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雷姫《いかずちひめ》は避雷針執事に依存しています  作者: 緋色


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3/10

隣の席

 ――クラウディア・フェルネスは、教室に続く扉の前で立ち止まった。

 昨日、そこは唐突に審問の場と化した。

 その記憶が脳裏に明滅し、どうしても足を踏み出せない。

 仕方のないことだ、と自分に言い聞かせても、打ち消すことは難しかった。

 およそ人とは思えない、まさしく女神のごとく凛とした佇まい。

 圧倒的な気配と力を纏う王女、ブリジッタ・ヴァルテリア。

 おそらくは支える影であろう、セドリック・アルヴェイン。

 その場を目撃した多くの生徒と同じく、彼女もこう思った。

 ――女神とその使徒。

 そして女神は、その使徒の言葉だけは受け入れているようにも思え――。

 そこで我に返る。

 いつまでもここにいては遅刻になる、と半ば諦めながら、なんとか扉を引き開ける。

 教壇へ向かって階段状に低くなる教室は、もちろん昨日と同じだった。

 しかし出迎えたのは異様な静けさ。

 無人ではない、席の大半は生徒で埋まっている。

 囁きは交わされている。

 しかし、その声は耳打ちのように小さい。

 そして明らかに、彼らの意識はある方向を避けている。

 それもそうか、と思う。

 けれど、彼らに同調することはできなかった。

 なぜなら、空いている席が昨日と同じところしかなかったからだ。

 つまりそこは、この教室で今もっとも避けられている場所だった。

 彼女はその状況に気づいて、一瞬、息を飲んだ。

 仕方ない、と歩みを進め――その席に近づいて、挨拶をした。

「……おはようございます」

 隣席のセドリック、そしてその向こうのブリジッタが顔を上げる。

「おはようございます」

「……おはよう」

 ごく普通の朝の挨拶が返ってきて、彼女はやっと一息つけた。

 そして着席すると、

「……おー」

 と、なにやら声が聞こえてきた。

 それは、セドリックの手元を覗き込むブリジッタの、感心の声のようだった。

 その視線の先には、机を舞台として踊る、万年筆と羽ペンの姿。

 それが生活魔法だと気づくのに、彼女はしばらく時間を必要とした。

「……情熱的」

「授業が始まるまでですよ、王女殿下」

 横から聞こえてくるそんな会話に、クラウディア・フェルネスは思う。

 何なのだろうか、このお二人は――と。



「おはようございます、皆さま!」

 異様な静けさが漂う教室を、場違いとも思える元気な声が切り裂く。

 教壇に姿を現したのは、担任のコレット・ネーベックだった。

「今日も健やかな皆さまにお会いできて、このコレット、嬉しい限りでございます! それでは、まずは伝達事項から――!」

 うきうきとした様子で声を張り上げる担任に、ざわり、と教室の空気が震える。

 内容は事務的なのに、徐々に教室の温度が塗り替えられていく。

 誰もが戸惑いを濃くする中、クラウディアは妙に冷静なまま、目の動きだけで周りを見渡す。

 昨日の空気を払拭するためには、あえてこれほどの勢いが必要なのだろう。

 おそらく全員が望んでいることであり、率先した担任の姿勢には頭が下がる。

 そしてぎこちなく始まった授業は、緊張感を保ったまま終わりを告げた。

「そ、それでは皆さま、また後ほど」

 そうしてコレットは、慌ただしく教壇を片付け、足早に立ち去った。

 歴史の授業そのものは、地図に映る国境の変遷なども自然に頭へ入ってきて、実りあるものだった。

 それも含めて、教室のそこかしこで安堵の気配が広がる。

 クラウディアも例に漏れず、肩から力がやっと抜けた。

「――あの、大丈夫ですか?」

 という声とともにハンカチが差し出されてきた。

 声の主を追うと、王女殿下の執事――セドリックの気遣いの表情があった。

「……はい? えっと……」

 クラウディアが戸惑っていると、彼の瞳は、一段と気遣いの色を濃くした。

「お顔の色が優れないようでしたので」

 額の汗を自覚して、クラウディアは伏し目がちにするしかなかった。

 担任がもたらした緊張感は、ずっと自分の中に居座っていたらしい。

「……お恥ずかしいところを」

「いえ」

 セドリックの声を追うように、向こう側から王女――ブリジッタが覗き込んでくる。

 その視線にこもる静かな圧力は、受け取るべきではない、と告げているようだった。

 クラウディアは、自分のハンカチを取り出す動作で、セドリックの申し出を丁重に辞退した。

「……昔から汗っかきなもので」

 クラウディアは、自分のハンカチで汗を拭き取る。

