しかるべき処分
一人、演習場を後にする者がいた。
「馬鹿な、馬鹿な。生活の一部だから、生活魔法で制御? そんな暴論が……!」
敗北の重みを足取りに滲ませるその男の名は、ミハエル・トランジェスト。
「ま、まだだ。父上のお力をお借りすれば、まだ機会はいくらでも――」
「無理だと思うよー?」
そんな声に、首筋を掴まれたように足を止め、ミハエルは振り返る。
「誰だっ!?」
「その言い方は悲しいなあ。何度も顔を合わせているじゃないか」
「トビアス・ノイハウス……!?」
「いやあ、そこは親しみを込めて、トビアス先生と呼んでほしいものだねー?」
けらけらと。
耳障りな笑い声がミハエルに届く。
しかしミハエルは、先ほど言われたことを確かめずにはいられなかった。
「む、無理とは何のことだ」
「もう色々とわかっちゃってるんだよねー」
トビアスの手には、分厚いレポートがあった。
「演習をひっかき回してくれたお礼に、さっき届いたものをわざわざ持ってきてあげたんだよ? 今が一番効くと思ってねー」
怪訝そうなミハエルの前で、そのレポートが勝手にぱらぱらとめくられていく。
「学院向け備品調達の帳簿不正。一部の先生方への不適切な『贈り物』。それに――寮の運営で得た利益の、各所への供与」
読み上げられるたびに、ミハエルの顔の青さが増していく。
それと反比例して、トビアスの笑みは深まっていく。
「君の知らないところで、地味で優秀な人たちがちゃんと調べてくれていてねー」
姿勢をぐらつかせるミハエル。
「すべての裏に、学院の会計監督官である君のお父上がいたこととか、ね」
「ち、違う。伯爵である父が、そのようなことを、なさるはずが」
ミハエルは否定するしかない。
なぜなら、一部には自分も関与しているからだ。
あの二人を引き離すための、男子寮と女子寮への転居。
それを成すためには、一教師であるコレットの発言力だけでは足りない。
だから、その声を大きくするため、他の教師にも、そして寮を管理する部署にも働きかけねばならなかった。
そしてそれは自分の発案を受けて、父が実行した結果だった。
だから、露見を信じられず、ミハエルは否定するしかない。
そうでないと。
がくがくと震えるミハエルに、最後までレポートに目を通したトビアスは肩をすくめる。
「おとなしく、与えられる俸給で満足しておけばよかったのにね」
トビアスのからかうような言葉は、一転、ミハエルに火をつけた。
「……お前に何がわかる……!」
跳ね上がった視線が、苛烈にトビアスを突き刺す。
「先祖伝来の炎の血筋と言えば聞こえはいい。だが、父は領地を持たぬ伯爵にして、たかが学院の帳簿係風情!」
ミハエルのその姿は、まさしく火を吹くようだった。
「その事実がどれほど、私の矜持を傷つけてきたと思っている……!」
「だから、王女殿下の御威光にすがろうって?」
「違う! 我がものとするためだ! そうして、それを足掛かりに……!」
「おっとっと、それ以上は色々はみ出しちゃうよ?」
「黙れ! だからこそ、あのような生活魔法使いごときではなく、この私が相応しいと証明せねばならなかったのだ!」
ミハエルの手に炎が生み出されようとする。
その目つきからして、明らかに目の前の相手に害をなそうとしていた。
しかしその動きは、トビアスがいつの間にか手にしていた指示棒に阻まれた。
跳ね上がった指示棒が躍ると、ミハエルの身体がバランスを失って横向きに転倒する。
それは、トビアスの指示棒に従って解かれたミハエルの制服が、拘束衣のように編まれ直された結果だった。
受け身も取れずに身体を打ちつけて呻くミハエルに、トビアスはへらへらとした笑みを浮かべて歩み寄る。
「ぐっ、卑怯な……!」
「いきなり魔法を撃とうとした君が、それを言う?」
言葉とは裏腹に、トビアスの目にはさほど興味の色はなかった。
「だいたい、僕の授業でも言ったでしょ。生活魔法には散々恩恵を受けている、って。要するに、土台、足場なんだよ」
「黙れ……!」
「まあ、もっとも」
トビアスはそこで、ミハエルをよく観察するように、しゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。
「君の足場は、ずいぶんと腐っていたようだから」
信じられずに目を見張ったミハエルに、トビアスは言う。
「だからどうせ――姫君を支えられるほどでもなかったよ」
その現実はミハエルを呻かせ――瞳から力を失わせたのだった。
「さて、申し開きはあるかね?」
その扉をくぐった直後。
コレットに投げかけられたのは、そんな問いかけだった。
ごくり、とコレットの喉が動く。
正面の壁一面の窓が開いていて、芽吹きの香りと優しい光を運んでくる。
そして、その前にある重厚な机に陣取っているのは、この部屋の主でもある、魔法学院の学院長。
ベネディクト・アイヒホルン。
年の頃は六十代、恰幅がよく、丸眼鏡の似合う好々爺然とした人物である。
部屋も、そこにいる人物も、穏やかな雰囲気をまとっていた。
対して、後ろの扉付近では、付き添いとしてコレットを連れてきたペルーゼンが、表情を固くしていた。
それらの状況が、真綿で首を絞めるようにコレットに迫ってくる。
動かないコレットの前で、ベネディクトは調査結果に目を落とした。
「護送演習にて、阻害魔力の出力を異常値へ調整した件。トランジェスト君を介した魔力核への仕込み。どれも逸脱しておる」
コレットは、膝が笑い、視線が落ちそうになるも、唇を引き結んで主張した。
「――わたくしは、間違ったことをしたとは思っておりません」
ペルーゼンは顔をしかめた。
