雷は一人では止まれない
魔法制御試験。
それは学院一年生限定の行事であり、洗礼でもある。
これを通して学院の指導方針を知らしめ、若く暴走しがちな生徒たちの意識を整える。
しかしそれだけだと、ただ抑え込むだけの行事に見えてしまい、反発する生徒も出てしまう。
だからこそ、成績上位者はヘンリエッテ・ヴァルテリア女王陛下から直々にお褒めの言葉を賜る、という栄誉も付随する。
それだけではない。
その場が、生徒の身分では踏み入ることもかなわない謁見の間ということもあり、一生ものの栄誉となる。
女王陛下のおわす空間に足を運べたことに身震いしたのは、ミハエル・トランジェストだった。
玉座へと続く赤い絨毯の横に並び、その名を呼ばれるのを待つ。
朗々とした声で、次々と成績上位者の名が読み上げられていく。
「クラウディア・フェルネス」
「は、はい」
緊張で青ざめ、ぎこちなく玉座に向かっていくクラウディアを、ミハエルも知っていた。
地味で目立たない令嬢、というのが最初の印象だった。
しかし最近では、いつの間にか王女殿下に取り入った抜け目のない女、という評価に変わりつつある。
その地味な振る舞いは演技だったのか、と思うと己の迂闊さに歯噛みもしてしまう。
今も女王陛下のお褒めの言葉に、倒れそうなほど萎縮しているが、あの姿もどこまで真実なのやら。
身体を震わせながらも、なんとか礼を失わず列に戻る。
その姿と入れ替わるように、次の人物の名が呼ばれた。
「ブリジッタ・ヴァルテリア殿下」
「はい」
列から進み出る王女殿下。
背を伸ばして歩く彼女の後を、幻想的な金糸が追いかける。
眼前を歩むさまは妖精のようで、およそ現実とは思えない。
ミハエルも見とれたその少女は、玉座へ続く階の手前に立ち止まった。
そして、スカートの両脇を軽く摘み、深く膝を折って頭を垂れた。
その美しさに、そこかしこから――ミハエルの口からも、知らず感嘆の息が漏れる。
女王陛下は、これまでの成績優秀者に対するときと同じように、玉座に座ったまま。
その瞳は、氷のように青く硬く、温度が変化することはない。
「そなたは本試験において、力の大きさのみならず、それを御する節度と鍛錬を示した。王国はその成果を喜ばしく思う。よく励んだ」
これまで通り、威厳ある声がブリジッタの身に降り注ぐ。
発言はおろか、これ以上のみじろぎすら許されない、女王陛下の御前。
姿勢を正すことを許されたのは、証となる小ぶりの銀章を手渡される段になってからである。
そうして王女殿下は女王陛下の前から下がり、とうとうその瞬間が訪れる。
「魔法制御試験、成績優秀者一位。ヴァルテリア王立魔法学院一年、ミハエル・トランジェスト」
「――はい!」
声が上ずるのを自覚しても、高揚を抑えられなかった。
赤い絨毯に踏み入り、踏みしめ、玉座に続く段の前へ。
片膝を折って跪くと、自分の髪の色のような絨毯が視界を覆いつくす。
「ミハエル・トランジェスト。そなたは――」
一位にのみ許される、女王陛下自らに名を呼ばれて称えられる栄誉に、ミハエルは完全に舞い上がった。
やってやったぞ、という喜びが内心に膨れ上がる。
熱に浮かされるような感情に、女王陛下のお言葉さえ、意識の外へ押し流されていく。
ミハエルは、伏せた顔の中でほくそ笑む。
足がかりは得た。
父が学院運営に顔が利く以上、機会はいくらでも作れる。
ならば、次は――。
居並ぶ教師たちの中から、悲鳴のような抗議が上がった。
「それはどういうことでしょう……!」
「どうもこうもあるまい。そのままだ」
数学教師ペルーゼンの表情は、担当科目そのもののような論理に満ちていた。
対し、声を荒げたコレットは、歴史を揺るがす報せでも受けたかのような狼狽を示している。
「以後は生活魔法を、採点に加味するなど……!」
「特段、生活魔法と名指ししたつもりもないのだがな……」
辟易したようなため息が、ただでさえ重い教職員室の空気をさらに沈ませる。
ペルーゼンの隣で、肩をすくめる動きが見えた。
「話聞いてた? ペルーゼンは、的の破壊に至る過程も考慮に入れてはどうか、って言っただけじゃん?」
それは、小石に魔力を纏わせて破壊という結果を導き出した、ある生徒を指すものだった。
そのトビアスの口調も、かなり崩れている。
およそ理性的ではないコレットの振る舞いに、嫌気がさしてきているのだろう。
コレットはトビアスの内心に気づかず、なおも主張する。
「不正の温床となりえます……!」
「……それは確かに」
「そうでしょう!?」
教師の輪の中から賛同が上がり、コレットは勢いづいた。
