祈りの行き先
朝一番の通達がもたらした波紋は大きかった。
教師側もそれをわかっていたのか、最初の授業は、説明や不安を受け止める時間に置き換えられた。
一週間。
それが入寮までの移行期間であり、制度改革の一環であると説明された。
「ここからは、学年主任のラドフォード先生からの説明となります」
コレットが退いた場所に、ペルーゼン・ラドフォードが歩み出る。
「以前からあった構想ではあるが」
そんな前置きで始める彼の雰囲気は、どこかぎこちない。
今回の制度改革に納得していないように見える――そう感じるのは、クラウディアの願望なのかもしれない。
「生徒一人一人の自立を促す、というのがその最たる目的である」
聞けば納得できそうな理由ではある。
そこで、最前列の生徒が手を挙げた。
ミハエルだった。
彼はペルーゼンの許可を得て口を開いた。
「なぜ今なのでしょうか」
「よい質問である」
それは確かに、全員が抱く疑問だった。
もっとも、クラウディアの内心で渦巻くのは、否定的な「なぜ」でしかない。
「それについては、いずれ訪れるはずだった機会が今だった、と説明するしかない。しかしそれでは、納得されないことも承知している」
ペルーゼンの発言の後半は、前半を聞いて身を乗り出しかけた生徒たちを、抑えるためのものだった。
「これはひとえに、学院側の配慮のなさが招いたこと。そこはお詫び申し上げる」
並んで深々と頭を下げるペルーゼンとコレット。
これまで威厳ある教師として振る舞ってきた二人の謝罪に、生徒の間からざわめきが漏れる。
その中には、納得し、溜飲が下がったような気配もあった。
頭を上げたペルーゼンに、ミハエルの次の質問が飛ぶ。
「では、なぜ一年生だけなのでしょうか」
「この方針の効果はまだ未知数。よって、広く適用するには時期尚早だという意見が、大勢を占めたからである」
「つまり、実験対象というわけですか」
「その批判は甘んじて受けよう」
ミハエルが代表して質問し、ペルーゼンが答える。
いつの間にか、そんな構図になっていた。
問いも、引き際も、あまりに整っている。
まるで、どこまで聞けば場が納得するのか、あらかじめ知っているかのように。
それを眼下に捉えるクラウディアは、言い知れない危機感に胸を騒がせた。
このままではいけない、そう追い立てられているのに、何も思い浮かばない。
そんな彼女の視界で、赤い髪の男子生徒が肩をすくめる動作だけが、妙に浮いて見えた。
「であれば、受け入れるしかありませんな。……一生徒の我々には、どうすることもできませんでしょう」
「ご納得、痛み入る」
再度、今度は感謝の意として頭を下げる、ペルーゼンとコレット。
広がっていく納得と理解の空気に、クラウディアも「仕方がないこと」と飲み込まれそうになる。
その時だった。
「――ジッタっ!?」
隣から、セドリックの悲鳴のような声が聞こえた。
視線の先には、机に顔を伏せた王女殿下の姿があった。
力を失い、だらり、と手が垂れ下がっている。
セドリックは、伏せていたブリジッタの身体を抱き起こすと、顔色を確かめた。
クラウディアは見た。
気を失ったブリジッタの顔が、生気なく青ざめていることに。
「なにごとか!?」
教壇から駆け上がってきたペルーゼンが近寄ってくる。
その段階になって、教室がざわめきだした。
「殿下、失礼いたします」
セドリックはブリジッタを横抱きにした。
「ペルーゼン先生、王女殿下を医務室に運びます」
「私も同行しよう。ネーベック先生、生徒たちをお願いしたい」
「お任せくださいませ」
慌ただしく、場が動き出した。
青ざめたブリジッタを抱きかかえ、セドリックは駆け出す。
その顔は焦燥と不安に満ちていた。
「私も行きます……っ!」
クラウディアは反射的に立ち上がり、それを追いかけた。
何ができるかも、わからないままに。
身体にも魔力の流れにも異常はなく、ブリジッタは気を失っているだけだと診断された。
「よほど精神的な負荷がかかったのでしょう」
診断に添えられた一言が、現状を物語っていた。
しかし安静が必要とのことで、そのまま医務室でしばらく様子を見ることになった。
ペルーゼンは詳しい状態を聞くために、医務室担当の教員とともに席を外していた。
ベッドに眠るブリジッタのそばに佇むのは、セドリックとクラウディアだった。
「……ひとまず、安心いたしました」
クラウディアがまず思ったのは、それだった。
先ほどまでは生きた心地がせず、今になって、心臓が激しく動いていることを自覚したほどだった。
その言葉には、何も返ってこなかった。
「……セドリック殿?」
呆然としていたセドリックは、それで我に返ったようだった。
ぎこちなく頷いた後、やっと唇が動き出す。
「……はい。本当に」
無理もない、とクラウディアは思う。
自分でさえそうなのに、セドリックのほうがよほど心配だったに違いない。
改めて見下ろすと、そこにはベッドにうずもれるような少女の姿がある。
その姿は小さく頼りなく、儚く感じるほどだった。
王女としての責務を担い、そして神として崇められているとは、とても信じられない。
だからこそ、誰かがそばにいなければならないのに。
そして、その誰かを思った時、クラウディアの視線は自然に動いた。
その先の彼は、悔いるように唇を噛み、少女に視線を注ぎ続けていた。