 まるきり嘘でもない言い訳に、申し訳なさそうな声音が返ってきた。

「……そうでしたか。……その、色々とご心労をおかけして、申し訳ありません」

 いいえ、という言葉ではなく、ひきつった笑顔で返してしまったクラウディアだった。

「セドリックは悪くない」

 王女殿下は澄ました顔で、執事が手にしたままだったハンカチを引き抜いた。

 そしてそのハンカチに頬を擦りつける。

「私も悪くない」

「……王女殿下?」

「悪くない」

 ついに王女殿下はそっぽを向いてしまった。

 ――クラウディアは絶句するしかない。

 天上の人物が一転、ただの拗ねたような女の子にしか見えない。

 しかし、不敬にも通じかねない感想を慌てて打ち消す。

 どうしたものか、と考えが纏まらないクラウディアの視界に、階段状の教室を上がってくる人影が見えた。

「少し、よろしいでしょうか」

 堂々とした姿勢ながら、声音に遠慮を含ませたその人物。

 それは、鮮やかな赤い髪が印象的な、ミハエル・トランジェストだった。

 クラウディアは、王女の目が細まるのを見た。

 そしてその小さな唇が言葉を紡ぐ前に、ミハエルは身を沈めた。

「昨日の軽率な態度を謝罪いたしたく」

 ミハエルは片膝をついた姿勢で、深く頭を垂れた。

「セドリック・アルヴェイン殿。申し訳なかった」

「いえ、そんな、私は」

 セドリックは慌てて立ち上がり、姿勢を整えて背筋を伸ばした。

「……気にしておりませんので、どうか」

 セドリックはそこまでしか言えず、主を窺う。

 判断を委ねられたブリジッタは、立つそぶりも見せず、そっとセドリックのハンカチを机に置いた。

「――次はない」

「――は」

 王女の宣告を受け取るミハエルの表情は、頭を垂れているため見えない。

 しかしクラウディアは、自分の喉元に刃物を当てられたかのような錯覚に、一瞬見舞われた。

 一時は引いていた汗が、また噴き出すのを自覚する。

 手にしたハンカチで汗を拭き取っていると、ミハエルが立ち上がる光景が目に入った。

 彼の顔つきは、許されたこともあってか晴れ晴れとしており、元の優美な雰囲気を取り戻したようだった。

「それでは、私は所用がございますので、これで。お邪魔いたしました」

「いえ、わざわざご丁寧に、ありがとうございました」

 ミハエルとセドリックのやり取り。

 一見、礼儀正しい和解の図ではある。

 しかし――と、そこにどこか整いすぎたものを感じて、クラウディアは小さく眉をよせた。

 立ち去り際、ミハエルは声を潜めた。

「一生徒として、差し出がましいことを申し上げます」

 彼が注視しているのは、ブリジッタが手を添えているハンカチだった。

「男物のハンカチを、これ見よがしに手になさらないことをお勧めいたします。王女殿下のお立場を思えば、少しばかりお気をつけになった方がよろしいかと」

 そうして、彼は一礼した。

「――それでは、失礼」

 返答を待たず、落ち着いた足取りで自分の席へと戻るミハエル。

 他の生徒たちはその姿を追ったものの、すぐに興味を失い、また別の話題へと移っていく。

 そして、ざらついた不快感を覚えるクラウディア。

 その理由は、せっかく自分を慮って差し出された善意の象徴を、攻撃材料として使われたことにあった。

 自分でさえそうなのに、当人たちはどうなのか。

 気遣い半分、怖いもの見たさ半分、クラウディアはおずおずとそちらへ視線を向けた。

「……返していただけませんか、王女殿下?」

「いや。もう少し堪能する」

「なにを……?」

「セドリックの色々」

「色々って何ですかっ」

 小さく叫ぶセドリックに、クラウディアは吹き出した。

 はしたない行為を咳払いでごまかしていると、二人の視線が集まる気配に背筋が伸びる。

「も、申し訳ありません」

 顔を逸らしたが、頬に集まる熱まで、ごまかせたかどうかはわからない。

「いえ。こちらこそ、お騒がせして申し訳ありません」

「私は悪くない」

 そっとそちらを窺うと、言葉通り申し訳なさそうなセドリックがいた。

 その隣には、頬にハンカチを添えてこちらを見つめてくるブリジッタの姿もある。

 そんな二人の間に、美しくも壊れ物のような雰囲気を感じ取り、目を逸らしてしまった。

 その失礼を取り繕わなければ、と思った時、教室の扉が開く。

 入ってきたのは次の授業担当の教師。

 それに合わせて、クラウディアの横でブリジッタとセドリックは教壇に向き直る。

 他の生徒たちももちろん、クラウディア自身も席に座り直して筆記用具の位置を確かめる。

 それでも、クラウディアの意識はわずかに逸れる。

 隣の二人のことは、しばらく頭から離れそうにない。

 クラウディアはそう自覚した。

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