第五話 王家の胸中
茶会の翌日、マクシミリアン伯爵家の私の自室でのことだ。
「チャールズ」
声をかけた私に、ソファに腰掛けて新聞を読んでいたチャールズは涼しい顔をしてこちらを見た。
「なんだ。不機嫌な顔をして」
「リゼットのこと、やったのチャールズでしょ」
私は断定系で言った。
「チャールズ、不思議な力を持ってるみたいだし、リゼットの服を脱がせて攫ってダスキュリーの部屋に置いておくことくらい出来そうだもの。
それにチャールズ言ってたでしょう?
弱みというのは作るものだって」
「そのことに気づいただけ聡くなったと褒めてやろう」
微笑んでテーブルの上に置かれたカップを手に取り、中の紅茶を一口飲んだチャールズに、私は言う。
「そういうのは、駄目だよ」
「ほう? なぜだ?
貴様に冤罪を着せた女と同じやり口ではないか。
やられたことをやり返しているだけだ」
「だからだよ」
はっきり断言した私にチャールズが目を瞠る。
「私が冤罪を着せられたからこそ言ってるの。
他人に冤罪を着せるのは、駄目だよ」
その言葉に、チャールズはしばらく目を丸くしていたが、ややあって心底落胆したように、
「ふん、つまらん女め」
と呟いた。
少し拗ねたように見えたのは気のせいだろうか。
「ダリア!」
不意に部屋の扉がノックされ、私は慌てて部屋の外に出る。
ノックしたのは姉のミディアだ。
「王宮から手紙が、登城するようにって」
「え!?」
「と、とにかく昼に登城するようにって、しっかりしなさいね」
姉はそう言って、私の肩を叩く。
私はどうにか頷いて、慌てて部屋の中に引っ込む。
「ふん、お前やこの家をうまく嵌められなくて、苛立って呼び出したというところか」
「ど、どどどどどうしよう」
「知らん」
「知らんって」
なにその突き放す言い方。復讐を手伝うって言ったのはチャールズなのに。
「私のやり方を気に入らんと言ったのは貴様だろう。
自分でどうにかしろ」
「あ、本当に拗ねたんだ」
「うるさいぞ」
どうやらチャールズは本当に拗ねたらしい。こちらを見もしない。
「と、とにかく執事としてついてくるくらいはして」
「知らん」
「もう!」
取り付く島もない。とにかく私は急いで支度をすることになった。
王宮に登城した私は、衛兵の案内である部屋の前まで来ると、開かれた扉を前にカーテシーをして声を張った。
「ダリア・マクシミリアン。参りました」
心臓はばくばくしている。だが顔を上げて気づく。
昼食の並んだテーブルに、席に着いた国王陛下、王妃陛下、第二王子、第三王子。
そこにクリス殿下はいない。
「よく参った。さあこちらへ」
「は、はい」
国王陛下の声に応えて、私は摘まんでいたドレスの裾から手を離し、メイドが引いた椅子に腰を下ろす。
「あの、クリス殿下は、」
「あいつはイリーダという娘と一緒だ」
やや棘のある口調で答えた国王陛下に、私は目を瞬いた。
「今日、そなたを呼んだのは他でもない。
そのイリーダという娘に関することだ」
「はい」
「クリスはそなたがイリーダを加害したと言って、処刑を訴えておる。
だが、男爵令嬢を加害した罪で伯爵令嬢を処刑するなど前例がないことだ。
したがって、処刑など行うわけにはいかないと言うのが王家の意向だ」
「そうですか」
国王陛下の言葉に、やっぱりチャールズは正しかったんだ、と思ってほっと息を吐く。
「それで、一つ聞きたい。
世間では、そなたが婚約破棄されたショックで自害を図ったと噂だが、これは本当か」
「自害を図ったというのは事実です。ただ、私が自害を図ったのは婚約破棄されたせいではありません」
「では、」
国王陛下を見据えて、私は膝の上に置いた手を握りしめる。
これを、陛下が信じてくれるかどうか。
「そのイリーダ嬢に、自害しなければ父を謀反人として捕らえ、一家もろとも処刑すると言われたからです」
「なんと」
正直に答えた私に、国王陛下たちが息を呑む。
「マクシミリアン将軍を謀反人だと言うとは、なんと命知らずな。
そう言うからには、その娘にはなにか証拠があるのであろうな?」
「どうでしょうか?」
チャールズから教えられた真実を言うか迷ったが、今は伏せておいたほうがいいと判断した。
「今となっては、私を自害に追い込むはったりだったのではないかと思っております」
「なるほど、ありそうな話だ」
私の言葉を、国王陛下や王妃陛下はどうやら信じてくれたようだ。
第二王子殿下や第三王子殿下も、イリーダに対し警戒をあらわにしているようにも見える。
「よく話してくれた。クリスが来ることはないだろうから、ゆっくり食べて行きなさい」
「はい」
国王陛下の言葉に私はひとまず安堵し、フォークに手を伸ばした。
食事を終え、衛兵の案内で王宮の入り口に停めた馬車まで帰ろうとした時だ。
「ダリア嬢」
廊下で声を掛けてきたのは、第二王子のサフィール殿下だった。
「サフィール殿下。どうかなさいましたか?」
「いや、心配になって送りに来たんだ。
王宮の門までだけどね」
サフィール殿下はそう言って、衛兵に微笑みかけて下がらせる。
廊下で二人きりになった後、私はおずおずと尋ねてみた。
「あの、」
「ん?」
「陛下は、あの噂をお信じになられていないのでしょうか?」
私にまつわるあの噂、あれを、陛下が信じているような口ぶりではなかった。
「いないね。信じているのは兄上だけさ」
サフィール殿下はきっぱりと言い放つ。
「だって考えてもご覧よ。たった三年とはいえ、僕たちは君が王太子妃に相応しい女性になろうと努力しているのを見て来た。
それに引き換え、イリーダ嬢はどうだい?
