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第十四話 サフィールの記憶

 僕には前世がある。

 日本人として生きて、死んだ前世だ。

 そこで、秘やかな恋をしていた女の子がいた。

 真っ直ぐな、女の子だった。



 ダリアとの縁談はとんとん拍子に進んだ。

 ダリアは思うところがあるようだったが、伯爵家と王室の縁談だ。

 王室に有利に進んでしまう。

 なによりダリア以外のマクシミリアン伯爵家の者たちはこの縁談を歓迎していた。

 姉のミディアには「くれぐれもお願いいたします」と釘を刺されたが、概ねお祝いムードだった。

 その日、僕はダリアを誘って王都にある一番大きな劇場に足を運んでいた。

 そこで、今日ラブロマンスの演劇が行われる。

 それをダリアと二人で見たかった。

「ご覧になったことがある舞台ですか?」

 劇場の賓客席で、ダリアが笑って聞いて来る。

「そうだね。王子が、っとネタバレは駄目だね」

「別に気にしないのに」

「そういうところも、なにも変わってないな」

「え?」

「ううん、なんでも」

 なにも彼女は変わっていない。

 ネタバレを気にしないところも、演劇が好きなところも。

 好きなミュージカルの話をすると、喜んで楽しそうに話す子だった。

 ネタバレはやめてと言う子たちの中で、彼女だけが「あとで教えて」と囁いてきた。

 別に無理矢理ネタバレを話そうとなんてしていない。

 ただ彼女はネタバレを聞いてから見たほうが、安心して見られるのだと言っていた。

 不意に劇場内が暗くなる。劇が始まる。

 姫と永遠の愛を誓った王子は、姫の振りをした魔王の娘に愛を誓ってしまう。

 まるでイリーダだ。いや、イリーダにはこの魔王の娘のような色気も気品もなかった。

 あれは、ただただクリスとイリーダが愚かなだけだった。

 そっと手を伸ばす。肘掛けに置かれた彼女の手に、手を重ねる。

 彼女はわずかに緊張して、けれど振り払わなかった。

 それだけで良かった。想うだけで幸せだった。




「面白かったね」

 演劇が終わった後、馬車の中で二人、演劇の感想を言い合った。

「はい。まるでオデットとオディールみたいな、あ、いえ」

「……なにか知っている劇に似ていた?」

「あ、はい」

 ダリアは僕が誰か気づいていないから、前世の記憶を隠そうとする。

 僕も君と同じ場所にいたんだよと、そんなことは言えない。

 僕は君を守れなかった。

 苛められるようになった彼女を庇おうとして、階段から突き落とされて、骨折して入院する羽目になって、ある日彼女が自殺したと聞かされた。

 あのときの慟哭を鮮明に思い出せる。

 後を追うように病院の窓から飛び降りたけれど、死ぬのは怖くなかった。

 ただただ彼女の元に行きたかった。

 気づいたらこの王国で、王子として生まれ変わっていて、だからきっと彼女もこの世界にいると思った。

 ダリア・マクシミリアンが彼女だと気づいたのは、奇しくも彼女が婚約破棄されたとき。

 その瞬間に、なにかが弾けたように彼女だ、と気づいた。

 実はあの後、心配してマクシミリアン伯爵家に馬車で向かった。

 また彼女が命を絶ってしまわないかと。

 だから彼女が無事で安心したのに、そのそばには見知らぬ真っ白い男がいた。

「あの男は、オデットのようなオディールだな」

「え?」

「真っ白いのに、魂は真っ黒だ。

 あれは、魔王だ」

 確かシューベルトだっただろうか。子どもを攫う、魔王の曲。

 それにそっくりだと思う。

「あの男って、チャールズ……?」

「ごめん。実は嫉妬しているんだ。

 君のそばにずっといるあの男に。

 君を奪われそうで、ずっと嫉妬してる」

「そんな、チャールズは違いますよ。

 本当に、全然……………」

 明るく笑いかけて、ダリアは不意に声を詰まらせる。

「チャールズは、私を愛してくれることなんてないから」

 その瞳から、涙が一筋あふれて落ちた。

「ダリア」

「ごめんなさい。好き、なんです」

 か細い声が告白する。

「チャールズが。