しかし、学院長ベネディクトの笑みはそのままだった。
挑むように、コレットは続ける。
「あの方は、神として降臨された身。その役目を阻む要素を排除しようとしたまででございます」
「それが生徒でもかね」
ベネディクトの一言は、教師たるコレットの矜持を的確に抉った。
「――それでも、でございます」
そして、その痛みを無視することを選んだ。
「ふむ、ネーベック先生や」
ベネディクトは、豊かに伸びた顎髭を何気なくもてあそんだ。
「そこまで生活魔法が憎いかね」
コレットの態度はひび割れ、身体がよろめいた。
「な、にを」
「ネーベック先生を調べるうちに、母君のご事情に突き当たってね。――生活魔法を授かってしまったそうだね」
「なにを、言い出すかと、思えば」
はらり、とコレットの顔に一筋の髪が落ちた。
「憎いに決まっております」
髪の間から、禍々しい瞳が覗く。
血を吐くような低い声に、壁際のペルーゼンは思わず身構えた。
「わたくしが風魔法使いとして生まれたことで、母の名誉は回復したものの、それも束の間。母が『貴族の恥さらし』と蔑まれるのを、わたくしはずっと見てまいりました」
ベネディクトはそれを、表情を変えずに聞く。
「母は、そんな身に生まれたことを、こんな母で申し訳ないと、ずっとずっとわたくしに謝って――とうとう逝きました」
噛みしめた歯が、唇を破る。
「母を殺した生活魔法を憎んで、何が悪いとおっしゃるか」
声が震える。
「神を望んで、神にすがって、何が悪いと。ようやく、母を苛んだ貴族たちもろとも、すべて滅ぼしていただける機会が訪れた」
握り込んだ拳が、何者かの首を絞めるようだった。
「それを喜んで、何が悪いとおっしゃるのですか」
「なればなおのこと――アルヴェイン君を気にかけるべきではなかったかね」
ベネディクトの瞳は、問いかけるように細まっていた。
「排除という君のやりようは、君が憎む貴族とやらの振る舞いと、何が違うというのかね」
「ち、違います」
後ずさるコレット。
「これは、大義――」
「君は教職者で、ならば大義は生徒第一であるべきではなかったかね」
ベネディクトは深いため息をついた。
「少なくとも、ネーベック先生の母君はそうであったと聞いとるよ」
とうとう、コレットは膝をついた。
母を苛んだ生家を乗っ取る形で侯爵を継いだ。
そして母が選んだ道である教職に就いた。
それで過去の憎しみを洗い流せた、と思っていたはずなのに。
今年入学してきた生徒の中に、神の再臨がいた。
そして、その傍らには生活魔法の使い手。
それは過去の憎しみを掘り返し、新たな望みを芽吹かせるには十分だった。
母の道を見失うほどに、目が眩んでしまった。
悔やみはしない。
けれど、どうしようもなく悲しかった。
「残念ながら、君の所業は学院で収まるものではない。しかるべき処分が下されよう」
「……はい」
涙も心も乾き、うなだれるしかないコレット。
扉が開き、数人が入ってくる。
コレットは立たされ、それでも丁重に連行されていく。
コレットは、それ以上は何も言わずにその部屋から姿を消した。
残ったのは、難しい顔の数学教師ペルーゼン、目を細める学院長ベネディクト。
ペルーゼンは、重いものを吐き出すようにため息をついた。
「トランジェスト家については、より詳細な調査が入るとのこと。結果は推して知るべし、でしょうが」
そこでペルーゼンは、つとめて無感情にその推測を述べるのだった。
「おそらく――彼はもう、この学院には戻れますまい」
「それも受け入れるしか、あるまいて」
教師も、生徒も、正しく導けなかった事実に、苦い沈黙が横たわる。
後悔は尽きないが、それでも見出したものがあった。
「ラドフォード先生。あのお二人はどんな様子かね?」
「身体面は良好です。ただ、王女殿下が精神的に不安定でしたので、療養のため一時的に寮から移っていただいております」
「ふむ」
「それに伴い、アルヴェイン殿にも同様に、一時的な移動をお願いしております」
「仲のよいことで結構」
ベネディクトの言葉に含みを感じ取るペルーゼン。
「それでラドフォード先生。どう見たかね?」
その問いに、ペルーゼンは難しい顔で唸るしかなかった。
「……ただの生活魔法、と片付けてよい問題ではないと見受けられました」
濁したかったからそういう言い方をしたのだが、学院長たる人物はそれを許してはくれなかった。
「具体的には?」
「……王女殿下のお力には、アルヴェイン殿が不可欠なのではないかと」
それは、神として単独では立てぬ、と言っているようで、ペルーゼンの人生観からすると抵抗のある結論だった。
しかし、そんな感情を込めて言葉にしたにもかかわらず、ベネディクトの語調は軽い。
「ほっほ。まさしく片翼じゃのお」
それにペルーゼンは拍子抜けしたものだった。
ベネディクトは、フェルネス家が提供した調査結果を閉じた。
「そして、ひたむきでもある。その姿勢は、学ばせる価値がある二人に見えるのう」
「ということは?」
「引き続き、一生徒として処遇せよ。改めて、先生方にはそう通達するように」
「かしこまりました」
一礼し、ペルーゼンは学院長室を後にした。
残った学院長ベネディクトは、一人呟く。
「仲がよい、だけではどうにもならないのが学院であり、人生。さてさて、あの二人、今後どうなるか。危ういが……楽しみでもあるのう」
ベネディクトは、好々爺の笑みを浮かべた。
読んでくださり、ありがとうございました。
よろしければ、下の☆をぽちりと押して頂ければ、作者緋色が泣いて喜びます。
励みにもなりますので、よろしくお願いします。




