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第九話 夜会

 茶会の翌日、マクシミリアン伯爵家に届いたのは夜会の招待状だった。

「夜会の招待状か。都合が良いな」

 私の部屋でそれを見たチャールズが口角を上げる。

「そうなの?」

「そうだ。貴様とあの小娘の評判は、今や反転しつつある。

 だが邪魔なのは、マゼイラ公爵だ。

 その後ろ盾がある限り、あの小娘は落とせん。

 マゼイラ公爵一派を潰すのに、夜会ほどうってつけな場所はない」

 チャールズは椅子に腰掛けた体勢で足を組み、悠然と笑む。

「王宮での、王家主催の夜会とあらば、多くの貴族が参加する。

 マゼイラ公爵一派の貴族たちもだ。

 そこで、一斉に一派の者どもを裏切らせる」

「出来るかな」

「出来るではない。

 奴らは喜んで裏切るのだ。この脅迫王がいるからにはな」

 愉悦を浮かべて告げたチャールズに、私は強く拳を握って頷いた。

「……うん!」




 そして夜会の日、私はまだ体調を崩している姉の部屋に足を運んだ。

「お姉様、体調はどう?」

「だいぶいいわ……。

 それより、ダリア。あなた夜会に行くって、大丈夫なの?」

 ベッドに横たわったまま、怠そうに答えた姉に私は微笑む。

「大丈夫よ。チャールズも一緒だし」

「チャールズ……。不思議な人ね。あんなに気弱だったあなたが、彼と会ってからどんどん強くなって」

 そう呟いて、姉は私の手を握る。

「ダリア。チャールズにお願いしてね。

 ミディアが言っていたって。

 絶対あなたを守ってって」

「うん。大丈夫よ。お姉様。

 ……ありがとう」

 ぎゅうっと姉の手を握り返し、涙を堪えて答えると、そっと手を離して部屋の外に出る。

 パタンと扉が閉まる音が響いた。

 廊下で待っていたチャールズがこちらを見る。

「お待たせ」

「ああ、準備を始めるぞ」

 チャールズに促されるまま、自室に戻る。

 用意したのは薄紫色の肩の出たドレス。

 こんな華やかなドレス、今までなら絶対着なかったけど、チャールズが見繕ってくれたから多分、大丈夫。

「本当に、眼鏡なしで行くの?」

 ドレスに着替えながら、カーテンの向こうのチャールズに尋ねる。

「ああ、眼鏡が悪いとは言わんがな。私も掛けているし。

 ただ女性の場合、眼鏡はその外見を曇らせる場合がある」

「転ばないかな」

「そのために私がいる。

 私がリードしてやるから、安心しろ」

「うん」

 ドレスに着替えて、鏡の前の椅子に腰掛ける。

 チャールズが私の顔に化粧を施していった。

「ほら、顎を上げろ」

 病的に白い手が、顎に添えられ軽く持ち上げられる。

 そのまま紅を引かれた。

 すごい、心臓が暴れてる。身体が沸騰しそうなほど熱い。

 私を見つめる金の目が、顎に添えられた手の低い体温が、その指先の感触が、私に目をそらすことを許さない。

「出来た。鏡で見てみろ」

 言われて、鏡を見て小さく息を吐いた。

 驚くほど変わっている。少なくとも、この姿を見て冴えないあのダリアだとは誰も思わないだろう。

 すごく、ドキドキした。キスなんて誰かとしたことないけど、きっとキスをするより、ドキドキした。

「さあ、行くぞ」

「うん」

 そっとチャールズの手を取って、私は立ち上がった。




 王宮のパーティ会場には、煌びやかな衣装の男女が集まっている。

 その紳士淑女たちが不意に会場の入り口に視線を向けた。

 そこに、二人の男女が歩いてくる。

「まあ、あの華やかなカップルはどなた?」

「え? 知らないわ。誰?」

「あの赤髪、もしかしてマクシミリアン伯爵家のダリア様?」

「え? 嘘? あの艶やかな姫君があのダリア様?」

「別人のようだわ。背筋も伸ばして、凜とした振る舞いで」

「エスコートをしている紳士も素敵。なんて美しいの」

「ええ。まるで人ではないかのような美貌ね」

「全身真っ白で、まるで天の御使いのよう」

 紳士淑女たちの囁きが自分たちに向けられていると思うと、顔が熱くなってしまう。

 そんなこと意に介していない様子で、チャールズは私の手を引いた。

