魔王と勇者・2-3
そんなわけで余が向かったのは先々代のもと。いや別にここでなくとも、どこか適当な異空間に行ってもよかったのだが、目視でも状況を知れるというのはわかりやすくて良いかと思ったのだ。精神衛生的にも。
さて。ではあの邪神から飲み込まれたものどもを解放する手段だが……。なんのことはない。ただ単純に、あの邪神の負を吸い上げて、飲み込まれたものどもとの結合を弱めて引っ張り出すというだけのこと。
やることも単純だし、言うも易いが、それでいてこれをできるものというのは限られる。というか、余以外に思う効果を発揮できるのは、余の知る限りセツヤの持つ先々代の力以外にはあるまい。
で、まずはセツヤに負を吸い上げさせ、そうして吸い上げた負を余がこの異空間にて放出するというわけだ。
そも、邪神というのは負で成り立つ。存在そのものが負の塊であるからして、なにをするにも負を吐き出すし、なんなら抑える気もないようなものであれば負の気をだだ漏れにさえしている。いや、もともとが負によって成り立つくらいなのだ。負をだだ漏れにしておる邪神こそがほとんどだといえよう。実際、あの邪神も負を靄として纏うかたちで漏らしておったし。
であるからして、余は負の増え具合で今度の邪神の力量を判じたわけだが、それはそれとして。たとえ負を撒き散らす存在であるといえど、もちろん自己を形成しておくぶんの負は自身の身に残しておかねばならない。今回吸い上げるのは撒き散らしているもののほうがついでで、その邪神本体の負のほうというわけだ。
邪神がこの世に自らを留まらせるには相応の負を凝縮し自らを織りなさねばならぬので、その凝縮された負を吸い上げるともなれば先々代の器にはそれなりに負が流れ込むことになる。能力的にはさほど強くもない邪神であろうとも、邪神として存在を確立できた邪神には違いないのでまあ当然ともいえる。
だからこそ、先々代の器が満たされぬよう、流し込まれた負を余が放出する必要があるわけだ。
いままでにも必要に際して割と定期的にしておったことではあるが、正直ひとりで異空間にて魔力を放出し続けるというのは、なんか虚しすぎてすきではない。とはいえ外で放出したらなにか壊したりせぬよう配慮せねばならぬというそれはそれで面倒な神経を使わねばならぬゆえ、どこに妥協点を持っていくかというはなしでしかないのだが。
このあたり、本当に余は存外温和で温厚であることの証左よな。ほら、ちゃんと気を遣ってなにも壊さず済む方法を選んでおるし。
ひとり虚しいこの作業を、なんならついでのものと変じさせて楽しめる方法を得るためにスヴェイを獲得したわけなのだが、今回ヤツとの死合いは泣く泣く諦めた。負がどれだけの量をどれだけのスピードで溜まってくるかわからぬゆえだ。
全力でどうにかせねばならんということにはならぬだろうが、集まった負に当てられて、死合中にうっかり力加減を間違えてしまっては泣くに泣けぬだろう。せっかく得たスヴェイの存在を、余自らさくっと摘み取るわけにはいかぬのだ。
などと考えておったら、負が溜まりはじめた。
うーむ。思ったほどスピード感ないな。これ、もしかしたらスヴェイと死合いながらでも消費が間にあう程度だったのでは……?
