魔王と勇者・1-1
生きるとはままならぬもの。諸行無常ということばを知ったのはいつだったか。あれは世の道理を的確についたことばなのだと、ちょこちょこ実感してきたが、いまもまた頭をよぎる。
眼下を見下ろし、そこに集う人間どもを大量の粒のようだとどこか遠く思いながら眺め、余は仮面越しに静かに息を吐いた。
ようやく。ようやくだ。ようやくベイズから許可が下り、久方ぶりに勇者業に勤しめるはずだったというのに、なんの仕打ちか。意気揚々と人間に扮しギルドに向かったオレをヴィアとラズアが迎え、合流したふたりが齎した情報こそが無情。無常でもよいが、ひとまず無情。
なんと、人間どもが戦争をはじめるというではないか。
まあ、うん。そんなはなしは聞いていた。聞いていたが、いまかあ……というのが心情。いや、いつならよいということでもないが、それはともかく。敵対する国それぞれが有志を募っていたから、しばらくギルドの依頼も種々の方向で多かったらしい。
ああ、うん、そのあたりもどうでもよいな。いや、よくはないか。本来なら勇者の力量を見せつけるチャンスでもあっただろうし。……単純に、力を見せつけるだけを目的とするなら、確かにもってこいではあるからな。
ただ、舞台が戦争というのはいただけぬ。オレなりヴィアやラズアなりがどこぞの国に所属しているなら、その国のためという名分が成り立つだろうが、当然オレたちは人間の国になんぞ属するわけもないし、一応籍自体も中立をうたうアオナギ共同区域に置いてあるという偽装もしておる。
つまり、下手にどの国に肩入れをするということもできぬわけだ。
となれば、戦争なんて勇者活動の邪魔にしかならぬ。まったく別の地で改めて活動するという手もあるにはあるが……。
「魔王様を差し置いて、人間同士で諍う余裕を見せつけられて、それでよろしいのですか?」
とはベイズ談。それなー。以前余も思ったことだし、確かにイラっと案件ではあるんだよなー。
でもその続き、というか解決策というか、そのあたりの察しがついておるから、あえてくちにせなんだのだが。
余、いま魔王業やりたくない。せっかく解放されたのに、また魔王業とか、ブラックだと思う。ちょっとくらい勇者業に戻らせてほしい。
そんな思いであえて目を逸らす余に、ベイズはいつもどおり甘くなかった。
「ここで魔王様のお力を示せば、魔王様のご威光を知らしめるにも、そして勇者の有用性を示すにも丁度よいかと思いますが」
む。むむむ。それは……まあ、そうだろうな。思いがけず、勇者の株を上げよう計画も思いきり進むだろうし、勇者を必要とするための理由ともなる、魔王は脅威なんだぞという認識を植えつけるにも適しておる。
いい機会だ。……いい機会なのだ。…………本当に、いい機会なんだよなー……。
いや、本当、ままならぬものよ……。
「……………………むう。わかった。出よう」
本っっっ当に不本意ながら、余は結局魔王として人間どもの戦争に参戦することを決めたのだった。
というわけで、大まかな流れくらいは察しておった余なれど、細かな作戦を即席ながら立てることにした。というか、そのへん既にベイズが考えておったようで、必要な人材に必要な指示を出し、そこにひとつ意見を取り入れて終わったのだが。
その第一段階が、余がいまから戦争はじめるぞ、という人間どものもとに姿を現すことになるわけだ。
一応、勇者業で多少なりとも顔が割れておるため、仮面をつけて人間どもの上空に登場。空を飛ぶくらい魔王たる余には容易なのだが、それよりも魔王の姿のほうこそを仮面に覆うのはどうかという意見もあるにはあった。まあ、別にこの見た目をせねばならんということもないし、適当にまるっと姿を変えることも当然できたのだが、基本、余はずっとこの姿で通してきたし、今後も別にわざわざほかの姿になろうという気もない。
どうせ人間の寿命なんぞたかが知れておるしな。勇者ルウの姿を覚えておるものがいなくなるまでのわずかな時間仮面を被るくらいよいだろうと判断したまでのこと。わざわざ別の姿を考えるのも面倒だったともいう。
髪の色こそおなじなれど、仮面もまあそうだが、圧倒的なまでに違う魔力量から、余をルウと同一視するものはおらぬだろう。それこそ、声がおなじだろうが似ている程度にも思えぬほど、魔力の抑制に差があるからな。