「さて、観衆の視線を集めたところで、一曲お相手願おうか」

「う、うん」

 会場の中央で足を止め、向かい合う。

 心臓が早鐘のように鳴っている。

「ただうまく踊れるかな」

「ダンスのレッスンはしてなかったのか? 元王太子妃候補だろう?」

「レッスンはしてたけど、クリス殿下と踊ったことはなくて。

 本番の経験が……」

「そうか」

 それを聞いたチャールズがふっと笑う。

「安心しろ。私がうまくリードしてやる」

 言うなり腰を抱かれる。曲が始まった。

 曲に合わせて、チャールズのリードに合わせて踊る。

 手を引かれるままターンした。

「そうだ、胸を張れ。視線を前に向けろ。

 そのまま、私だけを見ていろ」

 こうして見ると、実感する。

 なんて、夢のように美しい男の人だろう。

 なのに、人の弱みを握って破滅させる、悪の脅迫王。

「チャールズってまるで、アダムとイヴを唆した楽園の蛇みたい」

「ほう、私がそう見えるか?」

「うん……。楽園の蛇はきっと、蛇らしい姿なんかしていなくて、チャールズみたいに美しい姿をしていたの。

 だから、アダムとイヴは騙されたのよ」

「なら、」

 ぐい、と抱き寄せられ、その美しい顔が間近に迫る。

「次に唆されるのは貴様か?」

「しないよ」

 その整った顔に心拍数は速くなるけど、私は冷静にそう答えた。

 頬は熱くなるけど、不思議と胸は締め付けられるけど。

「チャールズはしない。

 だって、チャールズは楽園の果実の味を永遠に知ることがないでしょう?」

 愛を理解出来ないから、チャールズは楽園の果実(愛)の味を知ることはない。

「ふ、いい回答だ」

 満足げに笑ったチャールズに手を引かれ、またターン。

 そこで曲が終わった。

 私とチャールズは手を繋いで、一礼する。

 そこで一斉に大きな拍手が鳴り響いた。

「なんて艶やかなダンス」

「間違いなく今夜一番のカップルだったわ」

「本当に、あれほど美しいご令嬢が男爵令嬢ごときに嫉妬して加害なんかするかしら」

「ねえ? それにその男爵令嬢、ダリア様に毒を盛ろうとしたって」

「まあ、やっぱりその話は本当なの?」

「階段から突き落としたって話も嘘だったそうよ」

「まさか、王太子の婚約者であるダリア様に嫉妬して嘘の悪評を」

「恐ろしい」

 すっかり噂は逆転している。

 これで充分なように思えるけど、まだだ。まだマゼイラ公爵一派の牙城は崩せない。

「崩す必要があるのは、誰と誰だ?」

 会場の中心から離れながら、チャールズが小声で聞いて来る。

「あっち、ミルギア伯爵夫人と、オブライエン侯爵。それから、子爵家ながら太い商家のパイプを持つリードー子爵」

「わかった。弱みは今見えたぞ。

 早速準備に取りかかろう」

 チャールズは自信の眼鏡を押しあげて、不敵に微笑んだ。




 その頃、夜会の会場を不満げに歩いている夫人がいた。

 ミルギア伯爵夫人だ。

「全く、随分と評判が覆ってしまったこと」

 大躍進したダリア・マクシミリアン伯爵令嬢の評判に不満げに呟いていると、不意に一人の使用人が近づいてきた。

「ミルギア伯爵夫人、こちらを」

「なあにこれは?」

「オブライエン侯爵からです」

 差し出されたのは一枚のカードだ。

 使用人が立ち去ってから、ミルギア伯爵夫人は口角を上げた。

「ああ、あの遊びね。いいわ、今夜は気分が鬱屈していたの。

 付き合いましょう」

 そう呟いて、パーティ会場の外に出る。

 廊下を歩いて、指定された別室に足を踏み入れた。

 部屋には独特の匂いの香が炊かれていて、奥のベッドにはカーテンが引かれている。

「オブライエン侯爵。王宮で行おうだなんて随分大胆ですこと。

 リードー子爵もいらっしゃるかしら?」

 ミルギア伯爵夫人は室内を歩いて、ベッドのそばに置かれた煙管を手に取る。

 口を付けて一息で吸い込んだ。

「ああ、これこれ。この香りよ。美味しいこと」

 それは違法薬物だ。ミルギア伯爵夫人は満足そうに微笑んで、ベッドのほうに声をかける。

「オブライエン侯爵。リードー子爵。いらっしゃるんでしょう?

