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蜘蛛の復讐  作者: 凪竜
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十二話

僕は震えていた



それは哲也の首筋にナイフを刺した時の感触を思い出し、今更嫌悪感に陥った訳でも、今から行うことに罪を感じ恐れおののいているわけでもなかった


シャツはバケツ一杯の水をぶちまけられた様に汗だくになり、手足は熱病に魘されたかのように震えていた


だが、それは決して罪悪感からくる自責の念ではない



僕を震わせているのはただの作業に対する疲れからだ



では、何故僕は哲也を殺したか?



僕はあいつの説得を今更聞き入れることが出来なかった


確かに哲也の説得には僕の心に迫る気迫があった


しかし哲也は



あの時、僕は哲也の為に自殺をしなかったのも、確かに真実の一端なのかもしれない


だけど僕はあの時自分が死ぬのが怖い以前に








“僕を裏切った三人組を僕と同じ目に遭わせてやりたかった”のだ






哲也はそこを勘違いしてしまった


哲也亡き今に、こんな事を考えても思考の無駄かも知れないが、正直にあいつが人に好かれる原因がようやく理解出来た



あいつは自分の事しか考えない僕と違って心の底から他人の為に本気で泣くことのできる人間だ


否、哲也が死んだ今現在はそうだったと過去形で言うべきなのか?


結局の所あいつは最後まで僕という存在を理解出来なかった


僕が何故この世界を怨んでいるかが


それは周りに居る連中が手を差し伸べ助けてくれる哲也と違い僕は差し伸べられる手すらも用意されていなかった事に尽きる


あいつは人当たりが良い上に僕と違って本当に良い友人に恵まれ、支えられたのだろう


だからこそあそこまで裏表の無い、真っ直ぐな人間な成長する事が出来た


一方の僕はと言うと狡く、賢く、それでいて臆病な連中にずっと利用され続けてきたのだ、加えてあの母親だ。お陰様で、元々人見知りだった僕の人間嫌いはますます強くなる傾向になった


近寄ってくる連中は信用することが出来ないまま遥か昔に心の扉に鍵を掛けてしまった為に、喜びを分かち合い、悲しみを分割し支えてくれる友人も出来ず


自分で言うのも変な気分なのだが

結果として自己の存在が大事なだけの醜悪な人格に形成されてしまったらしい


だから先ほど僕は哲也の涙に僅かに心を揺るがされる一方で、それ以上にドス黒く、醜い嫉妬の感情が重油の噴き出す油田の様に湧き上がって来たのを実感していたのはその時の事だった


その僕が封じ込めていた黒いバケモノは僕に命じた









“哲也ハオ前ト相反スル存在ダ、壊セ、壊セ、アイツヲ認メテシマエバオ前ノ二十五年間ハ無駄にナッテシマウ

オ前自身ノバグヲ取リ除ケ。今更オ前ハ変ワル事ナド出来ハシナイ

ナラバ壊セバイイ

気ニ入ラヌモノ、オ前ノ存在ヲ脅カスモノ否定スルモノ全ヲ消シテシマエ。ソウスレバオ前ヲ否定スルモノハ居ナクナル

今更何ヲ脅エテイル?

藤谷ヲヤッタトキハ躊躇イハナカッタ筈ダ

哲也ヲ殺セ

アイツハオ前カラ母親ノ愛情ヲ奪ッタニックキテキナノダ

ナラバオ前ハ代ワリニアイツノ命ヲ奪ッテシマエ

コレハ正当ナル報復ナノダカラ”




違う

バケモノなんかじゃない


あれは紛れもない僕自身の感情だった

心の奥底に地層の様に何年かけて堆積した醜い心の汚泥が、世界への憎しみが、世の中への不満が哲也の真っ直ぐな説得を受けて生じた夜よりも暗い色をした深遠の闇が僕を哲也殺害へと駆り立てたのだ


多分、本当の動機はそれなのかもしれない


皮肉としか言いようがないのだが、事実として僕は哲也の説得によって『変わって』しまったのだ


ただ皮肉な事にその変貌は哲也本人の望んだ更正ではなく、僕自身の更なる堕落を招いたと言うのは哲也本人にとって残酷な運命というより他ならない結果に終わってしまったとは