そう、抑制。いくら魔王としての登場だろうと、当然ながらある程度の抑制はしておる。それはもちろん、余が姿を現しただけで全員失神してしまっては意味がないからにほかならぬ。まあ、それでも、いまの魔力量でも失神するものはしておるし、大多数が腰を抜かしてもおるのだが。
本当に、質が落ちすぎだろう、人間。
幻滅するほどの期待はなかったとはいえ、呆れくらいはする。仮面越しに無様な有様の人間どもの群れを見下ろし、もう一度溜息を吐いた。
それからひとまずの役割を果たすことにする。
「……愚かだな。脆弱なる人間ごときが、同種討ちなんぞにかまけるとは。そのようなつまらぬ行為で命を散らそうというのならば、いっそ余がひと思いに殲滅してやろうぞ」
ここにおる人間すべてに聞こえるよう魔力を纏わせ紡いだことばに、あちこちから悲鳴が上がる。腰を抜かさずに済んでいたものどもは我先にと逃げようと試みておるようだが、戦意喪失したものどもが邪魔でうまく身動きできずにいるようだ。
やれやれ。立っていられるだけまだ見どころがあるかと思ったのに、とんだ腑抜けどもよ。だれひとりとして余に敵意を向けてくるものも、挑もうとするものもいない現状が本当に嘆かわしい。
だがそれでも、余は余の正体をこやつらに明かさねばならない。失神者が多く見受けられようとも、起きているものがおるからにはいずれ広まろう。
というわけで。ほれスヴェイ、出番だぞ。
「お待ちください、魔王様。この程度の雑魚どもに魔王様自らが煩わされる必要などありません」
魔王、の単語に、眼下で起きている人間どものざわめきが増した。うむ、大いに戸惑い、恐れるがよい。
ちなみにここでスヴェイが登場することが、取り入れたひとつの意見……フェイアの提案だったりする。先々代の博愛主義を考えれば、先々代の馴染みのものが気にかけるのも当然と思えることを憂慮しての提案だったのだが、がっつり当事者のスヴェイ本人が最後までどうでもよさそうではあった。
が、決まってしまえばやることはやるらしい。結局どっちでもよい派が多数を占めたため通ったこの案に、スヴェイもきちんと従っている。
「ふむ。であればその方に任せよう」
「ありがとうございます。すぐに一掃してみせましょう」
恭しく一礼する様子に、ふだんからそんな感じに敬ってもいいのだがなあ……と遠く思う。いやまあ、スヴェイはまだよいか。側近となった経緯が経緯だし。余はベイズにこそ言いたい。
余と同様、魔法で宙に浮いていた……一応この魔法、昨今の人間には使えるものなんぞおらぬのでは? というくらいには高位の魔法で、今回の件のためにベイズが伝授しておった。スヴェイくらいの能力があれば余裕で使える魔法でもある。
スヴェイは顔を上げるとふわりと前へ進み出た。そして抑えていた魔力をちょっとだけ解放する。
……失神者、増えたな。
当然といえば当然だが、全員に気を失われては困る。本当、もっとしっかりしろ、人間。
ともかく、こちらからすれば茶番以外のなにものでもないこれは、さらに茶番と化していく。
そう……自作自演、という名のな。
「待ちなさい! そんなこと、この勇者ルナが許さないわ!」
「おなじく、勇者ミウもお相手いたします」
高々と口上を述べ、その際きっちりと勇者の部分を強調して堂々登場したのは、ヴィアとラズア。もちろん、その口上どおり人間として、だ。ヴィアがミウ、ラズアがルナと名乗っておるのだが、オレの勇者名、ルウから一字ずつ取った偽名らしい。まあルウから取ったということは、必然的に余の本当の名から取ったということにもなるが、名なんぞどうでもよいから許可した。というか許可なんぞいらんとも思ったが、どうあれふたりはなんかものすごいよろこんでおったな。
うーむ。敬われるべきだと散々思ってはいても、このふたりはちょっと過剰なのではと思ってしまう。いや、これが正しい魔王への態度なのやもしれぬのだが、ベイズにしろフェイアにしろ、昔からそばにおるものたちがアレだから、あんまり慣れぬであろうと思えた。
あれ、余、ちょっと不憫なのでは……?
「……へえ。勇者。なるほど、勇者ねえ」
くつくつと嘲るように嗤うスヴェイは、実は役者なのではなかろうか。え、どうでもいい、と、本気でどうでもよさそうに言い放つ姿と比べて、おなじ存在だとはとても思えぬ。
「なにがおかしいの⁉」
「いいや? ああ、せっかくだから俺も名乗らせてもらおう。俺の名はスヴェイ。もと勇者で、いまは魔王様の側近だ」
——うおい、こら! ヴィアもラズアも! 過剰に反応しない!