そうは思えど時はすでに遅し。スヴェイとの死合いはあとに残して、仕方なく作業に入る。
そうそう先々代の器が壊れるようなことはないが、それでも魔王たる余がちょっと本気を出せば壊せてしまおうから、器にだけ気をつけて、適当に高位な魔法を放ち続ける。
作業だ。作業でしかない。
なんのおもしろみも変化もないこれが苦行だからこそ、スヴェイがおるというのに。
うーむ。これは本当に、早く余に挑めるだけの勇者が育ってくれることを願うばかりだ。定期的に良き死合いができれば、余のストレスは大幅に減り、それでも負の消費が間に合わずに時折こうして作業的な行動をせねばならんことがあったとしても、文句を言うことなく取りかかれよう。
そんな希望を抱きながら、適当な魔法を放ちつつ先々代の器の様子を見る。余剰の負などこうした特殊なことがなかろうとも溜まるものではあるが、だからといって現状溜まっているぶんすべてを消費してしまうつもりはない。
これ、余の力の根源でもあるし、念のためだ。念のため。
というわけで最終的に適度に残そうという意図で調整しつつ魔法を放ち続けしばらく。ようやく落ち着きをみせたようだ。
余の感覚としてもふだんより早くかつ量を増して流れてきていた負も、通常の溜まり具合程度に落ち着いたと捉えられたため、魔法の使用をやめる。目視でも確認するが、器内にいつもより急速に流れ込んでいた負の増加が、通常通りの緩やかさに戻っていた。
ふむ。これはもうよいだろう。
やれやれ。手間をかけさせおってからに、と、溜息ひとつ吐いてこの空間をあとにする。なんかもう面倒くさいからあとはベイズにでも任せて報告だけ受けとるでもよいかなーと思ったが、被害に遭ったものの中に魔族がいる以上、出向かぬわけにもいかぬだろう。
……知らないふりを通せる状況であるなら間違いなく放っておいたのだが。もしくはベイズにバレなければ……いや、後者は無理か。
気乗りせぬ思いのまま、それでも移動はきちんと進める。最終的にまたルウに扮する必要があるゆえ、直通で転移するわけにもいかぬのがまた手間よ。だからといって最初からルウに扮しておっても、それはそれで転移魔法なんぞという偽ステータスに見合わぬ魔法を使う姿を見られでもしたら大事だし。
ままならぬものよ、と、溜息を吐きつつ適当な転移と徒歩とであの邪神のいたあたりまで移動すれば、なにやら甲高い叫ぶような声が聞こえてきた。
「どうして……どうして邪魔するのっ⁉ こんな世界、壊れちゃえばよかったのに!」
…………ふむ。よし、戻ろう。
面倒くさそうな空気を察知し、くるりと身を翻したところで思念が飛んでくる。
——魔王様、どちらへ?
……だよなー。ベイズが気づかんはずないよなー。もう割と近いし、見逃すはずもないというのもわかっていた。わかってはいたのだが……。
………………はあ。
仕方なく、渋々、猛烈に不本意ながら、面倒ごと真っ只中であろうその場に足を向けた。
——ひとまず、飲み込まれていたものたちはすべて取り出し、魔族に関しては密やかに素早く転移させ、身の安全だけは確保してあります。邪神に関してはかなりその存在がコンパクトにはなりましたが、存在自体は保てていました。こちらはヴィアとラズアを呼び、うまく倒し消滅させたふりをしつつ転移をさせました。これで勇者の評価も上がったかと思われます。
おおう。なるほど、ヴィアとラズアに勇者の株を上げるよう指示したわけか。さすがベイズ、抜かりないな。
あの自作自演で勇者を持ち上げてはおいたが、邪神を倒す姿も見せておけば勇者の有用性に現実味も増すというものだろう。ついでに結界やら負を吸いあげる行為やらもうやむやに勇者の技としておけば、万事都合よく解決というわけだな。
——ふむ。よくやった、ベイズ。
——あとでヴィアとラズアにもお褒めのことばをかけてやってください。
——そうだな、あやつらもよくやってくれておるし。
邪神の転移先は正直どうでもよいが、アレをきちんと矯正……もとい教育できるしかるべき相手のもとだろうと想像はつく。候補はいくらかおるが、ベイズのことだ。余に歯向かう牙を研がせぬ相手を選んでおるだろうなあと思うと、ちょっと残念にも思う。
ともあれ、これで残るは元凶たる人間のみか。
飲み込まれておった魔族も解放したし、なんなら邪神のあと始末とてしたのであれば、今度こそ人間のことなんぞ放っておいてもよかろうにと思うのだが、残念ながら現場に余の眷属たるベイズたちがおる。……ベイズに任せたら……そもそも許されなんだが、もしこの場を去ることが許されたとして、ものすごい恩に着せられてものすごい仕事量を持ってこられる未来しか見えぬ。絶対イヤだ。
ああもう面倒くさい、面倒くさい。
「吠えるな、小娘。あの程度のモノごときで世界を滅ぼすなど笑止」
面倒くさい心境を隠す気もなく、鬱陶しいとありありと態度に出しつつ渋々ベイズたちのもとに姿を現す。そんな余……ではなく、オレに、此度の元凶たる人間がきつく視線を向けてきた。
直後にベイズから放たれた殺気に、すぐさま怯んでおったが。威勢がいいのか悪いのかわからぬな。
とりあえずベイズは片手を上げて制しておく。さっさとこんな茶番終わらせて帰りたいというのに、はなしを長引かせても仕方なかろう。
——ところで、人間側は此度の一件、こやつの仕業と察しておらぬのか?
