クラウディア・フェルネス
クラウディア・フェルネスは、水魔法を代々継承するフェルネス家の長女として生まれた。
五つ上の兄が侯爵位を継ぐと決まっており、ゆえに彼女の未来は、他家へ嫁ぐか、職を得るかのほぼ二択。
ならば文官として王宮に仕えたい――そう思って勉強に励んだ結果、視力が落ちて眼鏡が手放せなくなった。
顔立ちは平凡だが、淡い水色の髪の艶やかさは気に入っており、せめてものおしゃれとして軽く結い上げている。
そんな自分は、やはり文官の未来が似合っていそうに思う。
――つまり、そんな地味な自分だから監視役に任命されたのだろう、とクラウディアは振り返る。
他にも理由はあったのだと思う。
フェルネス家は中立寄りであり、目立つ家ではないこと。
成績が上位であること。
なにより、教室の席が近いこと。
そう、監視対象の王女殿下に――だ。
その依頼を受けたのは、昨日のことだった。
最初は、恐れ多さに尻込みした。
けれど次の瞬間には我知らず頷いており――依頼の場を退いた後で、頭を抱えた。
しかし、そうして悩んだところでお腹は空くもの。
今は、初めての食堂へ、学院の案内も兼ねてクラス全員で移動しているところだった。
クラウディアが安堵したのは、先導しているのがコレットではなく、少し年かさの男性教師ペルーゼン・ラドフォードだったこと。
直前の数学を担当していた教師で、多少偏屈なところはある。
だが偏屈なだけで、何事も起きないだろうと思わせる人物でもあった。
しかし、別の気がかりはある。
クラス全員での移動だというのに、すでにわかりやすいグループ分けができている。
けれど、自分はそこに入っていない。
それどころか自分は列の一番後ろ、王女殿下と執事の近くに位置していた。
というより、そこへ追いやられていた。
――壁のようですね。
そうクラウディアが認識するには十分だった。
器用に立ち回るクラスメイトに対して不信を覚えるものの、監視役としては都合がよいか、とも思った。
しかし今は、それよりも空腹をどうするかが重要だった。
そのクラウディアの前で、先導していた教師が説明を始める。
食堂は取り分け式で、生徒が自分で料理を取り、自分で席を探すとのこと。
これについては事前に聞いていたが、クラウディアとしては新鮮で、食堂の入り口から見える色とりどりの料理に心が躍る。
しかし、クラウディアのような捉え方は少数派だった。
「給仕の真似事をしろと?」
そのような声が上がるのは必然だった。
しかし、数学教師ペルーゼンの一睨みも、その声に負けてはいなかった。
「あなた方がここですべきは、まずは一生徒の真似事である」
ざわり、とした空気の震えがクラウディアまで伝わってきた。
それは恐れではなく怒りの余波であり、誇りの表れだろう。
数学教師へ向けられた怒りに、クラウディアはどこか白けた感情を向けてしまう。
その時、クラウディアの耳が捉えたのは、つかつか、と横を通り過ぎていく二人分の足音だった。
「え」
そちらを向くと、今にも発火しそうな空気を割るように、歩みを進める主従の姿があった。
(あ、あの)
本来は声にすべき言葉を心にとどめるしかできず、クラウディアはたまらず二人を追いかけた。
二人――王女ブリジッタと、付き従うセドリックの歩みは止まらず、怪訝そうな数学教師の横をも通り過ぎていく。
ブリジッタは美味しそうな料理の数々の前に立つと、セドリックを振り返って無言で尋ねた。
「まずはこちらのトレーと、食器をお取りくださいませ」
「わかった」
セドリックが説明しながら自分の分をやってみせると、ブリジッタも見よう見まねで自分の分を手に取る。
クラウディアの背中で空気が弾けた。
「あ、あの! 王女殿下、わたしたちがしますので!」
「そ、そうです! 殿下自らそのようなことをなさるなんて……!」
列の先頭付近にいた女子生徒から、追従の声が上がる。
それをクラウディアは、呆れを覚えながら見てしまう。
ブリジッタも同じ思いだったようだが、無表情である分、その呆れは一層際立って見えた。
「今の私は一生徒。邪魔しないで」
そして、それ以上のさえずりは聞こえなくなった。