王太子を誑かした悪女という印章しかないね」
その言葉にひとまず安堵する。どう動くかはわからないが、陛下たちは敵ではないのだ。
「私をお信じくださっているのでしたら、陛下のお力でどうにかならないのでしょうか」
「難しいね。イリーダ嬢はマゼイラ公爵一派に連なる家の出だ」
マゼイラ公爵一派。このエンゲベルト王国の三分の一を支配する一派だ。
残りは王室一派。そして、私の家が属するミギリアンス公爵一派。
その三つの派閥が互いを牽制し合いながら、ぎりぎりの均衡を保っている。
「もちろん男爵家の令嬢だから、王太子の妻になるというのは難しいよ。
ただ愛妾にして、王太子を裏から操ろうと企む者は多い。
イリーダ嬢をただ排除するのでは、マゼイラ公爵一派が黙っていないだろうね」
「それなりの建前、理由が必要ということですか?」
「そうだね」
サフィール殿下は腕を組んで頷いた。
「ただ今回のイリーダ嬢の行動を良く思っていない公爵家や侯爵家は多い。
そこを利用すれば打開策はあると思うよ」
サフィール殿下は微笑んでそう言うと、私の背を軽く押して歩き出す。
私はサフィール殿下の横を歩きながら、打開策を考えた。
「……正直なことを言えばね、」
そのときだ。不意に小声でサフィール殿下は口にする。
「僕は王太子になりたいと思っている」
「え!?」
思ってもみない言葉にひっくり返った声を上げてしまった私は慌てて口を手で押さえた。
「ここだけの話だよ。理由は今は内緒」
サフィール殿下は小声で話して、優しく私の手を引いた。
「はい、門まで来たよ。
それじゃあ、気をつけて帰って」
そう囁いて、サフィール殿下は私の手の甲にキスを落とした。
びっくりした。
揺れる馬車の中で、私はぼうっとしていた。
手の甲にキスされると思わなかった。第二王子殿下に。
まあ深い意味はないと思うけど。
でも、サフィール殿下が王太子になりたい理由ってなんだろう。
理由は思い当たらないけど。
だって、サフィール殿下には王太子妃教育の時に、ダンスのレッスンやマナーの授業でお世話になったけど、そんな野心は覗かせていなかった。
むしろいつもお優しくて、冴えない私のことも可愛らしいと褒めてくださって。
そう考えていたら不意にガタン、と音が鳴って馬車が揺れた。
ん? 馬車が停まった?
どうしたんだろう。窓の外はまだ明るい。
でも少し薄暗い?
扉を開けると、足を下ろす。
ここ、裏路地? 陽射しが建物で遮られて薄暗い。
なんでこんなところに、と思った矢先、口を塞がれた。
「んっ!」
そのまま椅子の上に押し倒される。
身体をまさぐられて、首にナイフを押し当てられる。
「大人しくしときな。そうすりゃ命までは取らないからよ」
知らない男の声がする。顔を布で覆った男が覆い被さってくる。
「諦めな。王太子殿下の頼みだからよ」
クリス殿下が? 人を雇ってこんな真似を? 私を穢そうと?
どうして?
私だって努力したのに。頑張ったのに。クリス殿下に相応しい女性になろうと思ったのに。
(どうして、)
涙が瞳ににじむ。その瞬間だ。
「忌々しい」
耳に馴染んだあの冷酷な白蛇の声が聞こえた途端、覆い被さっていた男が首根っこを掴まれたように宙に引っ張り上げられる。
そのまま地面に叩きつけられ、動かなくなった。
宙に浮かんでいたチャールズが、地面に足を下ろして私の手を取ると、引いて身を起こさせた。
「大丈夫か」
「……チャールズ?」
「ああ、私だ」
擦れた声で信じられないように尋ねると、チャールズははっきりと頷いた。
「チャールズだ……」
間違いなく彼だと、触れた手の冷たい感触で理解して、そうしたら堪えられなかった。
「ふっ……、うわあぁぁぁあぁぁん!」
「お、おい、どうした。あの地獄の底の時のような泣き方をして。
そんなに怖かったのか?」
相変わらず人間の機微が理解出来ないような反応を返すチャールズに安堵して、ぎゅうっと抱きつく。
「私、頑張ったよね? 努力したよね? クリス殿下に相応しい女性になろうって。
頑張ったのに……っ」
「……お前は、そのクリスが好きだったのか?」
半信半疑のように尋ねてきたチャールズに、少し考えてか細く答える。
「……たぶん」
きっと、好きだった。死に物狂いで努力するほどに、好きだった。
きっと私は相応しいレディじゃなかったけど、それでも本当に、
「そうか」
淡々とした声が耳に触れる。体温の低い手が、後ろ頭を抱き寄せた。
顔が、チャールズの胸に埋まる。
「忘れてしまえ」
不思議。チャールズはフィクションの世界の人間なのに、こんなにも温かい。
「そんな都合良く貴様を捨てる男のことなど、忘れてしまえ。
自分のために女を穢そうとする男のことなど、忘れてしまえ。
憎むことも嫌うこともするな。
好きの正反対は無関心だ」
それが一番の復讐だと言うように、チャールズはとんとん、と背中を撫でて言った。
「そうしてしまえ」
私は泣いて、ただただその身体に縋り付いた。