——ええ。ヴィアとラズアの働きで、こちらにまで意識も向かせていません。
ヴィアとラズアはあとで一層労うとして、人間の無能さは本当に呆れるしかないな。
頼むから、今後もっとしっかりしてくれ。そして実力を磨くのだぞ、人間。
うっかり溜息を吐いてしまったが、それが目の前の人間に対してと思われても存外勘違いとも言えぬから、まあよいか。ベイズの殺気に怯みはしても、気を失いもしなければ腰を抜かしもしないだけ、まだ見どころはあるのやもしれぬ。
ああ、いや、そもそもあの呪術の能力だけで見ても、昨今の人間の中ではまだ見どころのある人間ではあったのだった。
「そんなこと言われても……仕方ないじゃない、せっかく魔王が出てきたのに、とんだ腑抜けだったんだから!」
おおっと、落ち着けベイズ。この程度の戯言は聞き流すのだぞ。
なめられるのをよしとするわけではないが、この程度の人間ひとり、こんな些事で潰すようでは存外温和で温厚な魔王としての矜持に傷がつく。潰すくらいはいつでもできるゆえ、ここは放置だ。
という意図を含んで瞬時に視線を向けたオレ、ファインプレーというヤツだろう。ふう、とんだ自殺願望を有す人間にいらん焦りを抱いてしまった。
オレが素早くベイズを制したことに、フェイアやメルナが視界の端で安堵しているのが見える。その顔色がかなり悪いあたり、人間の発言の危うさは理解しておるようだ。
まあ、メルナはともかく、フェイアは付き合いも長いからな。当然といえば当然か。
「へー、魔王が腑抜け?」
せっかくベイズを落ち着けたところ、あえて藪をつつくセツヤに、せっかく安堵したフェイアとメルナが息を飲む。おい、貴様、愉快犯か。
「腑抜けでしょ⁉ だれも殺さなくて、なにも壊さなくて、なにが魔王よ! ぜんぶぜんぶ、無慈悲に不条理に壊し尽くしてこそ魔王じゃない! どうして……どうして壊してくれなかったのよ……っ!」
「し、シルヴィ……」
感情のままヒステリックに叫ぶ人間に、その親が手を伸ばす。が、その手は思いきり弾かれた。
「お父さんだってそう! お母さん、殺されたのに! それなのに復讐もしないで! 直接お母さんを見殺しにした治癒術師たちだけじゃない! お金がなければ平気で殺されるこんな世界ぜんぶが悪いの!」
「だからぜんぶ壊れればいいって?」
「そうよ! わたしはそのためにがんばってきたんだから!」
「がんばるって……呪いを撒くことを……?」
なにを考えておるのやら。変わらずくちもとにのみ笑みを浮かべたままくちを挟んだセツヤにこたえた人間のことばに、今度はメルナが問いかける。メルナの問いにか、それともメルナ自身にか、オレには細かな感情の機微なんぞとんとわからぬゆえ判断付かぬが、どうあれ人間は一瞬ことばに詰まったあと、メルナから視線を逸らすように顔を伏せ、続けた。
「……そう。もともと、魔王なんて実在するかどうかも怪しかったし、わたしが自分でどうにかしないとって思って。お父さんの持っている魔法書を隠れて読んだりして、必死に勉強したの。……お母さんのこと、復讐したいって言っても、わたしはそんなこと考えなくていいってお父さんは聞いてくれなかったから、ぜんぶひとりでがんばった。お父さんにバレたら止められるのはわかってたから、お父さんの前ではおとなしくて静かな子だって演じてみせたの。……世の中ね、なにかを恨んだり憎んだりするひとって結構いるんだよ。わたしみたいなこども言うことにでも、縋っちゃうくらいに」
「まあ、はなし半分で聞いてちょっとだけ実践してみるくらい、いいかって思うヤツなら溢れてるだろうな。呪詛なんて、ちょっとした憂さ晴らしのまじない程度の気持ちだったんだろ。こどもの言うことだからなおのこと軽く捉えて簡単に実践したヤツも多かったんじゃないか? その程度の心理なら、安易にほかにも教えて、それで広まっていったっていうのも考えられるし」
ふーむ。オレにはその心理は理解できぬが、魔王も人間も経験してきたセツヤが言うなら、そうなのやもしれぬな。呪詛なんぞというリスクも大きいような手法を用いる神経が知れんと思うのは、その効果のほどを理解してこそ思い至れることなのだろう。
実力がないのなら、学ぶくらいしろよ、人間。
あの自作自演や、オレやヴィアとラズアによる勇者の株上げ作業がきちん効果を発揮し、人間どもが研鑽に励むようになることを切に願う。
「魔王が出てきて、これならって思った。魔王ならきっと、世界を壊してくれるって。それなのに、なんにもしないで去ったりするから、やっぱりわたしがどうにかするしかないじゃないって思ったの」
つまり、余が特段人間に被害を出すこともせずさっさと立ち去ったことに腹が立って、カッとなって短絡的かつ衝動的に行動に出てしまった、と。
……惜しいっ! あと数十年待てばもうすこし見られる邪神を生み出せただろうに!
