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第七話 サフィール殿下の事情

 前回の続き。無銭飲食で捕まっている兄ちゃんがサフィール殿下でした。

「なぜサフィール殿下が街に?」

「あ、ちょっと見聞を深めに」

「それで無銭飲食で捕まっていては意味があるまい」

 チャールズは呆れ顔だ。

「はは、仰る通りで」

「店主、これで大目に見てくれ」

 チャールズはそう言って銅貨を店主に何枚か渡すと、店主はサフィール殿下から手を離した。

「はいよ。命拾いしたな。兄ちゃん」

「はい、すみません」

 そう言って店内に戻った店主を見送り、私はサフィール殿下のそばに駆け寄る。

「びっくりしました。なにしていたんですか殿下」

「言った通りだよ。見聞を深めたい。

 話したよね。僕の野心」

「あ、はい」

 王太子になりたいというサフィール殿下の野心。

 なのだが、今の行動とはなんだか、アンバランスだ。

「そのために、市井の様子を知る必要があったんだ」

「その割に、金を払うという当たり前の行為すら知らなかったようだが」

「しーっ、チャールズ! 殿下に失礼だよ!」

 それをはっきり言ってしまったのはチャールズだった。

 慌てて制止した私にサフィール殿下が苦笑する。

「失礼。少々無礼を働きました」

「いやいいよ。気にしないで」

 慇懃無礼な態度のまま謝罪したチャールズに、サフィール殿下は人の良い笑顔を返す。

「それより、偶然会えたから付き合って欲しいんだ」

「どこにですか?」

「紅茶館」

「え、さっき行ってきたばかりですよ」

「美味しいミルクティーが飲みたいんだ」

 その言葉に私は少し考え、隣に立つチャールズに小声で尋ねた。

「じゃあ、戻る? チャールズ」

「仕方ないな」

「ごめんね」

 チャールズもこの国の権力者に逆らうのは面倒らしい。

 渋々頷いた彼を伴って、紅茶館に戻った。

 さっきと同じ窓辺の席で、サフィール殿下はミルクティーを口に運ぶ。

「うん、やっぱり美味しい。

 ダリア嬢はアールグレイが好きなの?」

「はい」

 私の前に置かれたのはやはりアールグレイの入ったカップだ。

「あ、あと嬢をつけなくていいですよ。

 私のことはダリアで」

「そう、じゃあ、ダリア」

「はい」

 サフィール殿下は屈託ない、気さくな方だ。

 その人柄に安心してにこっと笑う。

「あと、お茶菓子も頼みましょう」

 そう言って私が注文したのはフロランタンだ。

「こちらはいかがかな?」

「あ、シフォンケーキ」

 サフィール殿下はシフォンケーキを頼んで、私に差し出してくる。

「お好きでしょう?

