合同魔法演習・後編
「それでは、王女殿下、アルヴェイン殿、開始されよ!」
ペルーゼンの開始の合図。
それを受け、演習場の端ぎりぎりに立っていたブリジッタとセドリックが動く。
二人が行ったのは、誰も予想していなかったことだった。
セドリックがしゃがみ込んだかと思うと、雪の上に手をかざす。
その下から盛り上がってきたのは、急速に芽吹いた植物だった。
それは太く強く伸び、そして姿を変える。
「な、なんだ? 椅子?」
見物に回っていた生徒から声が漏れる。
それは地面と雪を突き破って生えた、肘掛け付きの椅子だった。
セドリックは座面の上にハンカチを敷くと、恭しく一礼した。
「殿下、どうぞ」
「ありがとう」
そうして、身体を投げ出すように腰掛けるブリジッタ。
「お休みなさいませ」
セドリックが手のひらでブリジッタの目元を覆う。
途端、ブリジッタの身体から力が抜ける。
眠ってしまったようだった。
隣の演習場からは慌ただしい音が響いてくるというのに、その場だけは静寂で満たされていた。
「……少しよいかな、アルヴェイン殿」
「よくありません、ペルーゼン先生。お静かに願います」
「いや、そうもいかん」
おそらくは周りの生徒全員の疑問を代弁しようとしているペルーゼンに、期待が集まる。
「演習は始まっていると、理解しているか」
「はい、心得ておりますが?」
「それでは、何を?」
「お疲れのご様子でしたので、殿下にはまずお休みいただいております。その間、特にお目元に疲れが出ておいででしたので、生活魔法で温めた手を添えさせていただいております」
「なるほど、その手はそのためか」
傾きそうな頭を支える意味合いもあるのだが、そこまで説明する気はないセドリックだった。
一瞬、納得しかけたペルーゼンだったが、難しい顔をして顎髭を撫でる。
「今は演習中で、時間制限付きであるが?」
「存じております。演習中に寝てはいけない、というルールがないことも」
「……次回からは考慮しよう」
そう答えるのが精一杯だった。
これ以上は贔屓や不当な干渉にもなりかねず、ペルーゼンは押し黙った。
しかし、その時間は長く続かなかった。
ブリジッタが頭を動かして、眠りの時間が終わったことを示したからだ。
そっと、ブリジッタの目元から手のひらを離すセドリック。
そこから現れた目には、もう気怠さの欠片もなかった。
ブリジッタは、セドリックの手を借りることもなく立ち上がった。
そして撫でつけた髪を、風がさらう。
もはやふらつくこともなく、雪原に立つそのさまは戦女神を思わせた。
その気高さに、周囲から我知らずため息が零れる。
当の本人は、のんきに吐息を風に溶かした。
「……すごく休めた」
「まだ万全とはいかないかと。どうか、お気をつけください」
「わかってる、セドリック。じゃあ――はじめるね」
「はい、王女殿下」
ブリジッタの手から魔力が放たれた。
それは冷気へと変わり、演習場の雪原一面を覆った。
ブリジッタの前の雪は、氷へと変わっていく。
その氷はゴーレムたちの足を巻き込み、なお演習場の端まで達した。
「あんな広範囲に……!」
「けど、どうやって攻める気だ……!?」
場が動いたことで、生徒たちも我に返った。
ゴーレムたちの動きは止めた。
しかし凍った足元は連なる山脈のように乱れており、歩くにも一苦労しそうだった。
攻撃されたと判断したゴーレムたちはもがくが、足は動かせない。
拘束はそれほど強固だった。
セドリックが、自分たちの足元に手をかざす。
その場所の氷は削られたように平らになり、足を踏み入れるのに支障はなくなった。
「では、僭越ながら私が先導を」
「お願い」
そして、セドリックを前に歩みを進めると、その先の氷が道を開けるように均されていく。
おそらくはセドリックの魔法だろう、と生徒たちは判断したようだったが、それでも疑問の声は上がった。
「なぜ足を滑らせないんだ?」
「いや、それだけじゃない。速い……!」
「見ろ、足元を!」
誰かの言葉に、生徒たちは二人の足元へ目を凝らす。
靴裏からは氷の刃が縦に伸びており、それで氷の上を滑っていたのだ。
「スケートしてる……!?」
そんな驚きを背景に、セドリックは目の前の氷を均しながら、ブリジッタを先導する。
二人の軌跡が、平たい氷の道として刻まれていく。
ゴーレムたちは、氷に絡め取られた足を、ようやく引き抜いて動き出す。
しかし、その動作には時間差があり、それはそのまま隊列の乱れとなる。
セドリックとブリジッタは、前方の二体のゴーレムの間に、まさしく滑り込んだ。
そして放たれる、ブリジッタの魔法。
まずは手から放たれた風。
細く範囲を絞り込んだそれは、一体のゴーレムの紋章を正確に削り取る。
次に、ブリジッタが手を振り上げる。
その動きに導かれたように、巨大な氷柱が地面から突き上がった。
それは二体目のゴーレムの腹部に突き刺さり、紋章を貫いた。
力の根源を奪われ、崩れ落ちる二体のゴーレム。
おお、と周りから上がる歓声。
それを背に、セドリックとブリジッタは言葉を交わす。
「ジッタ、最後の紋章は背中だと思う」
「わかった、回り込んで」
セドリックとブリジッタは残ったゴーレムの背後に回り込もうとする。
その動きを警戒したのか、ゴーレムは拳を地面に叩きつけた。
砕かれた氷が牽制として飛び散って、ブリジッタに襲い掛かる。
「セド」
「うん、ジッタ」
