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僕は彼女にぶつけないよう恐る恐る扉を開く。
「ナナさん……」
どうしたんですか。こう続けるつもりだったがナナの顔を見ると言葉を口にできなくなった。彼女の表情は、確かに、制限を解除しても大胆な表情の変化は無かったが、だが、それでも尚感じとれるぐらいに、以前より固い表情でどこを見詰めているかわからぬ人形のような生気の無い目をしていた。
それはやっぱりひどく冷たくて、僕は少量の悲しさを感じた。
「綾小路君」
声は機械的ではなかった。良かった。新たに制御プログラムが組み込まれた訳では無さそうだ。
「家出、してきちゃいました」
ナナは少しも微笑まなかった。
ナナは雨に濡れているので、玄関で一度待ってもらい、バスタオルを貸した。衣服も絞ればたっぷり染み込んだ水が勢いよく噴き出しそうで、実際、髪からもスカートからも、ぽたぽたと水を垂らしている。
様子を見に来た堀が「大変!」とナナをナナが持っていたバスタオルで拭くと「綾小路くんはあっち行ってて」と言われた。脱衣所で着替えさせるのだそう。
僕はそそくさと明さんと高橋さんの居る洋室に戻った。「誰が来たんだ?」と訊かれたので「ナナさんです」と答える。
それから脱衣所からいくつか指示があり、僕はハンガーとジャージの上下を持って、脱衣所前に置いて戻った。
数分後ナナと堀は戻ってきた。
黒地に蛍光の黄緑のラインが入ったジャージで、入るかどうか不安だったが、僕とほとんど同じ体格らしかったのでサイズはピッタリだった。右手を使って服を整えたことから右腕は修理されたらしい。
雨に濡れ着替えたことを察した高橋さんが「傘持ってなかったのか」と訊いたのでナナは「はい」と返事する。
「ナナちゃんの服、風呂場に掛けてあるから」
堀はさっき座っていた位置に再び座った。ナナも続けて座る。
「そうだな、早速で悪いんだが、ひとつ質問をいいかい?」
明さんが真剣な表情でナナに問う。
「はい」
「相原の今後の行動、わかるかい?」
「はい」
さもそれが当然かのようにナナは答えた。
「次は関西の方を狙うらしいです」
「ああ、なるほど」
「私達が警察に情報を売って解決するのが一番早い気がしますが、前提として、大問題がひとつあります」
ナナは人差し指を立てる。
「今更ながらに、我々、あなた方で言う未来人は、ここで言う現代人に、基本的に接触してはならないのです」
「えっ」
驚きに声が隠せなかった。
「なんか、詳しくはよくわからないんですけど、審査? みたいなのをクリアすれば、ある程度の接触は出来るらしいです。あ、高橋さんはちゃんとクリアしています。私と米山は知りませんがアウトなラインには抵触していることは間違いないでしょう。明さんは、そもそもここに来てる時点で色々とアウトなんで論外なんですけど」
いつものアバウトで曖昧な説明であった。
重大なことだし、警察ぐらい、いいんじゃないかとは思ったが、情報提供者になるであろうナナさんは、人格があるにしろ、機械にそれは必要なのか疑問であるが、審査に通ったか不明で、明さんはそもそもとして身分を偽って来ているので、行こうに行けない訳か。
「その通りだけど、俺だって一応審査通ってるんだよ、秋山の名で」
「そういえば」と高橋さん。
「全然未来の人間、お前を追って来ないな」
別のことで頭がいっぱいで、すっかり抜けていた。確かに、そういえば、そうだった。
最初高橋さんが研究室に来たとき、追われる、追われているだのなんだのと話していたな。随分と前の話に思える。
「ああ、確かにそうだな。けど俺が今政府に追われない理由の大体の想像はつくし、捕まえるとしても、多分この事件が収まってから政府の人間は俺を捕まえに来ると思うから、大丈夫」
なんの根拠があるのか自信ありげに明さんは語る。
「俺を過去に送り出した人間は秋山との十分な仲の知り合いだからな。多分上手くやってくれている」
初耳だった。
「はあ? それって……」
「秋山が俺に過去に行くよう言ったんだよ」
ここに来て新事実発覚だ。
「じゃあ、秋山彰は、本当にお前に全部託したってのか……」
高橋さんは悔しそうに声を震わせる。
「どうやら直樹に負担はかけたくなかったらしくてね」
直樹? と少し考え、高橋さんの名前であることを思い出す。
「少なからず、お前にとっては縁を切った相原と関わってしまうことがわかってたんだろう。優しい奴だよ、あいつは。本当にね」
「…………そうかよ」
「それでそのときお前の名義じゃ不自由だろうってな、名前を貸してくれた。俺を送り出した人間もそのことは知っている。まあ自分の意思で偽ってんじゃないんだよ、言ってなかったけど」
「ああ、なるほど」とナナ。「端から騙す目的ではなかったから、間抜けなうちの父親のみしか騙せていないと」
「そゆことそゆこと。来る年は間違えてしまったけど、相原がまさかこんなところに居るとは思わなかったし、結果オーライだよ」
現代人である僕らは再び話に取り残された。