だが、次の瞬間に僕の胸を満たしたものは喜びの感情ではなかった


哲也と一緒に実家で過ごした二十年近くの時、たまに掛かってくる電話、そして先刻の最後の晩餐


もしかしたら僕は自分で殺したくせに哲也の死を悼んでいるのかもしれない


全く持って都合の良いことだと自分自身を自嘲する


僕はそれらの思いをを肺が一杯になるまで味わう様に深く息を吸い込んだ後、呼気と共に切り捨てさっさと『後始末』の作業に移った


後部座席に寝かせた哲也のポケットから車のキーを抜き取る

それでエンジンをかけ自分のマンションに戻るため哲也の車を始動させた


これから逃げなければならない


流石にこの街で短期間に二人も行方不明者が出たとなれば警察も事件として扱わざるを得ないだろう


ましてや藤谷に関しては僕は動機を持っている


そして藤谷と僕は同じマンションに住んでいた。警察が関連性を見つけ部屋の中を探し回れるかも解らない。


そこで僕は“証拠を消す”


藤谷と哲也の死体を近くの山に捨てにいくのだ


とりあえず僕の部屋から証拠が出なければいくら怪しくてもすぐには検挙出来ない


警察もそうそう暇では無いだろうから、適度な頃合いを見計らって遠くへ逃げればいい


いや、警察はもう動いてるのかもしれない


なるべく行動は早めにやるのがベストだ


そして僕は教習所以来の久しぶりとなるドライブに実践した















マンションに到着した


マンションまでの道のりは哲也と警察署に向かう際に記憶していたのだ


誤算だったのは哲也の車がマニュアル操作で作動する事とすっかり覚めたとは言え僅かに体内に残留したアルコールの影響だった


クラッチの仕組みは理解していたものの、僕はオートマの車しか運転した事が無かったので道中何回もエンストを起こしそうになり、そのたび背中をいやな汗が伝った


そして酒の弱い僕がアルコールをかなり飲んでいたとは言え、哲也が藤谷の死体を発見した直後から意識が完全に覚醒しきっていた為に、運転に支障が出ないレベルで足が僅かに震えていただけであった。


とは言えアクセル操作の微調整に少々苦労したのだが


ストレスと肉体的疲労のお陰でシャツはずぶ濡れといってもいいほど湿気を帯びており、塩分の混ざった水分によってウエイトと臭いがプラスされた分、気持ち悪さも増加した


そうだ。まずはシャワーを浴びよう


汗と臭さでベトベトになったシャツを脱ぎ捨てたらさぞかし気持ちがよいだろうし、死体を棄てる作業もスムーズに出来るはずだ


ついでにベトベトのシャツも棄てればいい


哲也の血が僅かに付着しているから証拠品にもなりうる


それにこんな血と汗で汚くなったシャツはもう要らない


無駄に数だけは揃えている安価で安いものなのだから



いけない、どうやら思考が混乱しているらしい


さっきからどうでもいいシャツの事ばかり考えてしまう


頭がこんがらがってる証拠だ


まずは冷たいシャワーでも浴びてやるべき事を少し頭の中で整理しよう


死体の処理はそれからだ


僕は階段を上り終わり自分の部屋の前まで来てそこで気付いた


―――――ドアが半開きになり、微かに部屋の明かりが漏れている


「まさか」


焦りは言葉となり表れた


そう。さっき哲也をなんとか部屋の外から出して殺す機会を窺って居たのだが

そのことに頭が一杯になりすぎてドアの後始末さえも気が回らなかったようだ


誰かいるかも知れない


僕は不信に思われないように自然になるべく差し足忍び足で足音を忍ばせてそっとドアノブに触れ音が出ないよう神経をすり減らしながら辛うじて確認出来る程度にドアの隙間を広げ