余、人間の前に姿を現すの、ちょっと早まったかな。いやでも放っておいたら余のことそっちのけにして人間同士で諍いあうとか愚か極まりないことに発展しておったわけだし……。アレを利用して人間の向上心を煽れたのであれば、適当にそれなりの邪神が生まれるよりは、割と見られる勇者が生まれるやもしれないし……。
うーむ。せっかくの魔王なのだし、未来もわかればよかったのに。
どうあれ、いまさら天秤に乗せられることでもなし、過ぎてしまったことである以上、人間に期待するよりほかあるまい。
よし、人間。適当にそれなりの邪神が生まれる可能性を潰えさせてまで繋いだ未来だ、無駄にするなよ。と、内心でがっつりエールを送っておく。
「……すまない、シルヴィ。お父さんは、シルヴィがそれほど追い詰められていたことにも気づかなくて……辛い思いをさせてしまった」
項垂れた人間が震える声でそう絞り出したのだが……ところでこれ、いつまで見ておればよいのだろう。興味自体最初からなかったにせよ、飽きるも飽きた、大飽きだ。
——まだ帰ったら駄目なのか?
飲み込まれていた魔族は解放したし、なんなら邪神とて対処したらしいし、もうオレがここにいる必要ないんじゃね? という気持ちでベイズに思念を送れば、ベイズがにっこりと笑って返した。
——じゃあ消しますか。
待て待て待て待て! ちょ、ベイズ! 根に持っておるのか⁉ 根に持っておるな⁉ 魔王を腑抜け呼ばわりした人間を消したくてうずうずしておったな⁉
それは駄目だ。ほら、余、存外温和で温厚な魔王だし!
いくらベイズが割と先々代寄りとはいえ、それでも現魔王たる余の側近には違いない。それこそふだんがふだんの態度であろうとも、魔王を優先することは事実として知っておった。
だから……これ、本気だ。
「あー、その、なんだ。そんな様子では人間の社会には居にくかろう。ひとまずアオナギ共同区域に紹介を通してやるから、そこでいろいろ落ち着いて考えよ。ふたりでやり直してみて、なおおなじ結論に至るのであれば、今度こそもっと強い邪神でも生み出せばよい」
ひとまずベイズがガチで手を下す前に、それなりにそれっぽい終着点を見繕おうと適当に考え……もとい、人間のことはよくわからんし、面倒だからこれも先々代関係者であるリィナに押しつけようと考えたのだが……。これ、案外いい案じゃないか?
うむ、ゆっくりじっくり今度こそ、なんなら今度はふたりで力をあわせてもっとしっかりとした強い邪神を生み出せばよいのではないか? それなら此度の失敗も活きるし、人間は人間で育ったうえに、余が手を出してもよいと思えるだけの邪神も生まれるのであれば、余にとって良いことしかないではないか。
ひとつ可能性を潰してしまったかとがっかりしておったが、結果的に良い方向に進むのではないか、これ。
「ルウ兄さま! また邪神をなんて……」
「いいや、違うよ、メルナちゃん」
おそらくなにやら抗議しようとしたのであろうメルナを制し、人間がまっすぐにこちらを向く。
「ありがとうございます、ルウさん。あなたに頂いたチャンスを活かし、今度はちゃんとこの子と……シルヴィと向き合っていきます」
「お父さん、わたしは……」
「シルヴィ。ゆっくりでいいんだ。ゆっくり、はなしあおう。きみのお母さんは、きみにそんなことをしてほしいと望むようなひとではなかった。お父さんも、お母さんのことが悲しすぎて、お母さんのことをシルヴィとあまりはなしてこなかったからね。お母さんのこと、もっといっぱい知って、それからいろいろと考えよう、ふたりで」
………………あれ。
うん? あれ? なんだ? 感情の機微とかそういうのに疎いオレでも、この流れはなんかおかしいってわかるぞ。
これ、もしかしなくとも、邪神、生まれぬ流れなのでは……?
え、うそ。ふたりで力あわせて今度こそ強い邪神を生み出そう、の流れは何処に。
ふたりの世界に浸る人間どもと、そんな人間どもを目を潤ませ見つめるメルナを尻目に、ちょっと気が遠くなってしまったのは仕方ないと思うのだった。




