第六話 脅迫王は愛を知らない
「チャールズ! 買い物に行こう!」
あの事件から三日、突然チャールズに宛がわれた部屋に顔を出して明るく誘った私に、チャールズは目を丸くする。
「どうした。吹っ切れたように明るく振る舞っているが」
「だからだよ。吹っ切るために、買い物に行くの」
あの事件はショックだったけど、いつまでもそれで落ち込んでいられない。
「……そうか。
やれやれ、それに付き合うのも執事の役目か」
ふう、とため息を吐いたチャールズに私はにっと笑って、
「そういうことです」
と胸を張った。
馬車に乗って賑やかな街の中を行く。
昼頃に立ち寄ったのは紅茶館だ。
様々な紅茶や、それに合う菓子を取りそろえた店だ。
馬車から降りて店内に入ると、チャールズが「ここは?」と聞いてきた。
「いろいろな紅茶が売ってるの」
「そうか」
「チャールズは紅茶好き?」
「好きでも嫌いでもない」
チャールズらしい返答につい笑ってしまう。
確かにホームズシリーズのチャールズが紅茶好きだなんて設定はない。
「なにそれ」
ふはっと吹きだした私だが、そばを通り過ぎた男性にびく、と身体が跳ねてしまう。
そのままチャールズの背後に隠れた私に、チャールズが不審そうな顔をした。
「あ、あの、あのときのことがあってね、ちょっとだけ。
……男の人が、怖い」
「私はいいのか?」
怪訝そうな顔で聞いてきたチャールズに、私は首をかしげた。
「? うん。怖くないよ」
なんでそんなこと聞くんだろうと、不思議そうに私は答える。
「チャールズは怖くないの」
「ふん、甘ったれめ」
その背の高い身体に身を隠しながら、いつものように悪態を吐くチャールズに安堵する。
「チャールズ、紅茶飲んで行く?」
「私のそばに隠れながらなにを言っている」
そう零して、チャールズははあ、とため息を吐いた。
「好きにしろ」
「へへ」
仕方ない、と譲歩する言い方に可笑しくなって、私は小さく笑った。
窓辺の席に座って、チャールズはダージリン。私はアールグレイを頼む。
「美味しい?」
「普通だ」
そう答えながら、この場の誰よりチャールズのマナーは美しい。
カップの持ち方、傾け方、それらの所作が洗練されきっていて綺麗だ。
あれは名家のご嫡男に違いない、と店内の客たちが囁いている。
「チャールズ、素直じゃない」
「本心を言ったまでだ」
そのチャールズは紅茶を飲んで、カップをソーサーの上に置く。
「……本当に怖くないのか?」
「ん?」
やや怪訝そうな顔で聞いてきたチャールズに、私は目を丸くする。
「私は悪人だぞ」
ああ、そのことか。
「んー、そうなんだけど、でもチャールズはチャールズだから」
「どういう意味だ」
ますます訝しむチャールズに、私は微笑んで答えた。
「最初に私を助けてくれた、恩人」
自分にとってのチャールズは、そういう存在なのだと胸を張って言える。
「あのとき、最初に私に手を差し伸べてくれた人。
私にとっては、チャールズが蜘蛛の糸だったの。
だから、それを怖いなんて思うはずないでしょう?」
チャールズはその返答に、どんな表情をするべきか、という間を寄越した。
「それに、もっと怖いものがあるよ」
「なんだ」
「いじめ。
私ねえ、前世は学校で苛められてたんだ」
たったの十六年で終わった人生を懐かしむように、そう口にした。
「きっかけは些細なことだったかな。
先生が道徳の授業で『みんな仲良くしましょう』って言ってね、私はそれは違うと思ったから『みんな仲良くする必要はないと思います』って言ったの。
そうしたら叱られて、そのあとからいじめが始まった。
毎日怖くて苦しくて、親にも言えなくて。
最後、屋上から飛び降りたの。
そのときも怖かったけど、理不尽に苛められるより怖くなかった」
惨めで情けなくて、チャールズの顔が見れない。
「チャールズなら弱みを作って反撃するんだろうから、私のこと馬鹿だって言うだろうね」
「そうだな。加害されるまま反撃しなかった貴様は愚かだ」
「あはは、やっぱりそう言う」
「だが、お前は間違っていない」
わざとらしく明るく振る舞ったら、不意にきっぱりと言い切られて目を瞠る。
「へ?」
「人間全員が仲良くしなければいけないなら、なぜ世界から差別や戦争がなくならない?
