第十六話 二人の帰着
転んだ身体をどうにか立たせると、停まった馬車からチャールズが降りてくる。
「馬鹿な娘だな」
呆れたように言って、転んで出血した私の足の前にしゃがんで、ハンカチを巻き付けるその白くて長い指が、好きだった。
チャールズが立ち上がる。
「そばにいてどうする。
一緒にいても、私は変われない。
私をそう定義づけた世界が、それを許さない。
私をそう産み落としたアーサーが、それを許さない。
一生お前を愛せない男のために、生涯を消費する気か」
「あはは、前提が間違ってるよ。チャールズ」
私は安堵に満ちあふれた心で、泣き笑いの顔で答えた。
「それでいいの。
それでいいの」
彼は気づいていない。わかっていない。理解していない。
私のために、馬車を停めて降りてきたのは、どうしてなのか。
「一生、チャールズが私のそばにいてくれるならいいの。
それがいいのよ」
「……愚かだな」
チャールズはため息を吐いて、眼鏡を押しあげた。
「そのために、王太子妃の座すら捨てるか」
「馬鹿なこと聞くなあ。チャールズ。
チャールズのそばが、私にとって一番の場所だよ」
そう微笑んで、彼に向かって手を差し出す。
「ねえ、チャールズ。
ずっと一緒にいて」
「私を脅迫王ミルヴァートンと知っていて、そんなことを望む女もいなかったな」
そう呟いて、それから諦めるように嘆息を吐く。
「ああ、そうだ。誰もいなかった。
だから、お前は世界一の大馬鹿者だ」
「はい、ど阿呆です」
心底幸せそうに笑った私を見て、チャールズは困ったように眉を寄せる。
「どのみちお前から離れたら、私は地獄に帰る。
あそこに戻るのは、退屈だ」
チャールズはそう言うと、持っていた鞄から一枚の紙を取り出す。
「ほら」
「これは?」
「雇用契約書だ。
私を執事として雇うなら、ちゃんとした契約を交わせ」
差し出されたそれを受け取って、嬉しくて泣きそうになってしまった。
「私は高いぞ」
甘い愛の言葉なんてない。
一生の誓いもない。
この人は、私を愛したわけじゃない。
人を愛せない、愛を理解出来ない脅迫王。
その、これが、
(彼の、最上級の愛情表現)
「うんっ」
満面の笑顔で頷いて、私は力一杯にチャールズに抱きついた。
マクシミリアン伯爵家令嬢と言えば有名だ。
元王太子妃候補。そして、王太子妃の座を捨てた女。
そんな彼女のそばには、いつだって一人の男がいる。
全身真っ白な格好をした、世にも美しい執事。
彼の名はチャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン。
その名の意味を知る者は、この世界に、二人しかいない。