しかし、別の意見も上がる。
「だが、試行錯誤が築く力になるのも、また事実」
「……!」
相反する意見を、反射的に睨みつけるコレット。
しかし、議論は止まらない。
意見が上がっては検討され、消えていく。
それはあたかも、新たな植物が根を張り、芽吹こうとする兆候に見えて、コレットの身体を震わせた。
「し、しかし」
弱々しいコレットの訴えに、トビアスのうんざりとした声が飛んだ。
「ネーベック先生の進言通り、基準通りに採点したじゃん? なのにまだ不満とか、どうかしてると思うよ?」
「やめろトビアス、判断したのは私だ」
ため息をつくペルーゼン。
それは試験後、最終的な結果を決めるため、試験官以外の教師も集まった場だった。
そこでコレットが声高に訴えたのは、セドリックの実演直後にも議論の対象となったことだった。
すなわち、的の破壊を属性魔力で成すべき、という一点である。
「生活属性ってことでいいじゃん?」
「そのような属性、聞いたこともありません!」
トビアスとコレットを中心とする議論は、生活魔法を毛嫌いする一派の支持を得たこともあり、コレット側へ傾いた。
ペルーゼンがその判断を下したのは、場の勢いに押されたからではない。
基準外の行為は採点できない、という結論に至ったからだった――内心はともかく。
先日の経緯を苦く思いながら、ペルーゼンは深まっていく議論を眺めやる。
その横で、興味をなくしたのか、うつらうつらし始めるトビアス。
そんな教師陣の動向に、コレットは首筋が冷えるような危機感を覚えた。
わかっている。
自分の中にある生活魔法への嫌悪が、セドリック・アルヴェインという形を取っていることに。
しかし、彼は神であるべき少女の傍らに、常にあった。
持ち物に口づけを賜るほど寵愛されているそのさまを、羨ましく思いもした。
しかし決定的だったのは、神が振るう力を止めるすべを、彼が持っていると認識できた時だった。
――安定させてしまう。
あの力はもっと、威に満ちねば。
コレットは思考の海に落ちる。
なんとかしなければ――と。
セドリックは一人、廊下を歩いていた。
魔法制御試験の結果が貼り出されている場所を目指しながらも、セドリックの心はここにあらずだった。
――ジッタは、少しは話せただろうか。
思うのはそれだった。
女王陛下は、もちろんお忙しい。
国内ではもちろん、外交の務めもあり、王城どころか王都にいる期間さえ少ない。
例外は賓客として立ち会う学院の入学式や、それに類する行事など。
つまり、娘のブリジッタと会うことも、そうそうない。
だからこそ、せめて、頑張ったことを労われるように、会話を。
その機会を引き寄せる助けになればよい。
そのためならブリジッタの試験で、ほんの少しくらいは――。
そんな内心を押しとどめてくれたのが、なにやら思惑があるような男子生徒の視線だったのは、意外だったけれど。
結果的には、あれでよかったのだろう、と胸の内を苦笑に押し込める。
半ば、ぼうっとしながら歩いていたのがいけなかったのだろう。
角を曲がったところで人にぶつかりそうになって、慌てて身をよじる。
「わっ!?」
「おっと、わりぃ」
よろけたセドリックの肩を掴んで立て直したのは、ぶつかりそうになった男子生徒だった。
「あ、ありがとう。ごめん、こちらこそ」
「いや」
予想外の力強さで体勢を支えた手は、すぐに離された。
そこでセドリックの視界に映ったのは、茶色の髪の、セドリックより頭一つ高い背を持つ生徒。
「……君は」
「ああ、あんたか。久しぶりだな、あの中庭以来か?」
にっ、と歯を見せて笑ったのは、いつだったか絡まれていた彼だった。
ふっ、とセドリックの口元も緩む。
「そうだね。あの後はどうだった?」
「どうにかここまで、ぶん殴らなくてすんでるよ」
「それはよかった」
「まあな。あんたも制御試験の結果を見に来たのか?」
「うん」
「なら一緒に行こうぜ」
言うが早いか、歩き出す彼に、セドリックはつられるようについていく。
――ということは、同じ一年生なのか。
セドリックの内心によぎったのはそれである。
少し遅れてついていくと、結果が貼り出されている壁際に辿り着く。
その前はやや人混みがあるが、見通せないほどではなかった。
「どれどれ? つっても、俺は決まり切ってんだが。あんたは?」
覗き込むような姿勢になった彼に、セドリックは指さして見せた。
結果の一覧――その一番下を。
どんな反応が返ってくるかを苦笑で見守っていると、彼は勢いよく立ち上がった。
そして、吹き出すような笑いとともに背中を叩かれた。
