勇者業・1-10
ふむ。余の代名詞が「存外温和で温厚」というのは事実でしかないことなのだが、実はこの「存外」の部分がミソである。
「よし。ではそこのゴブリン。道案内だけせよ」
「ぎ? ぎぎ……。ワカッタ」
振り返りそう告げれば、ゴブリンは一度不思議そうに首を傾げた。まあ、当然よな。ここまでなんの迷いもなく歩き出していて、それがしっかりと目的地に向いておったのだから、わかっているのではとくらい考えよう。
しかしゴブリンはそれをわざわざ問うこともなく、すぐさま頷いて前に出た。
うむ、高評価だな。
そこからはゴブリンの案内で森の奥を目指す。コンパス差のせいで若干歩むペースが落ちたが、仕方あるまい。
目的地に近づけば近づくほど瘴気が濃くなっていくため、目の前のゴブリンから不安と恐怖の気配が伝わり出した。
「あ、あの……なんか、空気悪くないですか……?」
「え? そうか? よくわかんねーけど」
ふむ。ユフォルは治癒術師。属性的に真逆に位置する瘴気の気配に敏感なのか。
いや、ここまで来なければわからぬ時点で敏感というのは烏滸がましいのだが、それはともかく。ユフォルがそうくちにしたというのに、オーラムはさらりと返しておる。
察してはいたが、あやつ、やはり鈍いのだろうな……。
「私も……なんかちょっと息苦しい気がするんだけど」
ふむ。弓使いの人間も察したか。これは本格的にオーラムが鈍いで決定だな。
まあどうあれ、オレもベイズも特段こたえることもせず、歩みだけを続ける。余計なことを言えばまたうるさくされるだけだろうと学習したのだ。
そうしてそこからはさほど歩むこともなく、先導していたゴブリンの足がぴたりと止まる。
「ぎ、ココマデ。コノサキ、ムリ」
「え……ちょ、ちょっと、なにコレ」
「ウソだろ……森が……」
もう視認できる距離まで迫った、瘴気。あまりの濃さに、森が闇に飲み込まれているようにしか見えないその様子を目に、人間たちが愕然とつぶやく。
「これ……こんなに濃い瘴気、いったいどうして……」
この瘴気が一番堪えるだろうユフォルが惑いを乗せつぶやくが、まあこたえてやりはしない。面倒だからな。
「よし。では貴様らはここで待て。オレとベイズで行ってくる」
「え、行ってくるって……まさかこの先にですか? だ、駄目ですよ! 危険すぎます!」
ふむ、さすがに今回はこの異常さを一番理解しておるだろうユフォルが声を上げるか。まあだれが上げたところで煩わしい以外のなにものでもないのだが。
「オレたちが戻ってこなかったり、ここにいるのは危険だと感じたときには撤退するがよい。そうさな、そこなゴブリンがそのあたりの状況判断に一番長けよう。判断は任せる」
「ぐ、ワカッタ」
「て、マジで行くのかよ、ルウさん!」
「当然だ。そのためにここまで来たというのに、今更なにを言う」
オーラムにはそれだけ返して、さっさと歩き出す。危険だ危険だと引き止めようとする声が上がるが、聞いてはいられない。説き伏せるだけの時間など無駄でしかないと、もはや学習しておる。
それにこの瘴気を前にすればこれ以上はついてもこられまい。あの人間ども程度では、すぐさま精神汚染され、発狂、もしくは精神崩壊を起こすだろうからな。
瘴気は当てられると肉体よりも内部に異常をきたす。まあ、耐性があり、ある程度耐えられてしまうと肉体にも影響が出るが、それとて心因性によるものだ。
ちなみに魔族とは性質上相性がいいので、わざわざこれが吹き溜まるところを棲み処とするものもおれば、これから生まれるものとている。あのゴブリンどものように、あまりに濃いものはさすがに毒となるものも多いのだが。
オレやベイズにはどうということもないため、さくさく進む。オレはともかく、ベイズにはあまりに濃すぎる瘴気であれば毒となるだろうが、これはそこまでではない。太陽の光も届かぬ暗闇の中、迷うことなく中心となる場所を目指した。
中心部に近づけは近づくほどに濃くなる瘴気。闇。いつからこうなったかは定かではないが、このあたりの草木はもう枯れ尽きてしまっているだろう。ゴブリンや人間どもを置いてきた場所から見える範囲の木でさえも、生気をほぼほぼ奪われておったしな。
さすがのオレでも、そうした自然物の復元はできぬ。自身の身体ならともかく、治癒や治療はほとんどの魔族にとって専門外だ。
ちなみに。魔族の言う最近やこの間という表現は、あまりあてにならない。オレも例外ではないが、寿命が長い魔族にとって、時間の感覚というのはほぼほぼ曖昧だからな。この間、が、うすら数十年前を示すということもざらにある。
