魔力核護送演習
「クラウディア嬢、これを王女殿下にお渡しいただけませんか」
「……これは?」
一年の締めくくりとなる行事の当日。
それが始まる前、セドリックからクラウディアへと渡されたのは、夜を思わせる色合いの、濃紺のリボンだった。
「今日の演習は、髪を下ろしたままだと引っかかるかもしれません。これで纏めたほうがよいかと思いまして」
「セドリック殿から渡されたほうが喜ばれるのでは――」
クラウディアはそう言いかけ、そうしないほうがよいことに思い至った。
少しは落ち着いたとはいえ、まだまだ王女殿下とその執事を巡る噂はくすぶったままだ。
そんな中、しかも演習前にそれが発覚したとなれば、枯葉に火種を投げ込むのと同義である。
だから、偶然訪れた、人目のないこの機会となったのだろう、とクラウディアは思う。
クラウディアの様子から読み取ったのだろうか、セドリックは苦笑した。
それを目にして、クラウディアはそのリボンを丁寧に受け取った。
「必ず、お渡しいたします」
「お願いいたします」
空はよく晴れていた。
しかし、吹きつける風の向きが急に変わる。
冬の名残と春の気配がぶつかり合い、空気が不安定だからだろうか。
視線を下ろすと、目の前には緑が広がっている。
今いる場所は、王都フルメリアにほど近い、広い林の前だった。
つまり、ここは学院の外だった。
魔力核護送演習という行事のため、実習服に身を包んだ一年生全員が集められている。
そして少人数の班に分かれて佇み、教師陣による説明が行われるのを待っている最中だった。
班は四人まで、誰と組むかは話し合いで決めてよい。
ただし、組める相手は同じクラスの生徒に限る。
そのようなルールのもと、ブリジッタ、セドリック、クラウディアは自然と集まった。
そこへ四人目として名乗りを上げたのがミハエルであった。
「色々と学ばせていただきたい。特に――アルヴェイン殿の、器用なところなどを」
含みなどないかのような物言い。
当のセドリックはそれに懐疑的だったが、意外にもブリジッタは頷いた。
「……そういうことなら」
セドリックを認めるというのなら、とクラウディアには聞こえた。
そしてブリジッタがそういう姿勢ならば、セドリックは自分を称賛したミハエルに一礼するしかない。
「……よろしくお願いいたします」
クラウディアも、もやもやしたものを抱えながら受け入れるしかなかった。
それに、人数が増えると有利になる、という現実的な理由もあったからだ。
そうして、今の組み合わせができあがった。
「注目!」
手を打つ音とともに、重厚な声が上がる。
そこには数学教師のペルーゼン・ラドフォードがいた。
十分に注目が集まったのを確認し、彼は手を下ろして声を響かせる。
「これより、演習を開始する。趣旨は開示済みではあるが、改めて説明を行う」
ペルーゼンは傍らに控える教師へ目配せした。
「ただし、その前にまずは全員に配布するものがある。各班の代表、前へ」
一瞬の躊躇いの後、各班から代表が歩み出る。
「ここは私が。よろしいか?」
ブリジッタの班では、いち早くミハエルが名乗り出た。
セドリックとクラウディアが逡巡している間に、ブリジッタの小さな頷きがそれを後押しする。
そうして前に出た生徒たちに配られていったのは、手のひら大の丸い水晶だった。
それは淡い青い光を宿していて、ほのかに温かい。
「初めて見た者もいるかもしれぬが、これは照明などに使用される魔力核である。これを指定地点まで運搬することが、今回の主な趣旨――任務となる」
その語尾は「ただの荷運びか」と軽んじる空気を、即座に打ち消した。
「国に仕える者の仕事は、魔力を振るうことだけではなく、多岐にわたる」
ペルーゼンは胸を張り、続ける。
「皆さま方が今手にしている魔力核は、先ほども挙げた照明のほか、室温調整、水路の制御などにも使用される」
生徒たちがその意味を飲み込むのを待ち、ペルーゼンは続けた。
「国や民に大事があれば、魔力核は真っ先に必要とされる。それを運び、届けることは、攻勢や防衛と並ぶ重要な役割である」
ペルーゼンの声に、より力強さがこもる。
「軽んじることは国に背くことだと、まずは心得ていただきたい」
それらの説明は、様々な形で生徒たちの心に届いたようだった。
士気を上げる生徒もいれば、納得する生徒もいる。
脅されたようで面白くなさそうな生徒もいた。
気にせず、ペルーゼンは続ける。
「そして有事には、ただ届けるだけでも困難がつきまとうもの。それを想定し、今回は様々な障害が設けられている」
