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雷姫は避雷針執事に依存しています  作者: 緋色


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2/2

逆鱗

 翌日、登校初日。

「――おい、あれ見ろよ」

「例の『姫』だよな。すごかったな、入学式のあれ」

「ちょっと、あれとかよしなさいよ。不敬よ」

 学院の門をくぐる前から聞こえてきた囁きは、校舎に足を踏み入れるとより一層密度を増した。

 ブリジッタは興味なさそうに歩みを進め、付き従うセドリックも表面上は平静そのもの。

 王女の耳に入ればどうなるか――そんな危うい好奇心が積もり、知らず知らずのうちに囁きとも呼べないような大きさになっていく。

「――で、あの黒髪は何だ?」

「執事だってさ。しかも、生活魔法使い」

「はあ? そんなのが、なんだってここに――」

 そしてその声は、王女を立ち止まらせた。

 ブリジッタは表情をなくし、声の主たちへ顔を向ける。

 次いで、ブリジッタはなおも何かを言い募ろうとしていたグループへ、足を踏み出そうとした。

「お、お待ちください」

 人目があるゆえに、執事として制止したセドリック。

 振り返ったブリジッタの瞳に色が戻り、小首を傾げてくる。

 セドリックは何と言おうか迷い、声を潜めて耳打ちした。

「……今、何をしようと?」

「私の執事に、なんの文句があるのか聞こうとしたの」

 ブリジッタの返答は、普通の声量で放たれた。

 聞きつけた周りの生徒は、気まずげに言葉を噤み、そろって視線を逸らした。

 セドリックは、再び声を潜めた。

「僕は気にしてないから……落ち着いて」

「……セドがそう言うなら」

 わずかに唇を尖らせるブリジッタ。

 そしてブリジッタは、セドリックの袖を引っ張って歩き出す。

「行こう、セド」

「あ、うん……」

 好奇と畏怖の入り混じった視線を置き去りにしながら、セドリックはブリジッタに耳打ちした。

「僕のことは、セドリックと」

「どうして? セドはセド」

 そう聞かれ、セドリックは一瞬詰まった。

 あまり親密さが出てしまうと、先ほどのようによからぬ囁きの種になりかねない。

 だから、外ではセドリックと呼ばせるべきだと思った。

 ただ、それを直接言ってしまうと、彼女の気を重くしかねない。

 そしてひねり出したのは、我ながら赤面してしまうような理由だった。

「……二人きりの時の、特別だから」

「わかった」

 こくり、と素直に頷くブリジッタ。

「教室まで案内して、セド」

「聞いてた?」

「間違えた。案内して、セドリック」

「かしこまりました、王女殿下」

 取り繕えたことに、セドリックは安堵した。

 ――ひとまず、引っ張られたままの袖については気にしないようにした。



 ブリジッタとセドリックが教室に着いた時、席の大半は埋まっていた。

 教室は、教壇から離れるほど、階段状に高くなっていた。

 二人分だけ空いていた席は、一番端の、最も高い位置にある。

 そこへ、二人は歩いていく。

 ブリジッタが端、その内側にセドリック。

 そんな位置関係で腰を落ち着けると、セドリックの隣の席にいた銀縁眼鏡の女子生徒が、軽く頭を下げてくる。

 セドリックはその挨拶に、小さな声で返した。

「おはようございます」

「――おはよう」

 続いたブリジッタの挨拶に、その女子生徒は眼鏡の奥の瞳を瞬かせ、恐縮したように前に向き直った。

 ちょうどその時、教壇に近い扉から一人の女性が姿を現した。

「おはようございます、皆さま」

 軽快な歩調のその女性は、生き生きとした瞳をしていた。

 彼女の入室を待っていたかのように、始業を知らせる鐘の音が響く。

 教壇に立った女性は、教室を見渡す。

 そして始業前のざわめきと、鐘の音の余韻が消えるのを見計らってから、よく響く声を投げかけた。

「わたくし、本日より皆さまの担任を務めます、コレット・ネーベックと申します。これより一年、よろしくお願いいたします」

 そうして、芯を感じさせる一礼を見せる。

 誰ともなく、拍手が起こり広がっていく。

 礼の終わりとともに鎮まる拍手。

 コレットは続ける。

「さて、それでは。まずは皆さま、ご起立ください」

 何のためかはわからないまま、生徒全員がその指示に従って立ち上がる。

 コレットはその姿勢を一人ずつ確かめるように見渡してから、教室の奥を見上げた。

「本学院には、王族の方をお迎えする際の礼があります。皆さまが今後、公式の場で失礼のないよう、まずは所作を確認しておきましょう」

 その場の生徒全員の視線が向かうのは、最上段に位置しているブリジッタだった。

 コレットが手本を示すように、深く腰を折った。

「お初にお目にかかります、我がヴァルテリアの天雷の君、ブリジッタ王女殿下。拝顔の(えい)(よく)し、恐悦至極にございます――」

「やめて」

 セドリックさえ空気に飲まれ、コレットに追随しようとしていたその流れは、他ならぬブリジッタによって制止された。