けれど、彼は一度目を閉じ、再び開いた。
その瞳は、決心を宿したものに変わっていた。
セドリックは、ベッドのそばに椅子を引き寄せると腰掛けた。
「……セドリック殿?」
「クラウディア嬢。これからのこと、秘密にしていただいてよろしいでしょうか」
「あ、はい」
反射的に了承してしまったクラウディア。
それに安堵したセドリックは、毛布の上に力なく投げ出されたブリジッタの手を、両手で包み込む。
その動作に、クラウディアの胸がどきりと跳ねた。
「――ジッタ」
囁くようなその呼び掛けには、何がこもっていたのだろうか。
クラウディアにわかったのは、それが切ないものであり、確かに届いたということだった。
ブリジッタのまつげが震え、セドリックの手を握り返す。
そうして目を覚ましたブリジッタは、視線をさまよわせ、そこにセドリックを見出す。
「――セド」
もう片方の手が持ち上がり、セドリックの両手を抱きしめるように引き寄せる。
「どうしよう、セド」
ブリジッタのその姿は、セドリックにしがみつくようだった。
涙を流しているわけではない。
顔を大きく歪めているわけでもない。
ただ困ったような様子だった。
その裏に、どれほどの感情があるのだろうか。
クラウディアは、よろめかないよう踏みとどまるだけで精一杯だった。
「交換しよう、僕の万年筆と、ジッタの羽ペン」
「うん」
「栞、僕にも分けてくれる?」
「うん。予備のリボン、持っていて」
「じゃあ、僕の予備のネクタイも」
「手帳、もっと書き込んで」
「うん。それから――」
クラウディアはもう、涙をこらえられなかった。
おかしい、こんなの。
心を埋め尽くすのは、それだけだ。
ジッタ、セド。
そう呼び合うほどなのに、どうしてこうなってしまったのか。
ああ、雲にまします母なる雷よ、どうしてこんな――。
祈ろうとして、クラウディアは愕然とした。
目の前の少女は、神の再臨とされている。
すなわち、神そのもの。
それならば――この二人は、何に祈ればいいのだろうか。
お互いにしがみついているように見える二人を前に、クラウディアは思った。
――いつから、二人は祈るのをやめたのだろうか、と。
中庭に面したその廊下には、寒さが直接入ってくる。
だから今の時期、この廊下に人通りはない。
雪は、ちらつく程度だった。
けれど雲は分厚く影を落としていて、幻想的というより、鬱積しているように見えた。
まるで今の自分のようだ、とセドリックは自嘲する。
王女殿下の容態を教室に伝えるため、医務室を出る時の光景を思い出す。
泣きはらした目で、ひどく気落ちしたクラウディアに気づいた時は驚いたものだった。
理由をはぐらかされたが、そんな顔ではしばらく教室には戻れない。
だから、ブリジッタにはクラウディアが落ち着くまで、そばにいてもらうことにした。
ブリジッタのほうも、クラウディアと話すことで少しは気が紛れるか、と思ったこともある。
それくらいのことでしか、幼馴染の心を守れない自分に、ほとほと嫌気がさす。
力なく歩く自分を自覚し、執事とはかくあるべし、とばかりに背を伸ばす。
そんな彼の前に、待ち構えているかのような人影があった。
いや、事実そうだったのだろう。
彼は壁にもたれ、暖を取るように手の中で炎を揺らしている。
ミハエル・トランジェスト。
その姿を認めたものの、気にしないふりをして、軽く一礼してから通り過ぎようとする。
「なるほど、いつもはああ呼んでいるのか」
しかし、セドリックの歩みはそんな言葉で止められた。
セドリックの視線がさまよう。
ミハエルは、唇の端をつり上げた。
「王女殿下の名前を略すなど、実に不敬な話だ。正されるべきだと思わないかい?」
それは、ブリジッタが倒れた時に、そう呼んでしまったことを指しているのだろう。
迂闊だった。
セドリックはそんな悔いを抱きながら、ミハエルを見返した。
「なにを言いたいんです?」
「指摘されないとわからないのかな?」
その笑顔は、差し出された炎の向こう側で揺らめいた。
「本当に王女殿下のことを思うなら、離れるべきではないのかな。……一人立ちできるように、ね」
「……まさか」
セドリックの声に力がこもる。
そこにあったのは、疑念と警戒だった。
ミハエルは、それをむしろ嬉しそうに受け止めた。
「君はそんな顔もできたのだな。そちらのほうが、好感が持てるよ。――が、どちらにしろ、あの姫君と並ぶには不足」
ミハエルの手の中で握りつぶされ、炎は散った。
「――よく、自覚されてはいかがかな」
セドリックは答えられなかった。
その反応を、ミハエルは満足そうに捉えた。
「王女殿下の容態は問題なさそうだね。それは、私がコレット先生に伝えておくとしよう。君はせいぜい……ここでゆっくりしていくといい」
そう言い残し、ミハエルは廊下の奥へと消えていった。
セドリックの手が跳ね上がり、近くの柱へと叩きつけられた。
「……知ってるよ、そんなこと。もう、ずっと前から……!」
伝わってくる痛み。
それ以上のものが、胸の奥からこみあげてくる。
セドリックは、それをどうすることもできなかった。
読んでくださり、ありがとうございました。
よろしければ、下の☆をぽちりと押して頂ければ、作者緋色が泣いて喜びます。
励みにもなりますので、よろしくお願いします。