ざわり、と生徒たちの間に流れるざわめき。
それがさほど大きくならず、静かになっていく頃をペルーゼンは見計らった。
「想定される障害は、自然の脅威、人為的な工作、魔力漏れなどである」
列挙された言葉に、生徒たちの表情が引き締まった。
ただの運搬では済まない、という理解が広がっていく。
「評価対象は、それらへの対応内容と、最終地点に到達した時点での魔力核の状態だ」
ペルーゼンが掲げたサンプルの魔力核が、徐々に赤く染まっていく。
最後にはひびが入り、光が消えた。
「道中には、魔力核を劣化させる波長が発生する場所もある。加えて、この魔力核はそこまで耐久性が高いわけではない」
想像より難易度が高そうな演習だと認識できたのか、生徒たちの間で、抑え気味のどよめきが走る。
「よって、これを保護しながら運搬する。もちろん、最終地点到達までの時間も評価対象となる」
そして、背負うための帯が付いた保護ケースが配られる。
「それでは、しばし相談の時間を与える。準備できた班から出発するように」
生徒たちのざわめきが大きくなった。
その中には、戻って来たミハエルを交えたブリジッタたちも混ざっていた。
「ふむ、思ったより実戦的な演習だ」
「そのようですね」
セドリックも、ミハエルに思うところがないわけではない。
しかし今はそれを忘れ、クラウディアが広げた地図に注目する。
それは、この林全域を表したものだった。
丘陵地らしく、なだらかな傾斜があることも示されている。
クラウディアが遠慮がちに提案した。
「何か起きた時に、誰が対処するかを決めておいたほうがよさそうですね」
「……何か壊すのは私」
「それは私も請け負おう」
ブリジッタ、ミハエルが名乗りを上げる。
そして、ミハエルの視線はセドリックに向いた。
「アルヴェイン殿には、荷の運搬をお願いしてよろしいか?」
「承知いたしました。クラウディア嬢は、地図を見てもらっても?」
「……は、はい」
思ったより大きな役目をセドリックに振られ、クラウディアは言葉に詰まった。
それでも受け入れる。
そして、咄嗟に目を逸らした先で。
――舌打ち寸前の表情が、見えたような気がした。
踏み入ってわかったことだが、林の中は足元が頼りなかった。
伸びる枝葉で視界は薄暗い。
うねるように根が張り、地面のへこみを落ち葉が覆い隠す。
おかげでクラウディアは何度も足を取られ、一度は転びそうなところを、セドリックに手を取られて支えられた。
その力強さに、どきり、としたものだった。
ブリジッタからは心配そうな目を向けられたものの、口からこぼれたのは別の言葉だった。
「……ずるい」
恐縮するクラウディアより前を行くブリジッタは、意外と身軽にひょいひょいと進んでいく。
髪を纏めたリボンが頭の後ろで揺れていて、身軽さの一助になっているかのようだった。
「枝が突き出している。気をつけるように」
先導しているのはミハエルだった。
最初に危険を確かめ、足元を踏み固め、隣を行く王女殿下に手を差し伸べる。
「王女殿下、お手を」
「大丈夫」
そつなく先導役を果たしてはいるが、お近づきになりたいという目的は達成されていないようである。
ここまでくれば、クラウディアにもミハエルの内心は窺い知れた。
合同魔法演習の三戦目でも王女殿下に近づいてきたように、今回もその機会を見出したのだろう。
クラウディアには、そう思えた。
この状況について、彼――セドリックの胸中はどうなのだろう、とクラウディアは思いやってしまう。
そんなことを考えていたからか、またもや足を滑らせて倒れそうになり、その彼に支えられた。
「クラウディア嬢、今は」
そして、そんな言葉まで添えられてしまう。
彼は一見、平静だった。
そうするしかないのだろう、と考えて、頷きを返して集中する。
色々なものを、見逃さないように。
道中を阻むのは、自然の道だけではなかった。
「ゴーレム……!」
ミハエルの勇ましい声。
岩に擬態していたそれが動き出し、身体を起こす。
不意打ちにならなかったのは、妙につるりとしたその岩に、クラウディアが違和感を訴えたからだった。
立ち上がっても人の身長ほどしかないゴーレムだったが、逃げようにも、木と足場の悪さが邪魔をする。
それに、ゴーレムが塞いでいるのは目的地までの道のりでもあった。
「火は――」
セドリックが声を上げた時には遅かった。
ミハエルの手の中に生み出された炎が打ち出され、ゴーレムを一撃で四散させる。
それだけを見れば鮮やかで、見事。
だからミハエルは満足そうに振り返るのだった。
「何か言ったかな?」