人間全員が仲良くすることなど出来ない。
そんなことは不可能だし、しなくていい。
間違っていたのは貴様ではなく貴様以外の全員だ」
その金色の瞳が真っ直ぐ私を見て、感情の宿っていない声が突き放すでもなく告げた。
「お前は間違っていない」
その言葉に、気づいたら涙が零れていた。
みんな言ったの。私が間違っていると、私が悪いと言ったの。
でも、チャールズは言ってくれる。
私は間違ってないって。
「う……っ」
「なぜ泣く」
「チャールズが、嬉しいことを言うから」
そう、本当にいつだって、あなたが私の蜘蛛の糸。
「チャールズ、優しいね」
「全く、そう思うお前の目が節穴だ」
またため息を吐いたチャールズは、不意に眼鏡を押しあげて不遜に笑った。
「だが、その理論を正しいと思うならお前とも仲良くしようとすればよかった。
そうしなかったなら、そいつらはその身を以てその理論の破綻を証明した。
そら、貴様は間違っていないだろう?」
誰より美しい顔で、誰より不敵な表情で、そう救いの言葉をくれるあなた。
「うん…っ」
そんなあなたと過ごす時間が、堪らなく楽しかった。
紅茶館を出て道を歩く。
馬車は紅茶館の駐車スペースに置いたまま、少し歩きたい気分だった。
「お前は今もあの男が好きか?」
不意にチャールズがそう聞いてきた。
「それ気になるの?」
「好きだったら復讐に妨げが出るかもしれんだろう」
「あ、そうだね。うーん」
それもそうだ、と思って考えるが、あの甘酸っぱい気持ちはもうわき上がってこない。
「なんか、この前のですっかり失望しきっちゃった。
だから、もう平気かも」
「そうか。それならばいいが」
「チャールズは?」
「は?」
急な質問に、チャールズは目を丸くする。
「チャールズは好きな人はいないの?」
「お前は私が脅迫王だと知っていてそれを聞くのか?」
「え、う、うん。だって好きな人の一人くらいいるかもって」
「はあ」
チャールズはため息を漏らして、眼鏡を押しあげた。
「生憎と、そういう感情をアーサーは私に設定しなかったのだろう。
私は、人を愛する気持ちが理解出来ない」
そう、賑わう道を歩きながらチャールズは話した。
「私の脅迫で破滅した人間が『この子だけは』と子を守ろうとするのを見たことがある。
『どうか彼女だけは』と恋人を守ろうとする姿を見たこともある。
それに、私はなにも思わなかった。なにも感じなかった。
彼らの行動が理解出来なかった。
自分の身を挺して、誰かを守ろうとするその行動原理が、理解出来なかった。
私は、自身の親すら愛したことがない」
冷淡な表情をして、静かに語るその横顔を見た。
なぜだろう。恐ろしいことを言っているのに、チャールズだと怖いと思えない。
「そうだ。カッコウ」
「へ? カッコウ?」
急に鳥の名前が出て来たので目を丸くする。
「そうだ。ミドルスクールの時に鳥の巣を落とそうとしている奴らがいた。
私はそれを止めた。
教師も親も私を褒めたが、私は鳥の巣を守りたかったわけではない」
「じゃあ、なにを守りたかったの?」
「その巣に産み落とされた、カッコウの卵」
チャールズはふと足を止めて、空を見上げて答える。
「その卵を育てた親鳥が、その卵が自分の子ではないと、自分の子を蹴落として産み落とされた卵だと知ったらどう思うだろうかと。
そう思って、その卵を守っただけだった」
風が緩く吹く。その切りそろえられた白髪を揺らしていく。
白いコートの裾が舞う。
「私は、愛を理解出来ない。誰かを愛せるように出来ていない。
私には、愛がわからない」
こんなに美しいのに、その人は愛を知らない。
「でもさ、チャールズが守ったカッコウの雛はチャールズに感謝してるよ」
だから、私はそう囁いた。
「自分の雛を守ってくれたチャールズのこと、カッコウは感謝してるよ。
だから無駄なことなんかじゃないよ」
「お前はつくづく、度しがたいお人好しだ。
私が欠陥品だとは思わんのか」
「変じゃないよ」
全く、変だなんて思わなかった。欠陥品だなんて思わなかった。
むしろ、チャールズらしいとすら思った。
「それがチャールズの個性なんだよ」
そう告げたら、チャールズは私を見て驚いたように目を瞠った。
「えへへ」
「お前はなぜ嬉しそうなんだ」
「嬉しいから。チャールズのこと、一つ知れて嬉しい」
「……本当に、変な女だ」
そう零したチャールズは、どこか困った様子でもあった。
「さて、そろそろ帰ろっか」
「そうだな。そもそもお前が勝手に連れ出したことだが」
「はいはい、ごめんなさい。じゃあ紅茶館まで」
馬車を停めた紅茶館まで戻ろうとした矢先だ。
「おい!」
響いた男の怒声にびく、と身体が跳ねる。
「ちゃんと金を払え!」
だが視線を動かして、それがこちらに対しての言葉じゃないとわかると少し恐怖が軽減した。
「どうしたの?」
「ああ、嬢ちゃん。この兄ちゃんが無銭飲食しやがって」
おずおずと尋ねた相手は、紅茶館の近くの飲食店の店主で、扉の前である青年の腕を掴んでいる。
「この兄ちゃんって、」
私はその相手を見て、息を呑む。
「サフィール殿下」
そう、その相手はあのサフィール殿下だった。