王女の視線が外れると、彼女たちは膝を震わせた。
へたり込まなかったのは、さすがに矜持があったからか。
そんなふうに考えるクラウディアの視界に、手が差し出された。
「どうぞ」
次の番、と教えてくれたセドリックだった。
彼は何度か見たことがある笑みを残し、料理の前に佇む主のもとへ向かう。
「……王女殿下。野菜もお選びくださいませ」
「やだ」
おそらく好物ばかりを取り分けたのだろう。
王女の皿に難色を示す彼を追うように、クラウディアもトレーに手を伸ばす。
そんな光景を見せられては、もはや表立って不満の声を上げるのは難しい。
「王女殿下のほうが、よほど教師の才があるようだ」
と、ペルーゼンは肩をすくめた。
それを皮切りに、生徒たちは反発の気配を見せつつも、のろのろと列を動かし始める。
クラウディアは、王女殿下の御威光が今度は場を収めたことを、感慨深く思った。
よく考えられた彩りで料理をトレーに並べたクラウディアは、さてどこに座ろうか、と食堂を眺めやる。
自分たちが食堂を使う最初のクラスだったので、席自体はどこでも空いている。
が、クラウディアが惹きつけられたのは、陽光が差し込む食堂の隅だった。
小さな丸テーブルには、学院で最も目立っているであろう二人がいた。
それを認めた瞬間、クラウディアの足がそちらに進み出た。
そこに近づくにつれ、他のクラスメイトの動揺が大きくなり、背中に感じられてくる。
しかしもはや気にせず、自分の意志で最後の一歩を踏み出し、声をかけた。
「――あの。同席、よろしいでしょうか」
不思議そうな二人分の視線が持ち上がる。
そこに微笑ましさ、そして仲の良さを見て、クラウディアは。
(――なんて眩しい)
そう思った。
――が。
「セドリック。これって断っていいの?」
「……王女殿下。そのような無体なことをなさるものではありません」
そのようなやり取りが目の前で交わされると、さすがにクラウディアも目が点になってしまうというものだ。
そんなクラウディアを気の毒そうに見やったセドリックは、次いで主へ咎めるような視線を向けた。
ブリジッタは、わずかに首をすくめる。
そのしぐさを許可と捉えたセドリックがテーブルを指し示したことで、ようやくクラウディアは動き出せた。
「あ、ありがとうございます」
思いがけない洗礼を受けたものの、ようやくクラウディアは席を確保することに成功した。
入れ替わるように、セドリックが立ち上がる。
「お飲み物をお持ちしますね」
一礼し、その場を立ち去るセドリックに、クラウディアは戸惑いの声を上げる暇もなかった。
そうして、テーブルの上に沈黙が落ちる。
その重さに、知らずクラウディアは喉を鳴らした。
しかし俯かずに済んだのは、王女殿下の顔がすでにこちらを向いていなかったからだった。
その視線を追うと、飲み物が置かれている場所に向かうセドリックの背中があった。
彼の姿は、すぐに人混みの向こう側へと消える。
やがて興味を失って戻ってきた視線とかち合い、クラウディアは我知らず背筋を伸ばした。
そうすると、自然に言葉が出た。
「も、申し訳ありません。お邪魔をしてしまったようで」
「うん」
遠慮のない返事に、内心で怯む。
しかしクラウディアは、目の前の王女殿下から目を離すことはできなかった。
陽光すら従えるような美しさと神々しさに、囚われてしまったかのようだった。
長い金糸、青い宝石、白絹の肌、花の唇――そんな表現が浮かんでは消える。
改めて直視したブリジッタ・ヴァルテリア王女殿下は、ただそこにあるだけで神秘としか思えなかった。
時が経つほど傾倒してしまいそうな危うさを自覚しているのに、目を逸らせない。
むしろ享受してしまいそうな自分がいた。
「――でも、セドリックにお願いされたから」
その一言が、わずかにクラウディアを現実に引き戻す。
知らぬ間に前傾していた姿勢を戻しながら、クラウディアは聞き返した。
「……お願い、ですか?」
無体をするものではない、という進言のことだろうか。
そう考えたクラウディアに返ってくるのは、頷きと――真っすぐな言葉だった。
「私も、あなたは悪い人ではないと思ったから」
