死に至る依頼、あるいは断頭台の選択
カーテンを潜った先は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。そこは、天井まで届く無数の古書と、怪しく明滅する魔導具に囲まれた、差配人ベリウスの執務室だった。部屋の主は、重厚な机に肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せて二人を待っていた。
「……見事だ。番犬どもの牙を折り、ここまで辿り着いた勇気だけは評価しよう。だが、坊や。私の名を騙った代償は、たった数人の男を倒した程度で払えるほど安くはないぞ」
ベリウスの瞳が、モノクルの奥で爬虫類のように冷たく光る。知力28を持つユーマは、その一瞥だけで理解した。この男は、これまでに何人もの「自分と同じような野心家」を奈落へ突き落とし、その死体の上に今の地位を築いてきたのだ。部屋に漂う空気は、肺にへばりつくような冷徹なプレッシャーに満ちていた。
「……代償なら、これから支払います。おばあちゃんの薬……『聖灰の雫』を手に入れるために、僕たちの命を賭ける準備はできています」
ユーマが、MP切れによる激しい頭痛に耐えながら絞り出すように言うと、ベリウスはククッと喉を鳴らして笑った。その笑いは、獲物を追い詰めた蛇のそれだった。
「命、か。この街では最も安価で、最も溢れている通貨だな。……だがいいだろう。君たちがただの無能ではないことは、先ほどの立ち回りで証明された。ならば、その『命の価値』を試させてもらう」
ベリウスは机の上に、一枚の古びた地図と、赤黒い封蝋で閉じられた封筒、そして鈍く光る銀色の布を放り出した。
「現在、このオークションにはある『目玉商品』の出品が予定されている。……『深淵の魔導書』。かつて狂った魔導師が、自身の魂を削って綴ったとされる禁書だ。だが、その運搬中にトラブルが起きた。フェルゼン北方の『嘆きの廃坑』で、輸送隊が消息を絶ったのだ」
ベリウスの声が一段低くなり、部屋の灯りが微かに揺れる。
「生存者の報告によれば、魔導書が放つ『負の魔力』が周囲の死体や魔物を変質させ、そこは今や生ける屍——ゾンビの巣窟と化している。正規の傭兵団を送れば、ギルドや騎士団に嗅ぎつけられる。だが、君たちのような『どこにも属さない鼠』なら、失敗して死んでも私の名は汚れない」
「……成功すれば、報酬として金貨25枚、あるいは『聖灰の雫』を現物で支払おう。期限は明日、オークションの最終日が始まるまでの24時間だ」
金貨25枚。おばあちゃんを救うために必要な額を上回る、破格の提示。だが、それは文字通りの「死地」への招待状だった。カイルが戦斧「黒鉄」の柄を、ミシミシと音が鳴るほど強く握りしめる。
「……生ける屍の巣窟、か。上等だ。おばあちゃんを救えるなら、地獄の底まで行って、その本を引っこ抜いてきてやるよ」
「……待って、カイル」
ユーマの知力28は、ベリウスが言葉の裏に隠している「真の毒」を察知していた。地図に記された廃坑の構造、そして魔導書の性質。
「ベリウスさん、一つ確認させてください。その魔導書は、触れるだけで精神を汚染し、周囲の者の自我を破壊する……そうですね? 輸送隊が全滅したのも、外敵のせいだけじゃないはずだ」
ベリウスは、初めて称賛するように目を細めた。
「察しがいいな。その通りだ。素手で触れれば、数分で自我が崩壊し、君もそのゾンビの仲間入りだ。その『封魔の布』で包め。だが、効果は持って一刻(二時間)だ。それ以上は、布ごと君の精神を焼き切るだろう」
執務室を出た二人の背中に、冷たい風が吹き抜ける。地下水道を抜け、地上へ戻ると、フェルゼンの空は泣き出したかのように激しい雨が降り始めていた。
街の華やかな灯りは雨に煙り、泥水に反射している。おばあちゃんの寿命、残り24日。そして、この依頼の期限もまた、刻一刻と刻まれている。ユーマは震える手で地図を広げた。
「カイル、行くよ。……今の僕たちのステータスで、ゾンビの群れと戦うのは自殺行為に近い。でも、知力を使えば、生き残る道筋はゼロじゃない」
「……分かってる。ユーマ、お前が『行ける』って言うなら、俺は信じる。俺の斧は、そのためにあるんだからな」
カイルが、特訓で裂けた手の平を雨水で洗い、無理やり笑って見せる。その野生的な力強さに、ユーマは微かな希望を繋ぎ止めていた。
二人は雨の中、フェルゼンの北門を抜け、暗雲の下に広がる険しい山道へと走り出した。目的地は、かつて多くの採掘者が命を落としたという「嘆きの廃坑」。そこには、ゾンビ化した輸送隊員や、魔導書の汚染によって変異した未知の怪物が待ち構えている。
ユーマの「知力28」は、雨音に混じる「死の気配」を敏感に捉え始めていた。
「……カイル、見えたよ。あそこが『嘆きの廃坑』の入り口だ」
山の斜面に口を開けた、巨大な髑髏のような坑道。そこから漏れ出す冷気には、腐敗した肉の臭いと、思考を掻き乱すような不気味な「囁き」が混じっていた。
「……よし。おばあちゃんの薬、絶対に持ち帰るぞ!」
二人は、一筋の松明を頼りに、永遠の闇が支配する廃坑の中へと足を踏み入れた。




