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第十五話 脅迫王の答え

 記憶の始まりには、脅迫があった。

 私という人間は、そういう存在だった。

 アーサーが生み出した、脅迫王ミルヴァートン。

 それが私であり、それ以上でも以下でもないはずだった。

 原典において、私は卑劣な悪役であり、その末に死んだ。

 数多のパスティーシュでも、私は常に非道な悪役だった。

 そこに、人間らしい感情はなかった。

 だから混ざり物の私にも、そんな感情はない。

 アーサーがそれを作らなかった。数多のパスティーシュ作家が、それを作らなかった。

 ならばもし、一人でも誰かが、一粒でもなんらかの感情を書き記していれば、なにか変わったのか。

 ふと、そんなことを考える。



「チャールズ、似合う?」

 ある日、ダリアがそう聞いてきた。

 桜色のドレスを身に纏って、にこにこと笑っている。

 私はそれが、あの新しい王太子が贈ったものだと知っている。

「ああ、似合っている」

 いつものように機械的に答えた私に、ダリアは「そっかあ」とはにかんだ。

「サフィール殿下がくれたんだ。私には桜が似合うからって」

「この世界にも桜があるようだな」

「そうだねえ。私たちの世界にもあったし、……英国にも桜ってあったっけ?」

「あったぞ」

「そっか。じゃあチャールズも知ってるよね」

 この娘と王太子の婚約話はとんとん拍子に進んでいる。

 来年には、この娘は王太子妃となるのだろう。

「桜の花言葉、知ってる?」

「知らん。私がそんなものに、興味を示すように見えたか」

「見えない」

 ふはっと笑ってダリアはベッドに腰掛ける。

「優美な人って意味だって。

 あとは、私の誕生花がね、勿忘草でね」

 きっとそれが本題だったのだろう。

 ダリアは少し切なげな表情だ。

「その花言葉、きっと、私のチャールズへの気持ち」

 ベッドから立ち上がって耳元に顔を寄せる。


「私を忘れないで」


 その囁きに、わずか、心臓の拍動が早くなった気がした。

「地獄に戻っても、私を永遠に忘れないで」

「それは難しい相談だな」

「そこは嘘でも頷く場面じゃないの?」

 顔を離したダリアが困ったように笑う。

「お前は私がそんな善人に見えるのか」

「見えない。

 すっごい悪党だもんね。チャールズ。

 そうだよね。そんな嘘は吐かないよね」

 手を差し出して、ダリアはぎこちなく言う。

「じゃあ、じゃあ、ね。

 一生のお願い。

 私が結婚するまで、そばにいて」

 少し泣きそうな顔で、微笑んで囁く。

「結婚するまででいいの。

 ここにいて」

「それが、お前の最後の願いか?」

「……うん。

 最後のお願いだから、指切りして」

 向けられた白く小さな小指。それに指を重ねて、なんになると言う。

「生憎と、私はそんな約束は出来ないな。

 破ったところで、私は針千本など飲まない」

「そうだよね」

 ダリアは最初からわかりきっていたように、優しく微笑む。

「約束も、脅迫も、大差ないことだ。

 破らないか、破れないか、どちらかの差だけだ。

 だから、ダリア」

 二人きりの部屋で、向かい合ってひと言、口にした。

「私に約束を守らせたいなら、脅迫することだ。

 もう、そのための狡さは身につけたはずだろう?」

 真っ直ぐな、純粋な娘。その娘にその狡さを教えたのは、自分だ。

「じゃあ、破ったらチャールズの人間らしいところをみんなに言う。

 私に嘘でもキスしようとした、人間らしいところを話す」

「……上出来だ」

 手を伸ばして、その柔らかな赤い髪をくしゃりと撫でてやる。

 本人はパサつくと気にしている赤髪だが、触れると柔らかい。

「それなら、聞いてやろう。

 なにをして欲しい」

「結婚するまでそばにいるって、約束。…ううん」

 一瞬迷って、ダリアは頬を赤く染めて片手で、ぎゅっと私のコートを握った。

「キス、して」

 そう、秘やかな告白のようにねだった。

「いっかいだけでいい。

 キス、して欲しいの」

「……目を閉じろ」

「……ん」

 目を閉じた、無防備な小娘になにをするべきか。

 きっとなんでも出来たのに、迷って額に唇を落とす。

 びっくりして瞼を開けたダリアの細い身体に、腕を伸ばしてきつくかき抱いた。

 見開かれた瞳から、涙があふれる。

「狡い。狡いよ、チャールズ」

 か細い声が私を詰る。

「狡いよ……」

「当然だ」

 その身体を抱きしめたまま、耳元で優しく囁く。

