座敷童子と鬼ごっこ
私のお家はどこにあるの。
みんなで過ごした優しいお家。
みんなが笑っていたお家。
私が守っていた大切なお家。
私はただ、お家に帰りたいの。
大切で、大事な、宝物のお家に。
*
足元でにっこりと笑う子供を見て、篤志と銀は固まる。
「お前、いったいどこから湧いたんだ?」
かろうじて口から漏れた銀の言葉に幼子は首を傾ける。どうやら迷子のようだった。
「私のお家。帰り方がわからなくなっちゃったの」
篤志のズボンを握る手に力が込められる。潤み、揺れる瞳を見て篤志はそっとその場にしゃがんで子供と視線を合わせる。
「お前、迷子なのか? 家族はどこか近くにいないのか?」
「一緒にいた人はずっと昔にいなくなっちゃった」
子供の顔に影がさし、篤志は踏み込んではいけない部分に足を踏み入れてしまったと悟った。大きな瞳から涙が一粒落ちたのを見て、慌てる篤志を横目に銀がなれたように子供を抱き上げる。
「ほらほら、泣くなよ。せっかくの可愛い顔がブサイクになるぞ」
言葉では茶化しながらも、銀は自身の袖で優しく涙を拭き取っていた。子供の扱いに慣れている銀を見て篤志は不思議な気持ちになるのを感じていた。どちらかといえば、篤志も銀も小さい子供の相手は得意ではなかった。篤志は元からの真面目さゆえに子供と相性が悪いことが多く、銀は何を考えてるのかわからないから苦手だと話していたことがあった。
銀の新しい一面を目の当たりにして、篤志は知らずうちに息を吐く。すると視線に気がついた銀が照れたように口を尖らせると「なんだよ」と呟く。子供のような仕草に篤志は小さく笑い、首を横に振る。
「お兄さんたちは家族なの?」
親密な二人のやり取りに子供が不思議そうに尋ねる。篤志が咄嗟に否定するよりも早く銀が先手を取るように口を開く。
「そうだぞー。なんて言ったって、俺たちは運命の赤い糸で結ばれてるんだからな」
「……お前、小さい子供に嘘つくなよ」
胡乱げな視線を送ると、銀はなぜか投げキッスで返してきた。篤志の前世と関わりがあるのは事実なのだろが、銀と家族になった覚えも運命の赤い糸で結ばれた記憶もなかった。
「あながち嘘じゃないだろ。俺たちは深ーい縁で結ばれてるんだからさ」
篤志が思い出す前は何も言ってこなかったくせに、と心の中で愚痴りながら銀の相手をするのをやめる。これ以上何を言っても、経験上相手の思うツボだとわかっていたから。
「いいなぁ。それ、私にもちょうだい」
一瞬の静寂。
子供の声が耳元で聞こえたと思ったら、篤志の体から力が一気に抜けた。姿勢を保つことができなくなり、その場に崩れ落ちる。かろうじて手をついて耐えたことで倒れることはなかったが、早くなる心臓の音がうるさいくらい頭の中で響いている。じんわりと額に浮かんだ脂汗が気持ち悪かった。
霞む視界の向こうで、篤志はある景色を見た。
幸せそうに笑い、誰かの膝に横たわる子供。優しく頭を撫でてもらい、嬉しそうに子供は誰かの手に自身を委ねている。
篤志はその光景に懐かしさと、ひとつまみの寂しさを感じた。
あの景色は、と篤志が考えるよりも前に銀の怒鳴り声がその景色をかき消してしまった。
「篤志!? っお前、何をした!」
銀は篤志が倒れ込んでいくのを見て、子供を地面に下ろすと焦ったように篤志のそばによった。
揺れる視界が気持ち悪くて、軽くえづいている篤志に寄り添いながら銀が鋭い視線を子供に向ける。しかし、子供はニコニコと笑うだけだった。口元は綺麗な弧を描いているのに、瞳は真っ黒で何も写していないようだった。吸い込まれそうなそれに、篤志の背中に悪寒が走る。
「返答によっては、お前を……」
銀は脅しをかけるように手に力を込める。
「お兄さんたちの縁がとても綺麗だったから。私にも欲しいと思ったの」
縁、という言葉を聞いて銀はまさかと思い改めて篤志の体を確認する。
銀と篤志を結ぶ、大切な縁がなくなっている。それはクレヨンで落書きされたように赤く塗りつぶされ、途絶えていた。その代わりに、篤志の胸から伸びる縁の糸が、子供の小指に絡みついている。大切な約束を結ぶように――。
「……お前、それを返せよ」
銀の怒りを弄ぶように子供はニンマリと笑う。
「鬼さん、こちら! 手の鳴る方へ!」
目の前にいた子供の姿が突然消える。かと思えば、背後から手を叩く音がした。
篤志のことを気にかけながら、銀は勢いよく後ろを振り返ると屋根の上でケラケラと笑う子供がいた。薄く唇を引き延ばし、うっそりと瞳に弧を描く。
その様子を横目で見ながら、篤志はふと思った。
「私は、座敷童子。これを返して欲しいなら、私のお家と交換ね」
ここは《幽世》――人の道理が通じない、妖の世界なのだ、と。
「あはは! 早くしないと行っちゃうよ!」
座敷童子の子供は笑いながら屋根の上から飛び降り、どこかへと消えてしまう。揶揄われた銀は青筋を浮かべながら追いかけようとして、袖をくんっと引かれ立ち止まる。
「――篤志!」
頭に血が昇って、一瞬でも篤志のことを忘れてしまった銀は、そのことを恥じるように篤志のそばに座り込む。銀はいつだってそうだった。まだ神様だった篤志と出会った時から、この衝動性だけは唯一治らなかった。
一瞬、銀の心に影が差す。しかし、銀はその気持ちを振り払うと篤志の背中をゆっくりと摩る。
「どう、なった? 俺に何が起きてる?」
人間の篤志には妖が見ることのできる縁の糸が見えていないようだった。神様のように縁の視覚化を行えない銀では篤志の状態を口で伝えるしかなかった。篤志自身も、縁をいじられた感覚はわかっても、具体的にどうなったのかはわからなかった。
「……あのガキが、篤志と俺の縁を切って自分のものにしやがった。多分、無理やり縁をいじったから、その反動が篤志に来てるんだと思う」
「そうか……。あの子はどこに行った?」
「ごめん……見失った。でも、擬似的でも篤志と縁を結んでるから、そこから辿ればすぐに見つけられると思う」
銀の見立てに篤志は小さく頷く。篤志は回る視界に耐えながらゆっくりと立ち上がった。ふらつく篤志に銀は心配そうに体を支えた。
「それなら、早く探しに行こう」
「でも、まだ体調がよくないんだろ? もう少し休んだほうがいいんじゃないか?」
「……いや、大丈夫だ。それに、早く銀との縁を取り返さないと」
篤志は銀の顔を覗き込んで、安心させるように笑う。そして、軽く額を弾いた。銀は突然の痛みに間抜けにも口を開けて呆然としている。
「そんな迷子みたいな顔してる銀を見たら、休んでもいられない」
篤志のことを支える銀の手から体をするりと抜け出すと、篤志は優しく微笑み、座敷童子の子供が降りて行った方へと向かう。その後ろ姿を見ながら、銀は額を抑えつつ「それは反則だろ」と呟く。幸い、顔を赤くしていたところは篤志には見られずに済んだ。