あまりに素直な感想に、クラウディアは反応を選び損ねた。
「……こ、光栄で……ございま、す」
じわじわとこみあげてくる喜びが、そんなありきたりな言葉の邪魔をする。
しかしだからこそ、監視役として近づいた自分に、罪悪感を抱く。
その時、近づいてきたのは、トレーを手に戻ってきたセドリックだった。
彼は怪訝そうにした後、細めた目を主に向けた。
「私は何もしてない」
「……まだ何も言っておりません」
「目が言ってた」
セドリックは苦笑混じりに、果実水を配った。
その軽いやり取りと、グラスからかすかに漂う柑橘の香りが、クラウディアの心を落ち着けていく。
そして、静かなセドリックの言葉も。
「お腹が空いていると、ろくなことになりません。まずはいただきましょうか」
セドリックが席に着くと、待ちきれないようにブリジッタが手を組む。
クラウディアも食事前の祈りのために手を組んで目を閉じ、いつもの口上を捧げる。
「雲にまします母なる雷、今日も感謝を捧げます――」
そう、それはいつもの習慣。
本来は唱和するはずの祈りは、自分の声しか聞こえない。
不思議と、クラウディアは違和感を覚えなかった。
いや、あえて無視した。
閉じた瞼の向こうで、二人が今どんな表情をしているのか。
この時ばかりは、クラウディアは目にしたくはなかった。
しばし、静かに食事は進んだ。
美味しい料理に舌鼓を打っていると、幾分は心も浮き立ってくる。
「王女殿下、野菜が残っておりますが」
執事に指摘され、恨めしげな主。
そんなささやかなやり取りにも、少しは慣れてきた。
「食べきっていただけたら、おかわりしてもよいかと思います」
「……がんばる」
そうして言葉通り頑張り、王女殿下は席を立ってトレーとともに旅立っていく。
クラウディアは駆け出しそうな後ろ姿を見送り、ぽつりと呟いた。
「……殿下は健啖家なのですね」
「その分、野菜も食べていただければよいのですが」
苦笑するセドリック。
しかしその口元は次の瞬間、引き締まるのだった。
「フェルネス嬢。お願いを聞いていただけないでしょうか」
「は、はい?」
唐突な言葉に、クラウディアは驚くしかない。
セドリックは周りを窺ってから声を潜めた。
「――王女殿下のことです」
「……王女殿下の」
何を言われるのか、身構えてしまったクラウディア。
その様子を見て、セドリックは自分が切羽詰まっていることに気づいたらしい。
セドリックは果実水で一息ついた。
その間に、クラウディアも少しは落ち着けた。
「僕はなるべく殿下をお支えするつもりですが――男です。同行できない場所もあります」
「……それは、確かに」
話の流れから、何を頼まれるか想像がつき、内心でクラウディアの腰が引けた。
「急なお願いだとは承知しています。ですが、少しでよいのです。どうか――ブリジッタ王女殿下を、お気にかけていただけないでしょうか」
無理だ、と。
そう断ることもできたと思う。
しかし、そのすがるような様子が。
出会ってまだ数日の自分に、頼み込むしかない状況が。
一見穏やかなその関係に、どれほどのものが潜んでいるのかを垣間見せてくる。
「……なにができるかは、わかりませんが」
気づけば、クラウディアはそんな言い方で頷いていた。
セドリックの顔が泣き出しそうに歪み、一瞬後、深く下げられた頭に隠れる。
見ていられず、クラウディアは料理が並ぶ場所に目をやる。
そして、まずはできることをやろう、と思うのだった。
「……王女殿下が、ちゃんとお野菜もよそっているか、見てきますね」
「……ありがとうございます」
いまだ顔を上げられないセドリックを置いて立ち上がり、クラウディアは思う。
寄らば大樹の陰、と人は言うかもしれない。
確かに、自分もそう見える。
しかし、大樹には雷が落ちるもの。
邪な考えでこうして二人に近づいた自分には、それに相応しい報いが訪れるかもしれない。
けれど、と思う。
それでもたぶん、自分は。
――この二人を見ていたいのだ。
読んでくださり、ありがとうございました。
↓の☆をぽちりとしてくださると、大変励みになりますので、よろしくお願いします。