「奇遇だな。俺はその一つ上だよ。ま、景気よくぶっ放してただけだったから、当然なんだが」
よろめくほどではなかったが、それでも痛みに顔をしかめながら確認する。
そこには、ヨナス・グランツ、とあった。
ここでようやく、セドリックは隣の彼の名前を知らなかったことに気づいた。
「……グランツ殿というのか」
確認するように呼び掛けながら見やると、ヨナスは嫌そうに顔をしかめた。
「『殿』とか柄じゃねえし、ヨナスでいいよ。こっちもセドリックでいいか?」
「もちろん。改めてよろしく、ヨナス」
そう言って、セドリックは手を差し出した。
「礼儀正しいんだな、セドリックは」
ヨナスは、求められた握手に応えながら、セドリックを妙なもののように見た。
その感想に、セドリックは首を傾げるしかない。
「そうかな?」
「ああ、俺が知る貴族の中じゃ一番な。けど、それが――ここでは、正当に扱われねえんだな。あんなにすごかったのによ」
刺すように鋭くした視線の先には、試験結果最下位を示すその事実があった。
しかしセドリックは、ヨナスの横顔を眺めながら「素朴な顔立ちなのに、睨むと怖くなるんだなあ」とのんきに思うだけだった。
ヨナスにも試験の様子を見られていたのか、とも。
そして、嬉しくも思う。
「王女殿下と、君に褒めてもらっただけで十分だよ」
「……調子の狂うやつだな」
「そうかな」
自分ではよくわからない。
「ま、いいや。一応、結果を確認しに来ただけだから、俺はもう行くぜ」
「うん、またね」
「ああ。――そういやよ」
「また忠告でもしてくれるのかな?」
ヨナスは立ち去りかけて、ぴたりと足を止めて、苦笑を浮かべた。
それに対するのは、興味深げな濃紺の瞳である。
「目立つ奴は絡まれる。実体験だ、重みがあるぜ」
「素直に受け取るよ。ありがとう」
「ああ、んじゃな」
今度こそ、ヨナスの背中は遠ざかっていった。
セドリックは、いつの間にか閑散とした壁際を眺めた。
ヨナスは前回も忠告じみた言葉を残してくれた。
しかし、それを生かせたかどうかはわからない。
ならば、もしかしたらこの忠告もまた、そうなるかもしれない。
セドリックは重くため息を押し出した。
その時、背後から誰かの足音が聞こえた。
たたたっ、と軽い足音。
なんだろう、と振り返る間にもそれは近づいてきて、次の瞬間、柔らかい感触がぶつかってきた。
「うわっ!?」
振り返った動きと、ぶつかってきた衝撃が合わさって、二人してくるくる回る。
転倒を堪えたが、壁に背中を打ってしまったセドリックだった。
しかしなんとか、抱き着いてきたブリジッタを、庇うことはできた。
「探した、セド」
「ジッタ……って、人目が……!?」
「誰もいないって確認したから大丈夫」
「僕が大丈夫じゃないよ、もう……」
「ごめんなさい」
さすがに、しゅん、としてしまったブリジッタ。
離れてから背中をさすってくれる彼女の上目遣いに、セドリックは怒っていられず、苦笑した。
「少しは陛下とお話できた?」
「全然」
いつもの無表情の中に、不満を滲ませるブリジッタ。
本当に公式の場での労いだけだったのだろう、と想像がついた。
けれど、そこに暗さは見出せず、セドリックはほっとする。
と、ブリジッタが胸ポケットを見つめているのに気づく。
「セド、万年筆」
「あ、うん。今日は書き物が多かったから」
夏服での定位置を決めたそれを、凝視するブリジッタ。
細い指先を、小さな唇に当てて考え込むしぐさになった。
どきり、とセドリックの鼓動が大きくなる。
万年筆を使うたびに蘇る光景を、そのたびに打ち消しているというのに。
ブリジッタは首を傾げた。
「……何か、忘れてる気がする」
その言葉に、あの時のブリジッタは半ば眠っていたことを思い出した。
「……昼食のことじゃない?」
「……そう、かな」
「今日は肉料理が豊富らしいよ」
「行こう、セド」
そうして、手を引っ張られる。
「……次の角までだよ」
先ほどよりずっと不満を色濃く見せた幼馴染に、セドリックは笑みを誘われた。
このお姫様は、目を離せない。
眠ればずっと起きない、食堂では好物ばかりを取り分ける、駆け出せば止まれない。
そして、それは荒ぶる雷の力も同じ。
一人では止まれない。
けれど、そんな幼馴染が愛しくて仕方がない。
だから思い返す、先ほどの忠告を。
せめて少しでも、悪意をこの身に引きつけられるのなら。
――きっとこの最下位には、意味がある。
読んでくださり、ありがとうございました。
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