 コレットの瞳は、困惑したように揺れる。

 中腰のまま止まった他の生徒たちも、どうすればいいのかわからずに互いの顔を見合わせていた。

 そんな中、いち早く姿勢を正したのはセドリックだった。

「……王女殿下。もしよろしければ、私からご説明申し上げてよろしいでしょうか」

「お願い」

「かしこまりました」

 セドリックは大きく息を吸い、教室全体に染み渡らせるように話し出す。

「皆さま、我が主ブリジッタ王女殿下は、皆さまと同じく一人の生徒として扱われることをご希望でございます」

 生徒たちが姿勢を戻し、戸惑いがほどけていくのを確認して、セドリックは続ける。

「ネーベック卿におかれましても、そのような姿勢で臨んでいただければと存じます」

 そして最後に、セドリックはコレットへ言葉を向けた。

 すでに教員名簿には目を通しており、コレットが侯爵位を継いだ人物であることは知っている。

 だからこそ「卿」などという敬称をあえてつけたわけだが、さてどのような返答となるか。

 コレットの感情は、一瞬だけ行き場を失ったようだった。

 しかし、近侍であるセドリックの説明に、当の王女は反論も付け足しもしない。

 ただ見返してくるだけの姿勢を受け、コレットは短く息を整えて、控えめな笑みに落とし込んだ。

「……左様でございますか。それでは、わたくしのことも気軽に、コレット先生、とお呼びいただければと思います」

「ありがとうございます、コレット先生」

 セドリックが謝意を示し、コレットが全員に着席を促したことで、その場はいったん区切られた。

「では、次に――」

 そうして、どこか慎重さを帯びながら、コレットの話は続けられた。

 す、とブリジッタがセドリックに身を寄せて囁く。

「ありがとう、セド」

「どういたしまして」

 先ほどの立場の明言は、二人であらかじめ話し合って決めていたことだった。

 周りにいらぬ気を遣わせないため――というのは建前。

 入学前にふと、ブリジッタが零した言葉がある。

「ただ、セドと学院に通えたなら」

 そんなささやかな要望が通ったことに、セドリックはひとまず肩の力を抜いた。

 授業に向き合うためか、ブリジッタがそっと身を離す。

 それをセドリックは寂しく思いながら、落ち着いた雰囲気の中を流れる教師の話に、耳を傾けるのだった。



「では、皆さま。本格的な授業の前に、我が国ヴァルテリアの歴史を少し、振り返ってまいりましょう」

 コレットが示した黒板に、地図が映し出された。

「我が国の興りは、今からおよそ千年前。雷の女神フルメリア様がこの地に降臨され、地水火風の魔法文化を導かれたことに始まります」

 そこでコレットは、一拍置いた。

「しかし王家に受け継がれるべき雷の神威は、久しく途絶えておりました」

 コレットの視線が、教室の奥へと向く。

「そして近年、その雷の神威を思わせる御力を示された方がいらっしゃいます。ブリジッタ・ヴァルテリア王女殿下です」

 教師につられ、多くの生徒がそちらを振り向こうとする。

「民の間では、雷の女神フルメリア様のご再臨と見る声も――」

「――コレット先生」

 授業の範囲を越えかけた言葉を、冷ややかなブリジッタの呼び掛けが制した。

 セドリックの表情も苦く染まる。

 コレットは、はっとしたように瞬きをし、軽く咳払いをした。

「……失礼いたしました。あくまで、近年の民間信仰と王権観を説明するための例として触れたものです」

 共感半分、疑念半分の空気が生徒の間に広まる。

「――よろしいでしょうか」

 最前列の赤い髪の男子生徒が、手を挙げて発言の許可を求めた。

 コレットは手元の資料に視線を落とし、その人物を確認した。

「あなたはトランジェスト伯爵家の。はい、なんでしょうか」

 コレットの促しを受け、その生徒は立ち上がった。

「ミハエルと申します。先ほどのお話で、神威の雷、それに連なる地水火風、というお話がありましたが」

「はい、それが?」

「王国史を学ぶにあたり、体系上の分類を確認しておきたく存じます。生活魔法は、魔法体系においてどのような位置づけなのでしょうか」

 知識を求める、誠実そうな疑問が続く。

「もちろん有用ではありましょうが、神威に連なる魔法とは性質が異なるように思えます」

「――よい問いですね」

 コレットはわずかに間を置いた。

 その間が、答えを整理するためのものだったのか、それとも言葉を選ぶためのものだったのか。

 そしてセドリックは、続く言葉をつとめて他人事のように聞く。

「土着の民由来の、乏しい魔力でも使える拙い――失礼」

 咳払いを挟むコレット。

「ささやかな魔法ですね。火をつける、光を灯すなど、色々ありますが――総じて器用な方々がお使いになります」

 かろうじて最後に言葉遣いを選んだようなコレットに、ミハエルは厳かな礼をもって応じた。

 満足げに頷いたコレットは、一つ手を打ち合わせた。

「それでは、ちょうどよい機会ですので、このまま皆さまの自己紹介へと移りましょう。まずはトランジェスト殿からお願いできますか?」

「はい」

