十話
祝、十話突破!
僕の住んでいるアパートのすぐ近くに哲也との待ち合わせ場所の公園はあった
午後八時を回り薄暗くなった公園内には遊ぶ子ども達の姿は見えず、時たま中高生らしきカップルが通りかかる以外は静かな様相を保っていた
そして公園の入り口に当たる門には一目で解る黒いスポーツカーが停車している
車に疎い僕には解らないことだが、鈍い光沢を放つマッドブラックで塗装されたその車はきっと高級車なのだろう
「兄さん」
車の運転席の窓が静粛なモーター音と共に開き、モデルと言っても差し支えがない青年が手を振る
「哲也か?」
「そうだよ、兄さん。
久しぶりだね、八年ぶりだね。調子はどう?」
「今一つかな。僕は哲也みたいに要領良くないし、仕事のせいで余り暇が取れないから遊びに行く時間も無いんだ。」
「そう?…でも世の中って結構良く出来た仕組みだから上手くやればそこそこ楽しく過ごせるよ。」
それは、僕に対する痛烈な皮肉なのだろうか?
僕は全くと言って良いほど上手く行ってない
顔と人付き合いの悪さのお陰で何処へ行こうが蔑まれ、邪魔だと罵られ、挙げ句の果てに無視され、どのバイトでもトラブルが発生すれば責任を押し付けられてクビになる。
そんな僕を周りの連中は馬鹿共と一緒に酒のネタにし、笑い
そして次の日には僕の事すらすっかり忘れてしまう
他人にいいように利用され、道具みたいに扱われ、存在自体を否定され、ご丁寧に記憶から消去される
こんな都合の悪い世界の何処が一体良くできているだと?
そう考えているのはお前だけだ。哲也
お前は世の中の人間から愛されている
僕と違って他の連中に必要とされているからな
だから僕の他人に必要とされない苦しみなんて解るはずも無いだろう
「そうか、肝に銘じておくよ。」
本音はおくびにも出さずに形だけの了解を取り繕う
「ふーん、そう。
ま、とりあえず乗りなよ兄さん。
車で店まで行くからさ。」
「わかった。
僕はあまり解らないが、こんな高そうな車をどうしたんだ?
大学の合間にバイトしてるとはいえ、とてもすぐに買えるような物じゃないだろう」
「結構見る目が有るんだね兄さん。
俺の貯金だけじゃ足りなかったから母さんが少しお金を出してくれたんだ。」
…母さん、か
何時も哲也ばかりに構ってばかりだあの人は
僕は母さんの事はあまり思い出したくなかったのでそこで思考を停止させ、後部座席のドアを開けて左側のシートに腰掛けた
「俺の隣には座らないの?兄さん。」
「悪い。前の座席に座ると車酔いするんだ。」
違う
本当はお前の隣なんて座りたくもない
「そうなの?
ま、とりあえずシートベルトだけは掛けてくれよ、警察に捕まっちゃ大変だからさ」
「わかってるって」
そうしてる間に車窓から見える景色はだんだんと街に入って行き
市街地の中心から少し離れた郊外に近いとあるレストラン前に着いた
「ここだよ。兄さん
俺もたまに友達と来るどころなんだ。
まぁ、値段はそれなりに高いからサークルの打ち上げとか、同窓会とかそんな時しか行かないけどね」
そう言って頭をかきながら少し照れ隠し気味に笑う
憎たらしい
人への気遣い方を知らない僕と違って爽やかで他人に好かれる仕草を自然と出来る哲也が羨ましい
哲也は僕に対して一見イヤミを言っているようだが、哲也自身の明るさと性分であまりそれを感じさせない
それを自然に出来ることが哲也本人の才能なのだろうか?
どうして僕はこんなにも他人から嫌われてるのに、コイツは友人が多いだけには飽きたらず彼女まで居るのだろうか?
世の中というのは本当に理不尽だ
「そうなのか?」
「バイトしてるって言っても大学生が稼げる金額なんてたかが知れてるからね」
「いいのか?僕なんかにご馳走して」
「どうしてそう卑屈なのさ。兄弟だろ?遠慮するなって」
「わかった、とりあえずどこてもいいから早く席に着こう」
「そうだね。ずっと立ち話ってのも疲れるし、他の客に迷惑だからね」
「そうだな」
適当に頷き、さっさと窓側の空いてる席へ移動する
実は一目にこれ以上一般人の視線に晒されるのは耐えられなかったからだ
木製品の紋様をあしらったテーブルに頬杖を付き哲也が言う
「な、結構雰囲気は良いだろこの店は?」
「だな、客もそんな居ないし。ひょっとして予約制のレストランなのか?」
「そうだよ。今日は僕の就職祝だけど好きなものを頼んで良いよ兄さん」
ここしばらくの間に立て続けにトラブルが発生した嫌なことを忘れるために久しぶりに酒が飲みたかったので、メニューの中から見栄えが良くて美味しそうなものを適当に選んだ
「じゃあ、これとビール大を」
「兄さん。ボタン押せばウエイトレスが来てくれるから俺に言わずにその時に注文しなよ」
哲也が苦笑しながら僕に注意する
「わかった。気を付けるよ」
その後、僕らは運ばれてきた料理に舌包みを打ち、久しぶりに兄弟同士で食事を取った
色々な事を話した
哲也の大学の事、自分達が所属するサークルが主導して行ったイベントの事、哲也と哲也の彼女との馴れ初め、現実は小説より奇なりと言った感じの学園で起きた恋愛劇など
それを語る哲也の目は子供みたいにキラキラとしたした光を湛え、話をしている最中は自分の青春を記憶のメモリーから呼び出し、思い出を反芻するごとに楽しかったその時に体から魂だけ飛び出してその時間を頭の中で再体験しているのだろう
僕はそれを羨ましく思った
大学まで行かなかった僕の学園生活は高校生までだったがそれは哲也のように記憶というキャンパスに虹色で様々な絵が描かれているとしたら僕のそれは適当に灰色で塗りつぶした落書きみたいなものだった
そして今はその灰色一面で塗られた子供のイタズラ書きにも満たないみすぼらしい絵は社会に入ってから人間の暗黒面を具現化したかのような墨汁で真っ黒に染め上げられてしまった
就職の失敗
度重なるバイトでの虐め、そして逃避
同僚からは蔑まれ、
後輩に当たる年下達からは馬鹿にされ挨拶すら無視される
僕は悪くないのに人すら殺してしまった
この後に及んで酒に弱い僕がビールを頼んだのはそんな辛い現実から逃げたかったのかもしれない
だが、僕の場合、哲也と違って酒を飲んでも飲んでも過去の悪夢が再生されるばかりで
逃避などできそうにない
冷たく、冷酷な現実はいつも僕を見張っている
それは常に僕の背後一歩手前から監視しているのだ
僕が幸せにならないがために
ここに至って僕の意識は朦朧としてきた
沢山呑んだアルコールがようやく効いてきたのだ
僕は眠気に逆らわなかった
冷たい世界は黒い空気のようなもので望む望まないといつも目に入ってしまう
ならば今だけでも眠りに着いて忘れよう
後の事は後に考えればよい
せめて、今夜の夢だけは
哲也の様に幸せになれますように