 でもチャールズは永遠に私を好きにならないから。

 どうしても、私を愛してくれないから。

 どうしたって、私はチャールズに愛してもらえないの」

 そう、慟哭の泣き声が馬車の中に響く。

「それでもいいですか。

 あなたを一番に愛せない私でもいいですか。

 もしかしたら、一生チャールズが好きな私でもいいですか」

「いいんだよ。それでも」

 腕を伸ばして、そっと震える彼女の身体を抱きしめる。

「僕は、君をずっと愛しているから」

 あの教室で出会った時から、ずっと。




 マクシミリアン伯爵家に馬車が到着すると、屋敷の前であの真っ白な男が待っていた。

「お迎えに上がりました」

「少し待っていて欲しい。彼と話がある」

「……はい」

 僕の言葉にわずかになにか言いたげにしながら頷いて、ダリアは馬車のそばに立った。

 僕は大股で屋敷の前で待つミルヴァートンに声をかける。

「おい」

「なにがあった?」

「は?」

「涙の痕がある」

 短く問われて、息を呑む。

 この距離でそれに気づける男が、本当に彼女への他意がないだろうか。

「お前のせいだろう」

「私の?」

「そうだ。お前のせいだ」

 そう詰って、喉が締め上げられるような心地で口にする。

「お前が好きだと、泣いたんだ」

 その言葉にミルヴァートンがわずかに目を瞠った。

「だがお前が彼女を愛するはずがないものな。

 なあ、脅迫王ミルヴァートン」

「やはりな」

 不意に得心したように、ミルヴァートンが呟いた。

「お前はあいつらのような悪人ではなかったが、嘘を吐いていた。

 お前も、ダリアと同じ世界の出身か」

「だからなんだ。

 この彼女を思う心は本物だ。

 ずっとずっと、彼女を愛してきたんだ」

 その感情を、想いを、嘘だなんて誰にも言わせない。

「だからなんだ?

 私には関係ない。

 私には、愛も恋も関係ないんだ」

 冷徹に言い放ったミルヴァートンだが、不意に人の悲鳴が聞こえた。

 視線を背後に向けて息を呑む。

 馬車が突っ込んでくる。その先にあるのは、自分たちが乗っていた馬車と、ダリア。

「ダリア!」

 駆け寄ろうとした瞬間に、それより早く動いた白い影があった。

 真っ白いコートが、彼女を抱きしめる。

 馬車が衝突する音と衝撃。二つの馬車が折り重なって倒れている。

 逃げ出した馬が、所在なさげに少し放れた道で立ち尽くしていた。

「ダリア!」

 僕は駆け寄って、息を呑む。

 ダリアの身体は、しゃがみ込んでいるミルヴァートンの腕の中にあった。

「怪我は……!」

「問題ない。ぶつかった衝撃で頭を打ったんだろう」

「お、前。その、怪我は、…………」

 淡々とした口調で答えたミルヴァートンの真白いコートが真っ赤な鮮血に染まっている。

 背中が大きく裂けて、まるで柘榴の身のようだった。

「問題ない」

 けれどミルヴァートンは静かな口調でそう答える。

 その傷が、目の前で見る間に癒えて消えていく。

 血液がミルヴァートンの体内に戻って行く。

「私は作り物だ。作者が殺さない限り、死ぬことはない」

「だからって、痛いだろう。苦しいだろう。

 なぜ庇った!?」

「なにをおかしなことを言う」

 その腕の中にダリアを抱え込んだまま、ミルヴァートンは冷静な声と表情で答えるのだ。

「私が、ダリアのために地獄から這い上がったからだ」

 本当に?

 その言葉に、それ以上の感情が垣間見えた気がした。

 自分だって、すぐに飛び出せなかったのに、迷うことなくダリアを助けるために飛び出した。

「ダリアは、……お前が好きだって言ったんだぞ」

「ああ、そうだな」

「それを、なんとも思わないのか」

「思わない」

 無情に切り捨てるように答えるのに、そうだとはとても思えない。

「思えるように、私は出来ていない」

 なら、その手はどうしてしっかりと彼女を抱きしめている?

 死ぬほどの痛みに耐えてまで、彼女を守る?

 本当に、彼は愛を知らない脅迫王なのか?


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