とまあ、それはよい。そろそろ中心部に着いたようだ。
深い深い暗闇が広がろうと、オレの視界を遮ることはない。夜目が利く、というわけではなく、魔力による探知の一種だ。周囲の状況、状態を魔力により察知し、視覚や聴覚などの感覚として認識できるように転換しているのだ。
さて。では肝心の中心部だが。
「あれは……魔族の子か」
「そのようですね」
この瘴気の中心部。そこには蹲るひとりのこどもがいた。
もやもやと瘴気を溢れ出させるその様から、あれが瘴気の発生源とみて間違いなかろう。ゴブリンが言っておったヘンナノとやらの正体だ。
ちいさき姿から子と判断し、さらに力なく地面に広がる両翼が確認できることから魔族と判断した。ふむ。魔力の形成も加味すると、ハーピーのようだな。
かなり衰弱しておるようだが、死んではおるまい。魔力もそうだが、生命力も辛うじて感じ取れる。
とりあえず近づこうとしたところ、ハーピーの子がぴくりと反応を示す。そうして緩々と緩慢な動作で顔を上げた。
む。瘴気が肉体も侵しはじめておるな。闇が肌を這っている。
虚ろなまなざしは、そのくせ妙な狂気を宿してこちらへ向けられた。こちらを向いていてもまったく焦点はあっておらぬが、敵意だけははっきりと剥き出しにしている。
「が、ああ、あっ……」
瘴気に侵され、思考などもはや働いておらぬようだ。周囲すべてを敵とみなし、本能のままに牙を剥く。息も絶え絶えだというのによろよろと起き上がったそやつは、指先が鳥類のそれとなっている右腕を震えながら大きく掲げた。
常ならば殺傷能力にも長けるだろう鉤爪も、あれでは決して当たるまい。
というよりも。
「せっかく残っておる生命力を無駄に消費するな」
こちらからさっさと近づき、軽く当て身を放つ。意識も曖昧で肉体的にも精神的にもとうに限界を迎えているだろうハーピーの子だ。これ以上ないほどに加減せねばオレが引導を渡してしまう。細心の注意を払い、なんとか意識だけを奪い、倒れこんでくるその身を支えながら静かに声をかけた。
「助けてやる。だからしばし眠っていろ」
聞こえたかどうかまではわからぬが、くたりと身を預けてきたハーピーの子を、そのまま地面へとゆっくり横たわらせる。
「この瘴気、そのこどもが受けた呪詛が元凶のようですね」
傍らまでやってきたベイズにひとつうなずき同意を示す。
どういうわけか、このこども、そこそこ強い呪詛を受けているようだ。個人的に恨みを買ってのものか、無差別に対象とされたか、そこまではわからぬがよりにもよって呪詛とはな。
「このこどもを殺すつもりだったのなら、別の状態異常にかけたらよかっただろうに」
「ええ。もっとも、呪詛しか扱えないか、呪詛であることに意味があってのことかもしれませんが」
「呪詛であることの意味、か。じわじわと苦しませるという点ではおそらく毒でも大差ないだろうな」
想像でしかないが。なにしろ、オレに状態異常は効果をなさぬ。せっかくだし、毒にしろ呪詛にしろ体験してみたいものなのだが、魔王であることのなんと不便なことか。
ちょっとだけ、目の前のハーピーの子が羨ましく思えてきた。
内心でひとつ溜息を吐き、きちんと本題に戻る。
「ほかに意味があるとすれば……」
ちらりと周囲に目を配らせた。
「瘴気か」
「そうですね。呪詛は瘴気を発生させることも可能です。しかし、わざわざ瘴気など発生させたとして、なにがしたいのかとなると……」
「うむ。ことこの森に関していえば、現状迷惑を被っておるのはこのあたりを根城にしておる魔族どもと、動物の類、あとは森で魔力供給を受けられなくなったことで魔族が襲いはじめた人間どもか。……ああ、もちろんこのこどもも被害者だろうが」
「ええ。ですがそれはわざわざ瘴気を発生させてまですることかと言われれば、理由として薄い気がします」
「そうさな。堕ちる神でもいればはなしは変わるやもしれぬが、この森にそういった存在もいなさそうだし……」
この世界には大別して二種類の種族がおるが、神とはそのどちらにも寄らぬ存在である。
神なる存在は、その存在自体は魔族と真逆に位置するものだ。多くが人間の信仰などという曖昧な心理的、精神的要素で存在を確立する、実に不安定なものなのだが、それでも存在自体は確実にしている。ただ、やはり曖昧なものに頼るヤツらは、不安定であるがゆえに、信仰が途切れれば自己を確立する術さえ失うのだ。それが、神という存在がこの世界の二種族のどちらにも分類されぬ最たる理由でもある。
存在はしている、が、していないと同義とも言えるほど脆い存在だという表れだ。