「……燃え広がる」
実際に答えたのは、土の魔力を練っていたブリジッタだった。
彼女の冷ややかな視線は、クラウディアの足元に落ちている。
クラウディアは、草に落ちた火を水魔法で消していた。
「……む」
さらには、他の火を足で踏み消しているセドリックが目に入り、ミハエルは事態を飲み込んで唸る。
非難が集まりそうな気配に、ミハエルは先んじた。
「……以後は、考慮しよう」
歯噛み程度で抑えたのは、せめてもの矜持に見えた。
「止まってください」
道半ばで、そう訴えたのはセドリックだった。
ブリジッタ、クラウディア、ミハエルが足を止めて振り返る中、彼の意識は足元へ向いていた。
妙に深刻そうな彼に、ブリジッタは首を傾げた。
「セドリック?」
「どこからか魔力が流れてきています。これは……あまりよくない魔力です」
「なんだと?」
驚くミハエルを尻目に、クラウディアも感覚を鋭くする。
見えない水のような魔力がたゆたっているのが感じ取れた。
一度そこに意識を向けると、何かを阻害する弾けるような刺激まで拾ってしまう。
それはくるぶしあたりまで浸かっているような感覚で、しかも徐々に水位が上がっているようだった。
「魔力核に害があるものかもしれません」
セドリックは、魔力核をなるべく地面から遠ざけるように背負い直した。
クラウディアは冷静に、地図と実際の地形を見比べて意見を述べた。
「真っすぐ行けば近いですが、谷のようになっている場所を通ってしまいます。丘を回り込むようにしたほうがよいかと」
「しかし、速度が落ちる上、そちらには別の脅威があるかもしれん。どう思われる、王女殿下?」
「セドリック。その魔力の流れは、制御できそう?」
「はい」
言うが早いか、立ったまま地面に手をかざすセドリック。
その途端、地面の魔力は彼を中州のようにして分かれ、後ろに流れていく。
鮮やかな変化に、クラウディアは感心し、ミハエルは眉をひそめた。
ブリジッタは頷き、今度はクラウディアを見た。
「クラウディア、谷を抜けるのにどれくらいかかりそう?」
「五分ほどかと」
「なら私は、そっちは避けたい」
いつの間にか、ブリジッタが場の雰囲気を掌握しているようだった。
その姿に、ミハエルの声は震えた。
「な、なぜです」
「あなたも言った別の脅威が、谷にもあるかもしれないから」
「し、しかし」
「谷は視界が狭くなる。脅威を見逃しやすくなる。魔力溜まりも深くなる。だから私はクラウディアの意見を支持する」
正論を列挙され、とうとうミハエルは押し黙った。
セドリックは主の賢明な意見に、自然なしぐさで一礼を捧げた。
それを受けて、ブリジッタはミハエルに向かって小首を傾げて見せた。
「ほかに意見は?」
ミハエルは、言葉を失ったままだった。
――こんなはずでは。
せめて先導だけでも、と前を行くミハエルの内心は、焦りに染まりつつあった。
王女殿下、執事、王女殿下のルームメイト。
それらが班となるのは予想通りで、そこに自分をねじ込めたのも思惑通り。
隣に置く。
そこから奪う。
その場面の証人にする。
そういう配役としてしか考えていなかったのに、思うようにいかない。
自分にとって有利な場面に導くための、地図を見る役はさりげなく別の者に割り当てられた。
障害を除去するために力を振るえば、功を焦った形となり、見えない異常には気づけなかった。
あげくに、意見は尊重されつつも、より深い考察を見せつけられて黙るしかない。
そしてなにより、その手を取れない。
それどころか、その意識は常に、後ろの荷物持ち風情にある。
しかし、まだだ、とミハエルは思う。
魔力核を受け取るときに、いざという時の種は仕込んだ。
それは共犯者とでもいうべき、あの女からの提案。
ミハエルは、いずれ訪れるその時を待つのだった。
――あの男は違う。
コレットは林に潜み、そう結論づけていた。
最初は同じ目的だと思っていたが、そう思わされていただけだと、やっと気づいた。
あの男は、やたらとその手を取りたがる。
それは神官が神の前に膝を折る類のものではない。
個として見て、欲望のままにそばへ置こうとするその所業は、自分の考えとは相反するもの。
あの方は女神なのだ。
だから、その力は制御されるべきものではなく、強大に振るわれねばならない。
選別なく、神罰を。
そう望むコレットは、その思いのままに、自分に委ねられた職務を超えた。
読んでくださり、ありがとうございました。
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