 あら、これはなに? 鞭?」

 不意にベッドサイドのチェストの上に置かれた鞭に気づいて手に取る。

 その矢先だ。

「失礼します。お飲み物をお持ちしました」

 男の声がして、扉が開く。瞬間にベッドのカーテンが落ち、ベッドの上で行われている痴態があらわになった。

 そこにいたのは全裸のオブライエン侯爵とリードー子爵で、正気を失って組んずほぐれつしている。

「おや、随分な光景だ。これは夫人、あなたとオブライエン侯爵、リードー子爵の合意の上でお楽しみで?」

「ち、違うわ! これは、わたしは知らないことで……!」

 指摘してきた白い装束の男性に、ミルギア伯爵夫人は慌てる。

 手に持っている鞭が、なにを言っても白々しく思わせる。

「しかし、この香り。これは違法薬物では?

 まさかあなたがたはそれを普段から楽しまれて?」

「う……っ」

「この薬物は、十年前に法律で禁止されたもの。破ったものには厳罰が科される。

 爵位の剥奪と財産の没収。ああ、見せしめとしての処刑もあり得ますね」

「い、言わないで。お願い。なんでもするから」

 真っ青になったミルギア伯爵夫人は、その男性に懇願する。

「なんでもする? 本当ですか?」

「ほ、本当よ。なんでもするわ。なんでもするから」

 その言葉に、その男は口角を上げた。

 それはさながら、楽園でアダムとイヴを唆した蛇のように。

「脅迫に不慣れな方々、なんでもというのはね、全部なのですよ」

 唇に立てた人差し指を押し当てて、男は笑んだ。

「オブライエン侯爵とリードー子爵からも同じ言質をいただきました。

 では、私に従っていただきましょう」




 三人から絶対服従の言質を得た後、チャールズがパーティ会場のバルコニーに戻るとげっそりとして手すりに顔を埋めている私を見て目を瞠った。

「なんだ、げっそりして」

「いや、すごいもの見せられたから……」

 実はあの現場に私もいたのだ。ただ、あまりに凄い光景に口を挟めなかったし、夫人も気づかなかったけど。

「言っておくけど私、男性経験もまだの処女なんだからね!?

 刺激が強すぎるのよ!」

「前世込みでか?」

「そうよ!

 はっ、まさかチャールズ、あなたは経験豊富だから」

 不意に息を呑んだ私を見て、チャールズは鼻を鳴らす。

「まさか、愛を理解出来ないのに、わざわざ私の弱みになる行為などすると思うかね?」

「そ、そう、経験豊富じゃなかったのね」

 つい安堵してから、なんで安堵するんだろうと思う。

「というか、チャールズの力ってどこまでのことが出来るの?

 嘘と弱みを見破って? 人を操って?」

「人聞きの悪い。人を操ることなど出来ん」

「じゃあリゼットのことや今回のことは」

「私に出来るのは一時的に意識を失わせることと場所を転移することくらいだ」

 涼しい顔で答えたチャールズに、私は記憶をたぐって引いた。

「……………待って。じゃあ、リゼットを裸にしたこととか今回のオブライエン侯爵とリードー子爵を裸で組んずほぐれつさせたのは」

「今回に関しては、薬で酩酊させるまでしかしていない。

 あとは勝手にああなっただけだ。

 そもそも、あいつらは嗜虐趣味と被虐趣味の持ち主のようだったからな。

 薬で酩酊すれば自然とああなる」

「……そう」

 しれっと答えたチャールズに、私はドン引き顔でどうにか相づちを打った。

「それで、マゼイラ公爵一派の最後の牙城は、あれか」

 チャールズはそんな私の様子を気にせず、バルコニーのカーテンを手で避けて会場を見る。

 会場の中央付近で貴婦人たちに囲まれている四十代ほどの男性を指した。

「そう、あの方。

 ハミルトン侯爵。この国の宰相よ」


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