 そうして彼は、教室にいる全員を振り返るようにして視線を運ぶ。

「ミハエル・トランジェストです。炎魔法を、家名とともに受け継いでおります。以後、よしなにお願い申し上げる」

 堂々と、そして朗々たる声が響き渡り、慇懃な礼へと移る。

 コレットの拍手に生徒たちが続き、いくつかの自己紹介を挟み、やがて銀縁眼鏡の女子生徒が立ち上がった。

「――クラウディア・フェルネスです。水魔法を嗜んでおります。以後、お見知りおきを」

 そして自己紹介は、セドリックの隣まで終わった。

 ささやかな拍手が収まったのを見計らって、セドリックが立ち上がる。

「セドリック・アルヴェインです。皆さま、よろしくお願いいたします」

「アルヴェイン殿。差し支えなければ、得意な魔法もお聞かせいただいても?」

 短く終えて座ろうとしたセドリックの膝を、そんな質問が押し留めた。

 質問の主は赤い髪の生徒、ミハエル。

 彼は優しげな笑みを浮かべて、ただ、不備を――これまでの生徒が必ず交えてきた要素の欠落を指摘してくる。

 セドリックは苦笑とともに姿勢を整えると、臆せず補足した。

「生活魔法です。皆さまのお役に立てると幸いです」

 その瞬間、教室に小さなざわめきが広がった。

 ――生活魔法。

 その響きに、露骨な侮りを浮かべた者もいれば、単純な疑問を抱いた者もいる。

 ――なぜ、生活魔法を得意とする者が、この学院に。

 その疑念が、いくつもの視線となってセドリックに集まった。

 そんな空気を気にせず一礼しようとしたセドリックだったが、その動きは遮られた。

 肩に置かれた手が、セドリックを半ば強引に座らせた。

 その代わりと言わんばかりに立ち上がったのは、ブリジッタだった。

 決して身長は高くなく、むしろ小柄なその少女。

 しかし、その冷えた気配――そして王女としての威厳の片鱗を垣間見て、その場の空気が凍った。

「ブリジッタ・ヴァルテリア。得意魔法は――全部見せたほうが、わかりやすい?」

 冗談ではない、と誰もが悟るだけの静けさが落ちた。

 ブリジッタは雷をはじめ、地水火風の魔法も使える全属性使いである。

 だからこそ、魔法文化を導いた女神の再臨とまで言われているのだ。

 その圧に、誰も何も言えない。

 いや、一人だけ声をかけてくる者がいた。

「――王女殿下」

 セドリックだった。

 その声に、感情を宿さず睥睨していたブリジッタの瞳が、瑞々しさを取り戻していく。

 そしてブリジッタは、教室中に広がりかける安堵を断ち切るように、声を響かせた。

「魔力の量と素質、知識の有無が入学条件。そして試験結果では首席が私、次席がセドリック。――何の問題が?」

 生徒を代表したようにミハエルが立ち上がると、ブリジッタに向かって一礼した。

「――ございません」

 次いで、ブリジッタの視線はコレットへと向いた。

 びくり、と身体を震わせたコレットは、わずかに言葉を探し、そしてやっと意図を飲み込めた。

「……あ、ありがとうございました。ご着席ください……」

 静かに座るブリジッタ。

 その動作を皮切りに、教室が弛緩した空気に包まれた。

「し、しばし休憩といたします」

 そんなコレットの提案に反論が上がるはずもなく。

 先ほどまでの空気を紛らわせるためか、そこかしこで会話の花が咲く。

 しかし、白々しさは隠しようもない。

 セドリックは、その光景をどこか遠くの出来事のように見ていた。

 そして、言葉通りすべての力を振るいそうな勢いだった、ブリジッタを思い返す。

 幼馴染の自分が軽んじられたことが、怒りのきっかけとなってしまったのだろう、と想像はついた。

 ただでさえ、しがらみなどという表現では生温いものを抱えたブリジッタ。

 学院でなら、少しは穏やかでいられるだろうか。

 ただの少女とは言わないまでも、一生徒として在れたなら。

 そんなふうに思っていたのに、他ならぬ自分の立場が、そうはさせなかった。

 ――悔しいな。

 セドリックは、ブリジッタに知られないように、机の下で拳を握る。

 その様子をどう受け取ったのか。

 わずかに身を寄せてきたブリジッタは、窺うように覗き込んできたのだった。

「……我慢できなかった、の」

 それは、叱られるのを待つ子供のような、しょんぼりした姿だった。

 思わず笑みが零れそうになりつつも、セドリックは声を潜める。

「……僕のためだったのは嬉しかったよ。でも、ほどほどにしてくれると助かる」

「……怒ってない?」

「怒ってないよ。ただ、少しびっくりした、っていうだけ」

「……次は、言ってからにする」

 とうとう、セドリックは笑ってしまった。

「うん、そうしてくれると嬉しい」

「――ん」

 怒っていないと伝わったのだろうか、ほっとしたような頷きが返ってくる。

 そうして、そっと伸ばされてきた手が、セドリックの袖を掴んできた。

 その感触に、セドリックが握りしめていた拳は、ゆっくりと緩んでいった。

読んでくださり、ありがとうございました。

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