せっかく能力を偽っておるのに、ぶわりと上がった怒気を込めた魔力に、余は慌てて思念を使ってふたりを宥めた。人間どもの失神者は……あんまり増えていないと信じたい。
——も、申しわけありません。
——ごめんなさいっ!
ふう、やれやれ。スヴェイのことは事前にはなしてあったし、その際ちょっといざこざがあったが、城を壊される前に三人を異空間に連れていったから、たぶんすこしは鬱憤も晴れただろうと思ったのにこれか。改めて身を以てスヴェイの実力を知っただろうに、こやつが余の側近であること、全然納得しておらぬな。
だがまあ、それでも認めざるを得まい。なにせ魔族は実力主義。まだまだ納得できぬというなら、己の実力を上げるほかあるまい。
ともかく。演技に戻れ戻れ。
慌てて魔力を抑えたふたりは、なに食わぬ顔で演技に戻る。……こやつらもこのへん、割と役者よな。
「もと勇者のスヴェイ……」
「もしかして、あなた、あの役立たずの勇者……⁉」
「役立たず、ね。あの国がなにをしたか公にされたって聞いたけど、俺はまだその扱いか。ははは」
「どういうこと……?」
「俺はおまえたち人間に、身勝手にからだをつくり変えられて、あげく、それでも魔王、様に敵わなかったから全責任を押しつけられて追放されたんだよ」
……スヴェイ、その方いま、余への様付けに一瞬間が空いたな。まあ、人間どもはそれどころじゃないだろうから気にする余裕なんぞなかっただろうが、余は気づいたぞ。
それにしても、事前に全部聞いておるというのに、この演技。ヴィアとラズアもなかなかどうして。……余はちょっと無理かも。
……もしや、それゆえに余の出番がこんなにもすくないのか?
「からだを……? ではあなたは彼の国のあのおぞましい……悪魔を取り込む実験の被害者ということですか?」
「そうだ。おかげで人間でありながら人間の枠からはみ出させられて……俺が人間を恨むのは道理だろう?」
「だから魔王…………っに、下ったっていうの⁉」
ラズアよ。いまの間はアウトだろう。様をつけたくなるのを必死に耐えたことはわかるが、さすがに不自然すぎる。ぎりりと奥歯を噛みしめて必死に耐える形相は、まあ、うん。場にそぐわなくもないか。
スヴェイの境遇への同情や人間の所業への動揺や嫌悪、それでも魔王に下るなんてといった種々の感情が入り混じった複雑な心境を表したもの…………に見えているといいなあ。
「そうだな。今後またバカな人間がバカなことを考えるようなら、この手で潰してやる気ではいるさ」
ここまでの茶番の本題はコレ。さすがに魔族としても胸糞悪くなるような所業をまた人間がせぬとは限らぬので、事前に牽制しておこうというのがフェイアの提案だったのだ。
余はまあどうでもいいかなーと思っておったが、当の被害者であるスヴェイも、自分が死ぬことのできる身となったいま、さらにいろいろどうでもよくなっている感あるからな。いやでも特段すぐに死にたそうにしていないだけよい傾向にはあると思うぞ。
それはともかくとして、ひとまずこれでここまでの目的は達したし、次へいこう。
「スヴェイ、いつまで無駄話を続けるつもりだ」
ふつうに喋っても威厳たっぷりの余ではあるが、殊更威厳増し増しでくちを挟む。必要なら追加の魔力を放ちつつ、という手も取れるが、これ以上失神者を増やして証言者が不在にでもなったら意味がない。
ここは声質をちょっと低めにするだけで済ませておく。
「申しわけありません。すぐに終えます」
「させないって言ってんでしょ!」
「ええ。あなた境遇には同情しますが、ここで虐殺などさせません」
まあガチでそんなことしたら、すぐさまセツヤが飛んでくる案件になるが。間違いなく、被害はここにいる人間どもだけでは済まなくなるだろう。
念のため、と、ひっそりフェイアがそのへんに隠れておるのも通常運転の一種だ。……ベイズは人間どもの様子を見る、という名目で、フェイアとは別の意味で余を見張っている。こちらも安定のいつもどおりだ。
ちなみに同情すると言ったヴィアも、もちろんラズアだってスヴェイの境遇に同情なんぞ一切しておらんかった。人間の所業には思いきり引いておったが。
「……そこまで言うなら、いまの勇者の実力、見せてもらおうか」
「言われるまでもないわ。吠え面かいたって知らないんだから!」
