第2話:呪いの魔女は傷痕を残せなかった
コンコンコンと部屋をノックする音。
その音に私の身体は強張り、心臓の鼓動が跳ね上がった。
ハウゼン家の誰かが来て、また私を蔑み、哀れみの目を向けられるのだろうか。
もし親が来たら、なんと言われるのだろうか。
ただ、そんな緊張は長くは続かなかった。
「お粥は食べ終わったかな?」
「なんだ、アーベル先生でしたか…」
「私では、ご不満でしたか?お嬢様」
「やめてよ、お嬢様なんて。もうそんな立場じゃないし、貴方にまでそんな風に言われるとここから逃げ出したくなるわ」
「それはすまなかったね、えっと、ルティシアさん」
この先生の苦笑いに、どこか安心してしまった。
「ちゃんと残さず食べられたみたいだね。お腹は痛くなったり、吐き気があったりはしない?」
「はい、大丈夫です。まだ少しお腹がすくくらいです」
「良かった。食欲は問題なく、消化器官の機能低下も殆どみられなさそうだね」
先生はまた安心したような笑顔を見せてくれたが、その顔に私まで自分の身体に異常がなかったことに安堵してしまうような気がした。
さっきまで死のうとしていたのにと、自分の浅ましさに反吐が出てしまった。
「それでは、あとでスープも持ってくるよ。あと、気分が良くなったらこの病院の廊下でも歩いてみると良いよ。身体は動かさないと、衰えていってしまうからね」
「わかりました。では、先生が病院内を案内して下さい。私を生きていて良かったと思わせるんでしょ」
驚いた様にこちらを見た。
「私なんかで良いのですか?」
「貴方が良いのよ。貴方は私の事を哀れまないと約束してくれたでしょ。だから、早速私を案内してくださらない?」
「身体は大丈夫なのですか?さっきは結構ふらついていたけど」
「えぇ、だいぶ力が入るようになったわ」
ベッドから足を出し、スリッパを履くと、先生は私の手をとってくれた。
大人の男性の固くて、少し汗をかいている、温かな手。
男性の手を握るのはいつぶりだろうか。
婚約者だった三歳年上の王太子が最後に私の手をとってくれたのは、それこそ私がまだずっと幼くて、小学舎に通っていた頃だったと思う。
あれから何年経っただろうか。私は十五になり、王太子が十八になった彼の高等部の卒業の場で、私は婚約破棄を告げられ、魔女として王都から追放された。
先生の腕に捕まり、ゆっくりと部屋を出る。
「ねぇ、ここは何処の病院?」
「えっと、ここはハウゼン町立病院だよ。といっても、小さな町だから、事実上唯一の病院だけどね。そしてここは3階」
「そう、3階には何が有るの?」
「当直室とか、あと院長室とか…あとは君が居たような個室がいくつかあるかな。基本的な病室は2階で、1階は診療所や倉庫なんかがあるかな」
廊下を歩くと院長室のドアが開いていて本棚が見えた。
「ねぇ、ここに入って良いかしら?」
「良いけど、どうして?」
「本が置いてあるでしょ、いくつか借りても良いかしら?一人であんな部屋に居ては暇に決まっているもの」
「小説とかは置いてないよ。結構専門的な難しい本が殆どだけど、そんなので良ければ」
「良いわ。神聖魔法に関する本があれば、それを読みたいかしら」
「それならいくつもあると思うけど、魔法は好きなの?」
「えぇ、好きよ。人を呪う魔法を覚えて使うくらいには」
「そう、だったね…」
気まずそうな顔をした先生に心の中で言ってやった。
『ざまを見ろ、そんな事を聞いた貴方が悪い』と。
あの時呪いの魔法を使ったことに後悔はあるが、微塵も間違っていなかったと、今でもそう思っている。
だからこそ、そんな顔をされたことに何処か腹がたった。
本棚は病院らしく、本当に医療関係と、回復や治療に使われる神聖魔法に関する本が沢山あった。
私はその中から、面白そうなタイトルをいくつか取ってはページを捲って目次を確認する。
何冊もそうやって確認して、面白そう、私でもまだ分かりそうな本を探していく。
すると、先生も一緒になって本棚を眺めだした。
「これとか、君にも読みやすいんじゃないかな。割と神聖学の基礎的な所から結構まとまっていて初学者でも読みやすいかもしれない…一応大学で初学者でも使う教科書として使われたりするやつなんだけど」
『エッセンシャル神聖学』、1000ページ近くはあるような分厚い大きな本。
手渡されると、ずっしりと重たく、今の私には少し重たくて、数ページ読むと腕がくたびれてしまった。
「これを借りても良いかしら」
「ええ、もちろん」
「でも、重たいので、貴方が持ってくださらない」
私の身体にはちょっと不釣り合いなこの本を、先生は軽々と片手で掴み、脇に抱えた。
「わからないことがあったら、私が回診に来た時にでも聞いてみて。答えられる範囲でだけど、一人で読むよりは勉強になると思う」
「そう。ありがとう」
院長室を出て、廊下の突き当たりに差し掛かった時、ちょうど階段から看護婦2人がこちらに来た。
「あ、アーベル先生、あとで少し来ていただきませんか?203号室のリディさんの件で相談したい事が」
「わかりました。この子を部屋まで送ってからで大丈夫ですか?」
「あっ…はい、大丈夫です」
そう言って、看護婦二人は階段を降りていった。
「あの子って確か…呪いの魔女よね…」
「えっ怖…」
看護婦たちが降りた先から聞こえてくる微かな声に私の胸は急に動悸を高めて、心臓を締め付けられる。
『私はなりたくてこうなったんじゃない…何も間違っていない…なのにどうして…ヤメて、ヤメロ、二度とそんな風に私を見るな…』
今すぐ走って私を馬鹿にしたあいつらの胸ぐらを掴んでやりたかったのに、まだ走って行くのがしんどくて、声を出すのもしんどくて、立ち尽くして泣くことしか出来なかった。
「…えっと、ごめんなさい。気を悪くさせてしまった」
その声を聞いてふと思い出した。
『辛い時はいつでも私を呼べば良い。罵倒したって良い、殴ったって良い』
その言葉に私は救われたような気がした。
だから、やり場のない怒りを、私は貴方に向けた。
支えの代わりに掴んでいた腕に思いっきり爪を立てて、食い込ませた。
貴方は一瞬だけ痛そうな顔をしたけど、すぐに普通の顔に戻った。
そして少し血が出ても気にせず私の爪をそのままに部屋まで送ってくれた。
私の爪は、私がベッドに座るその時までずっと刺さったままだった。
「怒らないの?こんな事されて」
「怒りませんよ。約束しましたからね」
「やっぱり、貴方は偽善者ね」
「そうですか?君は陰口を言われても必死に我慢したんだ。それに比べたら私の我慢なんて大したことないですよ。それに魔法で治せますし」
ヒールの魔法を自分にかけると、みるみると傷は塞がっていった。
せっかく私が貴方に付けた傷痕が簡単に消えていってしまうのを見て、何故かそれがとても悔しかった。