とにかく、そんな神が自己を確立できなくなった際、残される道はふたつあった。ひとつはそのままただひっそりと消えゆく道。そしてもうひとつは、散々自分たちの恩恵を享受しておきながら信仰を捨てた人間を恨み、憎み、それを糧に新たに自分で自分を確立させるという道である。
前者はなんら問題も生じぬが、後者となればはなしが変わる。恨みや憎しみなどといった負の感情は神ではなく、魔族の領分。そんなもので自己を満たし、形作れば、それはもはや神などではない。魔族だ。
堕ちた神、邪神である。
邪神は概ね人間に愛想を尽かした神が自らの意志でなるものだが、例外もあった。
それが、瘴気だ。瘴気は精神を蝕む。それがたとえ神相手であろうと、神を形作る信仰を瘴気による汚染が勝れば、負の感情に支配され、神は堕ちる。そうした場合でも誕生するのが邪神だった。
と、そうつらつらと考えたところで、そもそもこの森には肝心要となる神はいない。端から神を堕とすため、などという可能性はないということ。だいたい、神を堕としたところでどうしようというのかも解せぬ。魔族の一種である悪魔族ならば負の感情を好む傾向にあるため、邪神に対する印象も好意的だと聞くが。
「まあ、結論が出ぬことをあまり考えても詮無いな。いまはともかくこの瘴気を晴らすとするか」
「そうですね。どうあれ、呪詛という手段は悪手と言わざるを得ません」
「うむ。それも加味し、別の状態異常にしておけばよかったものを、と思うのだ」
呪詛は相手をよく見てかけねばならぬ状態異常系の魔法。ほかの状態異常系の魔法であっても、その場であれば反射できる魔法もあるが、呪詛はそれ以外にかけられたあとでも返すことができるという特性を持つ。
だれかを呪えば穴ふたつ、とはよく言ったものよ。放たれた呪詛よりも高等な魔法が扱えれば、その呪詛を返すことなど容易い。
つまり、オレにかかればこんなもの、指先ひとつでさっさと返してしまえるのだ。
「せっかくだ。この森に広がったぶんまで纏めて返してやろう」
「かけた相手は調べなくとも?」
「構わぬ。捨ておけ」
「はい」
わざわざこの呪詛をかけた相手を調べることになんの意味があるというのか。どうでもいいとベイズに返し、オレはすぐさま呪詛の魔法を放つ。
呪詛返し用の魔法もあるにはあるが、それはどちらかというと守備的な魔法。オレとしてはかけられた呪詛以上の呪詛でもって、相殺以上の効果を出すほうが性に合っていた。
いわゆる、力技というヤツである。
それをもって、オレは足元のハーピーの子にかけられた大元の呪詛のほか、この森に広がった呪詛のすべてを思いきり押し返した。
瞬時に、あたりを深く覆っていた闇がきれいさっぱり消え失せる。枯れてしまった草木などはどうしようもないにせよ、とりあえず空気はもとに戻ったし、しばらくすれば残った森から徐々に魔力も流れ出し、再びこの場にも戻ってこよう。
「お見事です」
「うむ。……しかしすこしだけ力加減を誤った気もしないでもないな。一族郎党巻き込んで根絶やしくらいで済んだだろうか」
「どうでしょう。しかしもとは自業自得です。この件に関してはルウ様に非はないかと」
「ふむ。ベイズがそう言うならよいか」
ただでさえもとの呪詛以上の力で押し返した上、この森に広がっていた瘴気のぶんまで加算された呪詛となって返っていったのだ。当然、当人はおそろしいまでの呪いを一身に受け、それはもう苦しみのたうち回った末絶命するだろうが、それだけではこの呪いを贖うには足らぬ。その者にどれほどの身内がおるかはわからぬが、近しいものから順に、贖うに必要ぶんだけの命が求められることは必定。
いやはや、だれかを呪えば、と学ぶ暇さえなさそうよな。
「さて。では戻るか」
そう告げて、ハーピーの子を抱え上げる。
「ルウ様、私が」
「構わぬ」
翼があるゆえ抱えにくいという点はあるが、いわゆる抱っこの体勢で翼にだけ気をつければ問題はない。呪詛は完全に取り払ったが、衰弱した精神と肉体はオレではどうしようもないことだ。
あれだけの瘴気に覆われていたのだ、魔力の供給などできようはずもないからな。かなり栄養失調が進んでおろう。手っ取り早く食べものでもくちにして繋ぎの魔力にすればよいが、それも目を覚ましたらのはなし。どうなるかはこのこども次第にほかならぬ。
浅い呼吸を繰り返しているが、すぐすぐ死ぬほどではなくなっておるだろう。
そう判断しながら、とりあえずまずはゴブリンや人間どものもとへと向かった。
ほら、余、やっぱり魔王だしな。ちょっと破壊的衝動とか……おっとベイズの気配がするゆえ、この先はお察しというヤツにしよう。




