいませ」
二人の魔力が止まりました。
私は魔法灯へ意識を戻します。スイ様の火は、思ったより強い。強すぎるわけではない。制御できないわけでもない。ただ、軽い。空気に乗りやすく、視線に乗りやすく、感情に乗りやすい火。
このまま押さえ込めば消える。放置すれば広がる。なら、包むのではなく、道を作る。私は闇を細く伸ばしました。火の周囲を覆うのではなく、火が回るための輪を作る。
閉じ込める闇ではなく、流れを整える闇。火はその輪の中を一周し、二周し、やがて穏やかに芯へ戻りました。
魔法灯が、静かに灯ります。赤と紫が混ざった、小さな光。
成功です。
息をついたところで、ようやく周囲を見る余裕ができました。
少し離れた場所では、カリウスの組の魔法灯が、淡い緑を帯びて安定しています。相手は土属性の男子生徒でしょうか。風と土は、簡単な組み合わせではありません。風が強すぎれば土を削り、土が重すぎれば風を塞ぐ。
けれど、カリウスの風は荒れていませんでした。相手の魔力を押しのけるのではなく、周囲を流れるように整えている。
7年前、暴走を怖がっていた少年の風ではありません。
さすがはカリウスです。
反対側では、ティタンの魔法灯も静かに灯っていました。
青白い輪の内側に橙色の火が灯っています。おそらく、相手は火属性の生徒でしょう。 火と水もまた、扱いを誤ればすぐに消し合う組み合わせ。
それでも、ティタンの水は相手の火を消していません。静かに支え、熱を逃がしすぎないように包んでいる。相手の生徒が、安心したように笑っているのが見えました。
さすが、ティタンです。
……二人とも、私の周囲で重くなる時以外は、本当にたいへん優秀なのです。
「すごいな」
スイ様の、先ほどまでより少しだけ低い、軽さが薄れた声。
「今の、押さえつけなかったんだ」
「火を押さえつければ、消えてしまいますもの」
「じゃあ、俺の火が暴れたら?」
「暴れない道を作ればよろしいでしょう」
スイ様は、しばらく私を見ていました。
笑っていません。初めて、軽くない顔を見ました。
「フライト様」
「何でしょう」
「君って、やっぱり面白いね」
戻りました。軽さが戻りました。けれど。今の一瞬は、たぶん本物です。
私は扇を開きました。
「スイ様」
「うん?」
「面白いという言葉で、何でも片づけるのはおすすめしませんわ」
「どうして?」
「本当に大事なことまで、軽く見えるようになります」
スイ様は瞬きをしました。それから、困ったように笑いました。
「……それ、けっこう刺さるな」
「刺したつもりはありません」
「じゃあ、天然?」
「違います」
「わざと?」
「社交です」
「便利だね、社交」
「本日二人目ですわ」
スイ様は笑いました。今度の笑みは、先ほどまでより少しだけ静かでした。
魔法灯は、まだ穏やかに灯っています。
私のときめきブックが、かすかに震えた気がしました。
私はすぐに視線を落とします。開いていません。開いていません。よかった。
まだ、スイ・コペルのページは開いていません。ただし、表紙の金具がほんのり温かい。火属性だからでしょう。そういうことにしましょう。
「フライト様!」
課題が終わると同時に、カリウスがこちらへ来ました。
速い。風属性とはいえ、速い。
「お怪我はありませんか」
「ありませんわ」
「火が跳ねました」
「すぐに収まりました」
「俺が風で散らせば」
「広がっていましたわ」
カリウスは黙りました。
わかっているのです。風で火をどう扱うべきか、彼はよく知っています。けれど、私のことになると、反射が少し早い。
「カリウス様」
「はい」
「先ほどは、よく止まってくださいました」
カリウスの目が、少しだけ揺れました。
「フライト様が、動かないでとおっしゃいましたから」
「それを聞けることが大切なのです」
「……はい」
風が、少しだけ落ち着きました。
スイ様が横から楽しそうに言いました。
「本当に、フライト様の言葉はよく効くんだね」
「スイ様」
「はいはい、余計なことは言わない」
「はい、は一度で」
「はい」
この人は。やはり厄介です。
ティタンも近づいてきました。
「フライト、魔法灯は安定していました」
「ありがとう、ティタン」
「ですが、途中で火が跳ねた時、フライトの闇も少し揺れました」
「見ていましたの?」
「はい」
「よく見ていますわね」
「フライトのことなので」
「三度目ですわ」
「何度でも言います」
ティタンは、いつも通り静かです。
けれど、その視線は魔法灯とスイ様の間を一度だけ行き来しました。
「スイ・コペル」
「何かな、ティタン・ブラック」
「フライトの闇は、何でも包むためのものではありません」
「うん」
「火を跳ねさせるなら、ご自分で収めてください。それが出来ないなら水をかけます」
静か。とても静か。けれど、言っていることはかなり強いです。スイ様は少しだけ目を見開き、それから笑いました。
「わかった。次は気をつけるよ」
「次がある前提なのですね」
私が言うと、スイ様は軽く肩をすくめました。
「だって、もう一回くらい組みたいなって思ったから」
「ご遠慮ください」
「即答」
「即答です」
「傷つくなあ」
「傷ついた顔ではありませんわ」
「ばれた?」
スイ様はまた笑いました。けれど、その奥に何かがある。軽口の後ろで、こちらの反応を見ている目。
この方は、おそらく退屈しているのです。誰とでもそれなりに話せる。誰にでもそれなりに好かれる。だから、誰にも本気で踏み込まない。そういう軽さ。
……いえ。決めつけるのはよくありません。
私は先ほど、アイリスさんに言ったばかりではありませんか。
相手を心配することと、相手を決めつけることは違う、と。
スイ様は、遊び人枠。軽い火属性。攻略対象者。そう思って見れば、そう見える。
けれど、目の前にいるのは、スイ・コペルという一人の人間です。そこまで考えて、私は少しだけ眉を寄せました。なぜ、今そんなことを考えたのでしょう。
私はまだ、攻略計画の途中です。
アイリス友情エンド。フッケル救済。恋愛エンド回避。みんな救いたい。
そのためには、スイ様のページは、開かない方がよい。そう思っているはずなのに。
「フライト様?」
スイ様が首を傾げました。
「何か考えごと?」
「ええ」
「俺のこと?」
「少しだけ」
「光栄だな」
「警戒対象としてです」
「それでも、気にしてもらえるなら悪くない」
「そういうところですわ」
スイ様は笑いました。魔法灯の赤い光が、その横顔を照らします。軽い笑み。けれど、先ほどより少しだけ、色が違って見えました。
火属性の遊び人。スイ・コペル。距離を取れば取るほど近づいてくる、厄介な攻略対象者。
私はそのように知っています。そのはずです。
けれど、今日の共同課題で一つだけわかったことがあります。
スイ様の火は、軽いだけではありません。きちんと熱を持っています。それは、少しだけ厄介で。少しだけ、綺麗でした。
褒めすぎかもしれません。
私はときめきブックを鞄の奥へ押し込みました。まだ開かなくて結構です。
スイ・コペルのページ。
私、まだ火遊びの気分ではありません。