微かに目を見開いた

他人の声が明らかに僕の部屋から聞こえてきたのだ


「…………………………………………………な、な、なんだよ…これは」


それを見、声には出さずに心の中だけで驚愕する








僕の部屋で冷蔵庫から放られた生首を見つめ震えていたのは首になったバイトに一緒に勤め、


僕が何回も何回も殺意を抱いていた山城だった






山城は変わり果てた藤谷を見てすっかり錯乱しているらしく茫然自失の体を擁していた


そこで僕はなにを思うまでもなく自然と思った




―――――――――――――死体発見の口封じをする機会は今しかない




僕は足音を立てないように靴を脱ぎ靴下も脱ぎ素足を露出させたあとそっとドアを開けた中に忍んだ


山城はまだ気付いていない



擦り足で右手をポケットに突っ込みグリップの感触を握り締めながら奴に忍び寄る


山城はまだ痴呆にかかったように惚けている


幸いにして玄関の見える位置は冷蔵庫側からは死角になっているため山城に勘ずかれずに近付けそうだ


僕の位置から山城だと確認出来たのはひとえにあいつの着ている赤い服で判別がついた。ただそれだけのことだった

前に山城はバイト先で真っ赤なアロハシャツを着て勤めた事が過去にあった

その時はバイト先を遊び場だと考えていたのかとあいつに対して憤慨の意を抱いたものだがまさかこんな下らないことで山城だと解ってしまうとは


山城まで残り半メートル位になったところで間抜けな山城がようやく僕に気付いた


気付かれると僕は直ぐに山城に接近し右手に持った赤い果物ナイフを横凪ぎに一閃させる


「ひっ!」


山城は腕力だけでとっさに身を左にに捩らせただけの回避に僕の一撃を避けたことによって右頬を僅かに切り裂く結果だけに止まった


山城は信じられないといった風に右手で傷口を押さえ、そこに付着した血を眺めてようやく自分が殺されかけている事実を理解したようだった


「、、ふ、ふじ、藤谷はなんでこうなってるんだ?

もしかして、お、お前がこれをやったのか?」


僕が答える必要は全くなかったので今度は刃先を山城に向け前方に真っ直ぐに突き出す


銀色に輝く刃は山城の胸に深く突き立った


山城が口から血を吐き出しながら倒れる

ごぼり、ごぼりと音ををたてながら血まみれに濡れた唇から赤黒い血を吐き出しながら山城がなにか言っている


半泣きになりながらも必死に何かを訴えている目の表情から察するにあいつは恐らく自分を殺そうとしている僕に対して命乞いをしているのだ


僕は山城の生殺与奪を握っている事に僅かながらの興奮を覚えながらも、山城の胸から引き抜いたナイフを今度は山城の喉に一文字を描くようにしてに切り裂く


山城の喉は第二の口のように赤い切り口を晒しながらぱっくりと開き、口よりも大量の血を吐き出してから



そのまま仰向けに崩れ落ち、永久に黙した死体と化した


山城との決着はひどく呆気なく感じた


山城がここにいた目的は恐らく藤谷と連絡が着かなくなったから心配で主が居ない部屋に来ていたのだろう


僕の部屋にいたのは恐らく好奇心から

性根の腐っている山城は僕に対する嫌がらせを思いつき冷蔵庫の中を漁るなり、藤谷と同様に部屋の物を破壊していたのだろうか?

そこで思わず変わり果てたお友達と再開してしまい呆然としているところに僕に殺されてしまったのだ


終わってみれば外面が良いだけのひたすら運が無い馬鹿で間抜けなだけの奴だったかもしれない


バイト先で散々虐められた際に何度も殺してやりたいと思った事だろう


そのための目的で先刻に山城の命を奪ったこの果物ナイフも買った


ようやく山城との因縁に決着が着いた訳だ


このナイフは山城の血に染まった事によりようやく目的を達成したともいえる


最初は山城を刺すつもりで購入した粗末なナイフが色々あって二人もの命を奪い最後に元々僕が刺すつもりだった山城の命運を絶ったのはある意味運命とも言えた


今考えると、多少値が張ってももう少し立派なナイフを手に入れるべきだったとも思う


たかが果物ナイフの癖に折れずにここまで酷使してよく持ったものだ。赤黒く染まった銀色の刃は多少曲がっているとは言え、使用するにはまだまだ問題は無いように見える


どうやらあまり物に執着しないぼくでもこのナイフだけには僅かながら愛着が芽生えてしまったらしい


もう使う機会は無いと思うがしばらくは持っていても良いと思いそばに落ちていたティッシュで付着した血を拭き取った


人間の油が付着した生々しい銀色の刃は僕の執念が取り憑いたかの如く電灯の光を反射して怪しく鈍い光沢を放っていた


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