セドリックが、伸ばされたブリジッタの手を引き寄せる。
くるり、とブリジッタが避けた直後の位置に、氷の塊が落ちる。
そしてブリジッタは、回った勢いのままセドリックの首に抱き着いた。
「おっと」
投げ出された形のブリジッタの足を抱えると、横抱きに整える。
それはさながら、ダンスのよう。
セドリックはそのまま氷を均しながら滑走を続け、体勢を整えつつあるゴーレムの後ろへ回り込む。
予想通り、紋章はゴーレムの背中にあった。
「今だよ、ジッタ」
「うん」
ブリジッタが突き出した手の先に集まる、紫電の玉。
一瞬後、打ち出されたそれは最後のゴーレムの背中の紋章をえぐり取った。
それを確かめもせず、横抱きの体勢のまま、二人は最初に作った椅子へ向かう。
セドリックは小さくジャンプし、着地までの間に二人の靴裏の刃を消し、椅子の近くに降り立つ。
そして椅子の上に、ブリジッタを優しく座らせた。
背もたれに身体を預け、ブリジッタはため息を白く散らした。
「……眠い」
「お疲れさまでございました」
恭しくセドリックが一礼した時、三体目のゴーレムが倒れ込んだ。
「……王女殿下とアルヴェイン殿のペア、演習終了」
ペルーゼンの静かな声とともに、ささやかな拍手が起こる。
感心しきりのクラウディアから始まったそれは、ちらほらと周りへ広がった。
しかし大半の生徒たちは、戸惑いが大きかった。
それは演習の展開があまりにも異色だったからだろう。
実際に声にしたのはミハエルであった。
「な、なんだ今のは……?」
見た光景を信じられず、寒さが原因ではない震えが全身を揺らした。
あまりにも制御された一連の連携。
あまりにも自然なその立ち振る舞い。
自分の時とは違う、それは――。
「異議申し立てをお許しください!」
ブリジッタとセドリックを取り巻く人の輪から飛び出したのは、コレットだった。
ペルーゼンが顔をしかめる。
それに構っていられず、コレットはまくしたてた。
「ペアとして成り立っておりません! すべて王女殿下に頼りきりだったではありませんか!」
「何を見ていたのだ、あなたは」
とうとう、ペルーゼンは強い非難をにじませ、呆れを漏らした。
そんな感情を向けられていることに初めて気づいたように、コレットの顔が強張る。
「王女殿下は攻撃、アルヴェイン殿は補助と役割に徹していただけのことで、それは明らかに見て取れた。試験官の私が保証しよう」
ペルーゼンは顎髭を撫でた。
「対してネーベック先生、あなたの目は少々――いや、これ以上は言うまい」
あえてそこで発言を止めたペルーゼンの前で、コレットは青ざめた。
しかし、なおもコレットは引き下がらず、咎めるような瞳をセドリックに向けた。
「き、聞いておりましてよ。また、王女殿下の御名をあのように。しかも、言葉遣いまで乱れて」
それにセドリックは表情を曇らせた。
まさか、聞かれていたとは。
その気配を見て取って、コレットは一瞬、勝ち誇ったように顔を歪ませる。
ブリジッタはおもむろに立ち上がると振り返り、そんなコレットを視線で突き刺した。
「今の私は一生徒で、それはセドリックも同じ」
その声が冷たいのは、決して気温が低いせいではない。
「一生徒同士として会話していただけ。それに――何の問題が?」
コレットは完全に舌を凍らされ、後ずさるしかなかった。
それをどう受け取ったのか、ペルーゼンはゆるゆると手を挙げた。
「すべてのペアの演習は終了した。撤収準備に入る」
朗々と響き渡った声は、その場を動かした。
ペルーゼンはその流れに乗りながら、コレットの背中を押して付き添うように、生徒たちの輪の中に入っていく。
その動きに反して駆けてきたのはクラウディアだった。
「お疲れさまでございました、お二人とも」
「ありがとうございます、クラウディア嬢」
「……眠い」
セドリックは感謝を述べたが、ブリジッタから返ってきたのは、今一番の欲求だった。
演習が終了した途端、一時の眠りでの回復が底をついたのだろう。
苦笑するクラウディア。
「……魔法制御試験のあとも、こんな感じでしたね」
「だっこ」
手を伸ばしてくる王女殿下に、セドリックは軽くのけぞって苦笑する。
「王女殿下、それは」
「だっこー」
セドリックとクラウディアは、そんな子供のようなブリジッタをあやしながら、演習場を後にする。
残されたのはただ一人、ミハエルであった。
彼は先ほどの光景を振り返る。
王女殿下は立ち去り際、一瞥を投げかけてきたのだ。
その時だけは眠たげではなく、青く冷たかった。
ぞくりとした。
絶好の機会に、あの神秘を手にできる、それもあの執事の目の前で。
それを想像して愉悦に浸っていたというのに、それがたちまちに覆された。
自分は、この合同魔法演習を心待ちにしており、それに向けて策を張り巡らせてきた。
しかし、手に入れるはずの青い瞳は、こう言っているようだった。
――この機会を、あなただけが待っていると思った?
まさか、まさか。
公然と執事を選び、手を取れる瞬間を、ずっと待っていたというのか。
気がつけば、王女殿下はもうこちらを向いていなかった。
その感情の行き先は決まっていて、しかも眠たげで、気を許しきっている。
ミハエルは、自らの瞳に暗い炎が灯るのを自覚するのだった。
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