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嘆きの廃坑、腐敗した残響

フェルゼン北方の山肌に穿たれたその穴は、まるで巨大な怪物の傷口のように、どろりとした闇を吐き出していた。

雨脚はさらに強まり、叩きつけるような水音がカイルの担ぐ戦斧「黒鉄」を濡らす。ユーマは震える手で一本の松明に火を灯した。オレンジ色の頼りない光が、湿り気を帯びた岩壁をなぞり、そこかしこに刻まれた「採掘者の断末魔」のような古い傷跡を浮かび上がらせる。


「……行くよ、カイル。ここから先は、僕の『魔眼』でも見通せない場所がある。一歩でも踏み外せば、僕たちは永遠に土の下だ」


「……ああ。分かってる。鼻が曲がりそうだぜ、この腐った肉の匂い……」


二人が坑道へ足を踏み入れると、外界の雨音は遠ざかり、代わりに「ポタリ、ポタリ」という、天井から滴る粘り気のある水の音だけが響き始めた。空気は重く、肺の奥までカビと死臭が入り込んでくる。


知力28を持つユーマの脳内では、常に周囲の環境音が波形として解析されている。だが、その解析結果が突如として「異音」を検知した。岩が擦れる音ではない。肉の塊が、引きずられながら移動する音だ。


(……前方20メートル、曲がり角の先。熱源反応はない。だが、空気の振動が不自然に揺れている。数は三……いや、五!)


「カイル、止まれ! 正面だ!」


ユーマの叫びと同時に、松明の光が届く境界線から、フラフラと「それ」が現れた。

ベリウスの輸送隊だった者たちの成れの果て――ゾンビだ。

しかし、それらは物語に出てくるような鈍重な怪物ではなかった。腐り落ちた頬、剥き出しの歯茎。だがその手には、生前に使い慣らしたであろうプロ仕様の長剣と盾が、今なお死後硬直した指に固く握られていた。


「嘘だろ……。あいつら、死んでるのに構えてやがる……!」


カイルが戦慄するのも無理はない。魔導書の汚染は、彼らの魂を奪いながらも、その肉体に染み付いた「戦闘技術」だけを強制的に駆動させていた。


「落ち着いて、カイル! 奴らに知性はない。ただの『プログラムされた反射』だ。……僕が動きの起点を見抜く!」


ユーマは「努力の魔眼」を全開にした。MPは既に半分を切っている。脳が焼けるような熱を帯びるが、知力28はそれを無視して、ゾンビの筋肉の微かな痙攣から「次の一撃」を逆算していく。


一番手前のゾンビが、ガチガチと歯を鳴らしながら突進してきた。生前は俊敏な軽戦士だったのだろう、その踏み込みは驚くほど速い。長剣が空気を切り裂き、カイルの首元を狙う。


(右肩の関節が外れている……可動域は狭い。旋回半径は0.8メートル。カイル、右に避けるな! 左へ踏み込んで、膝の関節を砕け!)


「おおおぉぉッ!!」


カイルはユーマの指示通り、あえて刃の届く内側へと潜り込んだ。戦斧の石突きが、ゾンビの腐った膝皿を粉砕する。ボキリ、という不快な音が響き、怪物が体勢を崩す。だが、ゾンビに痛みはない。倒れながらも、奴は短剣を抜き放ち、カイルの脇腹を突き刺そうとした。


「――『衝撃インパクト』、最小出力!」


ユーマの指先から放たれた不可視の圧力が、短剣の軌道をわずかに逸らした。

「……カイル、頭だ! 脳幹を潰さない限り、奴らは止まらない!」


カイルの咆哮とともに、黒鉄の刃がゾンビの頭部を叩き潰した。ドロりとした脳漿が飛び散り、ようやく一体の動きが止まる。だが、背後からはさらに四体、盾を構えた重装歩兵のゾンビが、一糸乱れぬ連携で距離を詰めてきていた。


「……くそっ、こいつら、死んでるくせに陣形を組みやがった!」


重装ゾンビたちは、盾を重ね合わせて壁を作り、カイルの斧が届かない間合いから槍を突き出してきた。知力28のユーマにとっても、この狭い坑道での「盾の壁」は最悪のシチュエーションだった。


(物理的な破壊力だけでは突破できない。……MPを絞り出せ。思考を加速しろ。……何か、この環境を利用できるものは……)


ユーマの魔眼が、天井に走る「脆い岩盤の亀裂」を捉えた。

かつての落盤事故の跡。そこを刺激すればどうなるか、計算は一瞬で終わった。


「カイル、僕の『衝撃』に合わせて、全力で天井のあの岩を叩け! 巻き込まれる確率は12%……でも、やるしかない!」


「……了解だ、相棒! 死ぬ気で合わせるぜ!」


ユーマは残りのMPを指先に集中させた。狙うは天井の「要石」。

「……いけッ!」


ドォォォォン!!

ユーマの衝撃波が岩盤を揺らし、間髪入れずにカイルの全力が叩き込まれた。

凄まじい轟音とともに、巨大な岩塊が重装ゾンビたちの頭上に降り注ぐ。断末魔の叫びさえない。ただ、肉が潰れる鈍い音と、立ち込める土煙が坑道を支配した。


土煙が晴れた後、そこには岩に押し潰された肉塊の山が築かれていた。

カイルは戦斧を杖代わりにし、激しく肩で息をしている。ユーマもまた、視界がチカチカと点滅するほどの精神疲労に襲われていた。


だが、安堵する時間はなかった。

坑道のさらに奥から、不気味な、そして甘い「囁き」が聞こえてきたのだ。


『……おいで……。……あなたの……望む……答えが……ここに……』


ユーマの知力28が、その声に激しく警鐘を鳴らす。

(……これが、魔導書の汚染。僕の『思考』そのものが侵食され始めている……!)


「……ユーマ。今の、聞こえたか? おばあちゃんの声がしたんだ……」


カイルの瞳が、うつろに奥の闇を見つめている。

「しっかりしろ、カイル! あれは幻聴だ! ……魔導書まで、あと少しなんだ。……行こう、自分を失う前に!」


ユーマはフラつく足取りで、カイルの手を引いた。

松明の火は今にも消えそうだ。だが、闇の向こう側には、禍々しい紫色の光が漏れ出していた。

そこには、輸送隊を全滅させた張本人――「深淵の魔導書」が、かつての持ち主の白骨死体を苗床にして鎮座している。

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