 王宮に王太子妃教育でいらしたとき、よく食べていらっしゃったから」

「覚えていてくださったんですね」

「うん」

 その言葉に嬉しくなってしまう。

 クリス殿下は気にも留めなかっただろうことを、覚えていてくれたことが嬉しい。

「あと、あなたは字が美しいね。

 母上も褒めていらしたよ」

「それは、カリグラフィーを習ったから」

「あなたの感情が表れた、美しい筆致だと思う」

「嬉しいです」

 王宮での、私の行動なんてなにひとつ意味のないものだとばかり思っていた。

 そう言ってくれる人がいたなんて。

 感情のままにはにかんだ私を、サフィール殿下は優しいまなざしで見つめてくれる。

「ダリア」

「なんでしょう?」

「君に少し触れてもいい?」

「へ?」

 急にそんなことを言われて、私は間の抜けた声を漏らしてしまう。

「ふ、触れるって、なんで」

「少し、気になって」

 気になってって、なにがだろう。

「ど、どうぞ」

 そう言いながらも少し、あの日の恐怖が蘇ってぎゅっと目を瞑る。

 それを見て、サフィール殿下は小さく「駄目だな」と呟いた。

「そんなに身を硬くしたレディには、触れられないよ」

「あ、ご、ごめんなさい」

「いいんだ。謝らなくていい」

 サフィール殿下は優しく言って、気にしないようにと微笑んでくれる。

「君の感情を抑え込んでまで、僕の願いに沿う必要はないんだ」

「サフィール殿下……」

「それよりほら、シフォンケーキを食べなさい。

 甘いものを食べたら、心もほぐれる」

「そうですね」

 勧められるまま、シフォンケーキをフォークで切り分けて口に運ぶ。

 柔らかな甘さが口内に広がった。

「うん、美味しい」

「この前、料理長がレモンタルトを作ってくれたんだ。

 すごく美味しかった。

 そのときに、君にも食べさせたいと思ったよ。

 君はレモンティーも好きだったから」

「あ、ありがとうございます」

「次に王宮に来た時には、是非ご馳走させて」

 そう言われて、一瞬脳裏にクリス殿下のことが浮かぶ。

「は、はい」

「王宮に来るの、嫌?」

「い、いえ、あの」

 ついぎこちない返事になってしまって、サフィール殿下は苦笑した。

「王宮に行く時って行ったら、その」

「ああ、イリーダ嬢と兄上の問題か」

「はい……」

「大丈夫だよ」

 どうしても怖くなる。あの日のようなことがまた起きないか。

 会いたくない。イリーダのために、私にあんなことをする人に。

 そう心が萎縮する私に、サフィール殿下は優しく微笑んだ。

「少なくとも、僕が君に手出しをさせない。

 兄上だろうと、君に危害を加えることは許さないよ」

「サフィール殿下……」

 短く切り揃えられた銀髪。琥珀色の瞳の涼やかな美貌の十七歳の王子。

 十八歳のクリス殿下とは年子だわ。

 この方くらい誠実なお心が、クリス殿下にもあれば。

「はい、ありがとうございます」




 お土産の紅茶を選んでいるダリアを紅茶館の出口付近で眺めながら、ミルヴァートンはサフィールと話していた。

「それで、一体なんのおつもりで?」

「一体なんの、とは?」

「不可解でしてね。

 私はこう見えて、人の嘘に聡いのですよ。

 今日のあなたは嘘だらけだ」

 ミルヴァートンはそう言って、横目でサフィールを見据える。

「第二王子、第三王子は優秀で聡明な殿下と名高い。

 そんな聡明な殿下が市井の店で金を払うことを知らないとは思えない。

 もしや、あなたは特異魔導具の使い手か?」

 特異魔導具。それは古代に滅びたとされる魔法を現代に蘇らせる、魔法の籠もった宝具。

 王宮や公爵家にしか残されていないとされる魔導具を、サフィールが使えるならば。

「あなたは、ダリアがいることを知っていて、わざと人目を惹く真似をしたか?」

 あのとき、ダリアがあそこを通ることを見計らって、無銭飲食騒ぎを起こしたならば。

「鋭いなあ。君、探偵にもなれるよ」

「それはどうも。侮辱か?」

 ふん、と鼻を鳴らしたミルヴァートンにサフィールは目を丸くする。

「私は人の墓を荒らすかのような、知的強姦者である探偵が好きではない。

 自分たちが正義だと声高々に振る舞って、そのために犯人のなにもかもを暴いて良心の呵責も覚えないあの輩が疎ましくてね」

「ふうん、まるで事件の犯人みたいなことを言うんだね」

「どうだろうな。ある意味そうとも言えるが」

 チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン。

 それは間違いなく、名探偵の敵だったのだから。

「それなら尚更、僕は君をダリアのそばに置いておけないんだけどなあ。

 君は何者?

 執事と言いながらダリアに気安い口を利く、君は一体なに?」

「さあ」

 ミルヴァートンは声を潜めて、立てた人差し指を自分の唇に押し当てる。

「それは、私とダリアだけの秘密だ」

「悔しいなあ。今の僕ではその謎を解く術がない」

「こちらからも質問を。

 兄上がダリアを襲わせたことをご存じか?」

「……うん」

 ミルヴァートンの問いかけに、サフィールはわずかに迷って認めた。

「だから、心配になって様子を見たかった。

 兄上にも問い詰めたよ。でも悪びれもしなかった。

 ダリアが傷物になれば、堂々と不義密通の罪で処刑が出来るだって?

 ふざけるんじゃない。

 あんな男、もう僕の兄上じゃない」

「なるほどな」

 怒りをあらわに答えたサフィールに、ミルヴァートンは納得したように呟く。

「君は、この話を聞いて怒らないの?」

「怒るもなにもないな。

 私とダリアを結ぶのは一本の細い糸。愛だの恋だの絆だのという柔いものではない」

 そう、あのとき空から降ってきた光る一本の糸。それが全て。

「私は、ダリアが傷つこうが、」

 あのとき抱きしめた感触が腕を引く。

「──なんとも思わない」

 後ろ髪を引く、笑顔を、言葉を、振り払って。

「やっぱり、君にもダリアを預けておけない。

 君も、兄上も最低だ」

「ふん、当然。それでこそ、私だ」

 どうにも、あのお人好しに感化されて鈍っていたらしい。

 私は悪逆非道の悪役。脅迫王ミルヴァートン。

 そう、創造主(アーサー)が定めた。

 ダリアの願いを叶えたら、また私は地獄に戻る。

 それが、私の運命だ。


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