「私は、脅迫王ミルヴァートンなのだから」

 優しい言葉などかけられない。望む言葉などかけられない。

 自分はそういう存在で、それがアーサーの、数多のパスティーシュ作家の望んだ脅迫王ミルヴァートンのあり方だ。




 仕事の後処理を終えて、屋敷から出る。

 そこであの王子が待っていた。そのそばに馬車がある。

「準備は出来ましたか?」

「なんの準備だ?」

 顎を上げて、王子を見下ろして嫌味のように問いかける。

「貴様がなにもせずとも、私はいずれ地獄に戻る。

 貴様のすることは、無意味だ」

「そうでもね、怖いんだ。

 また、彼女を奪われそうで」

「言っておくが、前世であいつを奪ったのは私ではないぞ」

「わかってますよ。

 強いて言うなら、運命に」

 強がったように笑う王子を見据えて、私は眼鏡を押しあげる。

「あの善良しか取り柄のない小娘に、そんな運命があるものか」

「そうだね」

「貴様は、前世のことをあの娘に話す気はないのか?」

「どうだろう。話したら、びっくりさせちゃう気がして」

 困ったように笑う王子に、私は一息吐いた。

「どうだろうかな。

 私に驚かなかった小娘だ。今更そんなこと、気にせんだろう」

「はは、あなたが言うならそうなのかもなあ。

 …………………ごめんなさい」

「なにを謝る」

 ぎこちなく笑って、力無く息を吐いた王子に淡々と声をかけた。

「卑怯なのはわかってる。

 彼女に内緒で、あなたを遠ざけようとしてる。

 でも、僕はどうしようもなくあなたが怖いんだ」

「それは望ましい評価だな。なぜなら、私は脅迫王ミルヴァートンなのだから」

 誰もが私を恐れた。誰もが私を忌避した。

 私はそうでなければ困る。


『チャールズ』


 誰かに、愛おしげに呼ばれるようでは私ではない。

「安心しろ。私は永久にここには戻らない。

 ここに、私の仕事はもうないのだから」

「それは、彼女のため?

 あなたの話を聞いていると、彼女のためだって聞こえるよ」

「気のせいだな」

「気のせい?」

 信じていないような口調の王子に、重ねて言う。

「そうだ。私は、あの小娘に他意などない。

 最初から、そんなものはない」

 そう、言い聞かせた。

 その横を通り過ぎて、馬車に乗り込む。

「ひと言だけ」

 その背中に王子の声がかかる。

「僕は、一生あなたに勝てないみたいだ」

「そうか。それは望ましい結果だな」

 そう返して、馬車の扉を閉じた。




 馬車が走り出す。

 昔から、人の嘘がわかった。

 それは人の顔の横に、もう一つの顔が浮かんでいて、その顔が嘘を喋っていたからだ。

 いつだって、誰にだってその顔が見えた。

 あのシャーロック・ホームズですら。

 あの王太子ですら、嘘の顔があった。

 そんな嘘の顔がなかったのは、あの小娘だけ。

 いつだって真っ直ぐに、感情をぶつけてくるあの娘の手を、取った。

 その身を、抱きしめた。

 その理由が、今もわからない。

 そばにいたところで、意味はない。

 なにが出来るわけでもない。価値がない。

 あの娘のそばにいれば、自分は脅迫など出来ないだろう。

 それでは、自分が脅迫王である意味がない。

 だから離れなければいけない。

 あの娘の笑顔を、見ることに慣れた。慣れてしまった。

 それはなぜだろう。

 そばにいたところで、なにも意味はないのに。価値はないのに。


『違うよ。チャールズ』


 ふと、声が蘇った。

 あれは出会ったばかりの頃のこと、同じことを問うた自分に彼女が答えた。


『意味がなくても、価値がなくても、そばにいたいならそれだけでいいんだよ』


「チャールズ!」


 不意に自分を呼ぶ声が耳を打つ。

 椅子から立ち上がって窓の外を見た。

 自分がいないことに気づいたのだろう。

 あの手のかかる小娘が、走って自分を乗せた馬車を追いかけている。

 転びそうになりながら、泣きじゃくりながら、一生懸命に。

「そばにいるって言ったじゃん!

 結婚するまでそばにいるって言ったじゃん!」

 無我夢中で、苦しそうに息をしながら、叫んでいる。

「ずっとそばにいて! 今だけでいいからなんて嘘なの!」

 しゃくり上げながら、その声が必死に自分を呼んだ。

「お願い! どこにも行かないで!」

 足が躓く。そのまま転んだ彼女を見たら、黙っていられなかった。

「止めろ」

 無意識のうちに、そう御者に言っていた。

「止めろ!」


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