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残光の九十分、あるいは雨の中の待ち伏せ

廃坑の入り口を抜けた瞬間、叩きつけるような豪雨が二人の身体を打った。

山の斜面は泥濘ぬかるみと化し、一歩踏み出すごとに体力が削られていく。ユーマの右肩の傷からは、雨水に薄められた血が絶え間なく流れ出し、意識は急速に遠のいていた。


「……ハァ、ハァ……カイル、あと、どれくらいだ……」


「……時計は見てねえ。けど、空の色が変わってきた。もう、一時間は経ってるはずだ!」


カイルはユーマの左腕を自分の肩に回し、必死に泥の坂道を駆け下りていた。その胸元には、銀色の布に包まれた「魔導書」が抱えられている。布は今や、内側から発せられる熱で蒸気を上げ、カイルの肌をじりじりと焼いていた。


フェルゼン外縁区の境界線、あの「廃工場」の煙突が見え始めた時だった。

知力28を持つユーマの「生存本能」が、激しい警鐘を鳴らした。MPが枯渇し、精密演算ができないはずの脳が、雨音に混じる「不自然な静寂」を感知したのだ。


(……おかしい。風下に、さっきまでなかった『鉄と油の匂い』がする……)


「カイル、止まれ! 右の物陰だッ!」


ユーマの叫びと同時に、廃屋の影から数本の「黒い矢」が放たれた。

カイルは反射的にユーマを突き飛ばし、自身も泥の中に身を投げ出した。矢はカイルの頬を掠め、背後の大木に深く突き刺さる。


「……チッ、外したか。ガキのくせに、鼻だけは利くらしい」


雨のカーテンを割り、姿を現したのは「黒鼠の番犬ハウンド」たちではなかった。

そこにいたのは、あの地下の入り口でユーマたちを脅した「棍棒の男」と、その仲間に加え、さらに数人の「プロの賞金稼ぎ」たちだった。彼らの装備は、番犬たちよりも遥かに実戦的で、冷酷な殺意に満ちている。


「……ベリウスの旦那に届ける前に、その『包み』をこっちに寄越しな。あんなケチな差配人に渡すより、俺たちが他所に売り飛ばした方が、金貨は三倍に跳ね上がるんでね」


棍棒の男が、下品な笑みを浮かべながら間合いを詰める。

彼らにとって、魔導書の呪いなど関係ない。ただの「高く売れる商品」としてしか見ていないのだ。


「……断る。これは、おばあちゃんの命なんだ……。誰にも、渡さない……!」


カイルが震える足で立ち上がり、戦斧を構えた。だが、彼の体力は既に限界を越えている。構えは不安定で、両腕の震えを隠しきれていない。


「カイル、戦っちゃダメだ……! 奴らの狙いは、君が抱えてる本だ。……僕が、囮になる……!」


「馬鹿言うな、ユーマ! お前、その肩で何ができるんだよ!」


ユーマは唇を噛み切り、口の中に広がる血の味で意識を強制的に繋ぎ止めた。

MPはゼロ。だが、知力28という「思考の器」だけは、まだ壊れていない。


(……一対五。全員が五体満足で、こちらは満身創痍。……正面から戦えば三秒で終わる。……利用できるのは、この『雨』と、布の中で暴れている『呪い』だけだ……!)


「……いいよ。本が欲しいなら、あげる」


ユーマが掠れた声で言った。

「ユーマ!? 何言ってんだよ!」


「……カイル、僕を信じて。……ほら、受け取りなよ」


ユーマはカイルの手から強引に「魔導書」を奪い取ると、それを棍棒の男の方へと放り投げた。

銀色の布が空中で解け、中から紫黒色の光が溢れ出す。


「……がっ、ははは! 物分かりがいいじゃねえか!」


男が慌てて魔導書を受け取ろうとした瞬間、ユーマは全細胞を燃やすような覚悟で、自身の『魂』そのものを魔力に変換し、無理やり一発のスキルを捻り出した。


「――『衝撃インパクト』、布の結び目へ!!」


パチンッ、という弾ける音とともに、銀色の布が完全に剥がれ落ちた。

剥き出しになった『深淵の魔導書』が、雨水を吸って激しく脈動する。


「なっ……何だ、この光は……!? ぎあぁぁぁぁぁぁッ!!」


魔導書を掴んだ男の手が、瞬時に炭化し、黒い煙を上げた。

汚染の波動が爆発的に広がり、周囲の賞金稼ぎたちが頭を抱えてのたうち回る。魔導書は「自分を安く売ろうとした者」への怒りを示すかのように、彼らの精神を直接破壊し始めたのだ。


「今だ……カイル……走れ……!」


ユーマは地面に這いつくばりながら、汚染の波を必死に耐えた。

カイルは叫び声を上げながら、男の手から転げ落ちた魔導書を、予備の布で再び無理やり包み込んだ。


「……ユーマ! ユーマッ!!」


カイルはユーマの身体をひったくるように抱え上げ、狂ったようにフェルゼンの門へと走り出した。

背後では、汚染によって理性を失った男たちが、お互いを獣のように引き裂き合う惨劇が繰り広げられていた。


街の鐘が、オークションの開始を告げる。

制限時間は、あと十五分。

カイルの脚は既に感覚を失い、ユーマの視界からは色が消えていた。


「……カイル……もう、いいよ……。僕を置いて、……ベリウスのところへ……」


「……黙れ、ユーマ……。おばあちゃんはな、二人で帰ってこいって……言ったんだ……!!」

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