ラズアが地を蹴り、跳躍。もとが蛇だし、本来の姿であってもあんまり空を飛ぶことが得意ではない双子は、それゆえにどのみち跳躍のほうが得意らしい。
わかりやすかろうが、ラズアは前衛派、ヴィアは後衛派でうまくバランスをとっており、いまはヴィアがかけた身体強化の魔法のおかげで人間離れした跳躍を見せている……風を演じている。
ちなみにふたりのレベルはともに68。……おいベイズ、コレ絶対余のレベル低く見積もりすぎただろ。
内心でベイズに恨み節を送るが、それはともかく。本来の能力でさえスヴェイには劣ってしまう双子に、さらに枷をつけるとかなんの嫌がらせかと思えるが、もちろんこれは全部自作自演。自分たちの命がかかっていると信じておる眼下の人間どもにとってははらはらどきどきだろうが、所詮出来レース。
ヴィアの魔法の補助を受け、オレと揃いがいいとかなんとかで選んだらしい剣を、なかなかに鋭く繰り出すラズア。あやつも本来武器なんぞ使わぬから使いにくいだろうに、なかなかどうして様になって見えるぞ。
……ふむ。余もちょっと真面目に剣を振る練習でもしてみるかな。
対するスヴェイは防戦一方。繰り出される剣戟を魔法で編んだ障壁にて防いでおる。
何撃か繰り出しては重力に従い地に落ちながらも、すぐに跳び上がるラズアは、なんかちょっと蛙のように見えた。……おなじ爬虫類だし。
——魔王様、余計なことを言ってはいけませんよ。
うおっ。べ、ベイズ……。急に思念を送ってくるな。驚くだろう。
……というか、その方、本当に余のこころ読んでおるよな? な?
「お、おい、あれ……勇者が押してるんじゃないか?」
「あ、ああ。攻撃してるの、勇者ばっかりだし……」
「よ、よーし! ルナちゃんがんばれー!」
「頼むぞ、勇者ルナー!」
お。よしよし。起きておるものどもが勇者の応援をはじめたぞ。うむ。勇者の株上げの礎として効果が出てきておるようだ。
……ちょっとラズアの力が込もりすぎてきたのか、偽装以上の能力を出しはじめたのも気になるし、そろそろよいのではなかろうか。
「……やれやれ。調子に乗るなよ、人間が」
「…………きゃあっ!」
ぶわりと一度ちょっとだけ膨れたスヴェイの魔力。なるべくわかりやすいようにと悲鳴を上げつつ吹き飛ばされたふりをする段取りとなっていたはずのラズアの悲鳴が、すこしばかり遅れ気味だったのが気になる。
いや本当、双子のヤツ、スヴェイのことを蛇蝎のごとく嫌っておるからなー。ラズアに隠れておったけど、ヴィアの殺気もガチだったし。
うん、早々に切り上げぬとボロが出るな、これ。
蛇蝎のごとくって、ヴィアとラズアに使うのはちょっとアレじゃとか余所事を考えている場合ではない。
ちょっとだけ追加で放たれたスヴェイの魔力に当てられ、士気を上げていた人間どもも再び消沈する。上げたり下げたりを調整して、魔王への畏怖と勇者への希望を認識させるのがこの茶番の目的ゆえ、詮無いことなのだ。
「すこしは骨がありそうだが、それまでだな。さあ。滅べ」
「待て、スヴェイ」
「……はっ」
…………いやなんか従順なスヴェイって怖い。
と、それより、これで最後だから、きっちり締めねば。
余は恭しく頭を垂れたスヴェイを横目に、眼下に落ちたラズアと、そのそばに移動したヴィアを見下ろす。
……おいこら。だから、目を輝かせるな。ここまでのすべてを台無しにする気か、その方ら。
まあ周囲の人間どもにはそこまで気を回す余裕なんぞなかろうから大目にみるが。
「昨今の人間は腑抜けてばかりで惰弱化する一方かと思っておったが……多少は見所のあるものもおるようだな」
ええい、だからよろこぶな! これ、演技だとわかっておろうに。だいたい、そうでなくともそんな抑えに抑えた能力なんぞ褒められたところでうれしくもなんともないのが当然じゃないのか。
ヴィアもラズアも、余に褒められればなんでもよいのか、まったく。
「再び立ち上がった勇者に免じ、ここは退いてやる。だが、懲りずに人間同士で無様なせめぎ合いなんぞを繰り返したそのときは……今度こそ、余がこの手ですべて一掃してやろう。よくよく考えるのだな」
そう言い置いて、スヴェイを伴い一旦去る。と、ここまでで自作自演終了だ。
城へ転移し、余の執務室まで戻った。




